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「これ、サービス。君に似合うと思って選んだんだ。……みんなには内緒だよ?」

 細いリボンで飾られた小箱の中には、愛らしいピンクのガーベラが収められていた。
 みずみずしい花びらが、箱の中いっぱいに広がっている。偽物なんかじゃない、本物の花だ。茎が短く切られているせいで、コサージュのようになっている。
 両手で小箱を抱えたまま言葉を失くしたワカバの頭を軽く撫で、ニノカタは柔らかく笑った。

「それじゃあ、またね」

 花の香りが濃くなる。近づけば優しい緑の匂いがした。
 脇を抜けて接客に戻ったその後ろ姿を見つめながら、ワカバは胸の奥がきゅっと切なく引き絞られる音を聞いた。
 ああ、ほら。
 ――恋が、芽吹く。


act.1:盗まれた恋の行方


「おはよう、シュミット。あっ、今日寝坊したでしょ〜?」

 目の前に突然飛び跳ねるようにしてやってきたワカバが、シュミットを下から覗き込みながら笑った。自然と上目遣いになり、どきりとする。途端に周囲がざわつき、シュミットに刺さる視線に棘が混ざり始めた。
 すぐ近くにあるワカバの顔から、失礼にならない程度に勢いをつけて顔ごと目を逸らしたが、彼女はそんなシュミットの気持ちすらお見通しだとでも言うように悪戯っぽく笑う。くりくりとした茶色の瞳に見上げられると、うっかりどうにかなりそうだった。

「お、おはよう、ワカバ。しかし、その、なぜそれを……」
「だぁってシュミット、寝癖ついてるもん。すぐに分かるよ〜。シュミットはいっつも丁寧にセットしてるでしょ? だからだよーだ! ワカバにはお見通しなんだからっ」

 寝坊を言い当てられたことはもちろん、ワカバの「いつも」という台詞に、シュミットは耐えきれず頬を赤く染め上げた。熱くなる頬とは裏腹に、あちこちから突き刺さる視線が冷たさを増していく。
 「じゃあね」とシュミットの腕を撫でるように叩いて走り去った彼女は、擦れ違う者全員にあの屈託のない満面の笑みを浮かべて朝の挨拶をしていた。花の咲くような、とはこのことだろうか。天真爛漫さに誰もが相好を崩している。
 余韻に浸りながら食堂で朝食を取っていたシュミットの肩を、同級生達がぐっと掴んできた。

「シュミット! お前、寝坊してよかったな! なんだよ、狙ってたのか!?」
「ばっ、馬鹿か! そんなわけがないだろう!」
「あー、それにしても今日もかわいいよなぁ、ワカバ。あれが軍人とは信じらんねぇ」

 ぽつりと零した友人の言葉に、シュミットは真剣な顔をして頷いた。まったくもって同意見だ。どこもかしこも甘い砂糖菓子のようにふわふわとした少女は、とてもじゃないが軍人に向いているとは思えない。
 それでも十六歳で空軍学校へ入学を決めたのだから、生半な覚悟ではないことも伺える。ゼロとは違った意味で話題に上ることの多い有名人のワカバは、今日も今日とてその魅力を余すことなく発揮していた。
 柔らかい黒髪は鎖骨の辺りでくるんと毛先が丸まっており、きめ細やかな色白の肌には鮮やかな桃色の唇がバランスよく配置されている。丸く大きな瞳といい、猫のような口元といい、美醜にこだわらないシュミットでも可愛いと評さざるを得ない顔立ちだ。
 加えて明るく元気、誰に対しても優しく、訓練にも真面目に取り組んでいるのだから、これはもう文句のつけようがない。基礎体力のなさは気にかかるが、それは本人のこれからの努力次第だ。彼女はその努力を欠かさない。
 だから人気が出るのも当然だ。誰もがそう認識している。シュミットとて彼女を気に入っているが、それは断じて顔がいいからといった理由だけではない。断じて。

「うう〜、ねえ、ゼロぉ。ごめん、これ開けてくれる?」
「これ? ――はい」
「ありがとう! わぁ、すごいね、さっすが男の子だね! ワカバが力いっぱいやっても全然開かなかったのに……。男の子っていいなぁ」

 ふと見れば、瓶の蓋を開けてもらったワカバが、嬉しそうにゼロの手のひらと自分の手のひらを重ねて大きさ比べをしていた。どうやらゼロの手の方が大きかったらしい。ますますはしゃいだ声を上げるワカバに、近くにいた男子学生が「俺も俺も!」と手を差し出す。嫌な顔一つせず手を合わせる彼女は、あっという間に男子生徒達に囲まれてしまった。
 人垣から逃げるように這い出してきたゼロが、うんざりした顔でシュミットの隣に座った。溢れたジャムが口の端についている。

「みんなほんと飽きないのな」
「ゼロは参らないのか?」
「なにに?」
「いや、だから、その、」

 彼女の魅力に。
 そんな台詞が吐けるはずもなく、シュミットはきつく唇を引き結ぶ。途中で無言になったシュミットをさして気にした風もなく、ゼロはしっかりと手を合わせて「ごちそうさまでした」と頭を下げた。どちらかといえば不真面目なゼロだが、こういうところはきちんとしているのだなと感心する。
 食器を戻す際、ゼロは呆れたように目を細め、未だにワカバを囲んではしゃぐ男子生徒達を見つめて言った。

「シュミットもああいうのが好きなの?」
「えっ、い、いやっ、私は別にっ」
「顔は可愛いと思うけど、俺の好みじゃない。なんか、あいつと喋ってると鳥肌立つ」
「それって……」

 かなり失礼なんじゃないかと注意しかけたところに、甘い香りが割り込んできた。小さな影がゼロと並ぶ。


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