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「アキちゃんは、いいお父さんを持ってよかったね」
「ええー? そうですか?」
「そうだよ。家族思いで、かっこよくって、最高じゃない。羨ましい」
「俺もそう思います」

 ソウヤの同意にタクミが「ですよね」と頷き、妻が「あらあら」と笑い、娘が「えっ!」と声を上げた。三者三様の反応に、そこで初めてソウヤは己の失言に気がついたらしい。冷ややかに横目で睨みつけると、彼は鮮やかな青い瞳を逃げるように向こうへ逸らせた。

「そっ、ソウヤさんも、お父さんが父だったら羨ましいなって思いますか!?」
「ええ、イセ隊の人間はみんなそう思ってますよ。イセ艦長は我々の誇りであり、父のような存在ですから」

 こればかりはよくかわしたと心の中で賛辞する。なおも食い下がろうとした娘を制したのは、意外なことに妻ではなくもう一人の客人だった。

「だからアキちゃん、あれは?」
「……先輩、それ言わない約束ですよ」
「ここまできて駄々捏ねるなら、あのことも喋ろっか?」
「分かった! 分かりましたから! ……もう」

 不満顔の娘が席を立ち、不承不承といった雰囲気で自分の部屋に消えていった。なんだ、いったい。眉間にしわを寄せるイセとは反対に、妻は楽しそうな顔をしている。やがて戻ってきたアキサワがイセの真後ろに立ったかと思うと、目の前に小袋を突き出してきた。ちりん。小さな鈴の音がする。

「……なんだ」
「…………あげる」
「俺に?」
「ソウヤさんにこんなダサいのあげるわけないでしょ」
「アキ」「アキちゃん」

 妻とタクミの柔らかい窘めに、娘は拗ねたようにそっぽを向いて席に戻っていった。押しつけられた小さな紙袋を手に固まるイセに、ソウヤが「開けてみたらどうですか?」と猫のように笑った。
 アキサワはこちらを見もせず、怒ったように刺身をつまんでいる。
 娘以外の視線を一身に浴び、やりにくさを感じつつもイセは小袋を開け、手のひらの上でひっくり返した。紙を擦る音と同時に鈴が鳴る。鮮やかな深い緑が、落ちてきた。

「お守り……?」

 金の糸で「健康祈願」と刺繍されたそれは、どう見てもお守りだった。それは理解できるが、娘とお守りが結びつかずに言葉が出ない。あげると言ったからには貰っていいのだろうが、いったいなんのために。健康祈願だろう、おそらく。誰の。――俺の。
 はっとして顔を上げれば、膨れっ面のアキサワがこちらをじとりと睥睨していた。お世辞にも美人とは言えない表情に、ソウヤがいるのにいいのかと余計な心配をしてしまう。

「こないだ先輩と出かけたときに見かけたの。先輩が買っていけって言うから。……お父さんもそろそろ年なんだし、そーゆーの一つくらい持っておけば? どうせ、あたし達が休めって言っても休まないんだから」
「あらあら、よかったですねぇ、あなた。アキからの素敵な誕生日プレゼントじゃない」
「別にそんなつもりないっ」
「まあ、それじゃあ誕生日でもないのにお父さんにプレゼントしてあげようと思ったの? アキはいい子ね」
「お母さんっ!!」

 目元を赤くして怒鳴り散らすアキサワと笑顔で受け流す妻を眺め、ソウヤが見たこともないような笑みを浮かべていた。穏やかで、どこか懐かしいものを見るような目だ。そこに痛みを感じている様子はない。だから、なにも言わない。
 イセは手の中のお守りを目の高さまで持ち上げ、揺らしてみた。ちりん。小さな鈴が控えめに鳴る。

「お誕生日おめでとうございます。これからも応援してます」
「……ありがとう。お前、――君も、今日が誕生日だと聞いた。おめでとう。今後とも娘を頼んだ」

 「はい」としっかり頷いた柔らかい笑顔のお嬢さんに、どことなく若い頃の妻の姿が重なった。姿かたちが似ているわけではないが、雰囲気がどこかよく似ている。
 しっかりとお守りを握り締め、イセは部下の前ということを無理やり忘れ、娘に向き合った。

「――アキ」
「なに?」
「ありがとう。大切にする」
「……あっそ」

 たまらずソウヤが噴き出して、アキサワの顔が真っ赤に染まった。必死で謝っているが、どうやらツボに入ったらしくソウヤの笑声が途切れない。涙が滲むまで笑った彼は、イセやアキサワを順繰りに見て言った。

「本当に、素晴らしい家族ですね」
「私もそう思います」

 二人の客人に手放しで褒められて、どうにも気恥ずかしくなる。

「ソウヤ、分かっていると思うが俺は、」
「嘘が好きじゃないんですよね。分かってます。嘘じゃありませんよ。本心です。あたたかい家庭で、本当に羨ましい」

 またしても目を輝かせた娘を視線で諌め、なんとか夕食を片付ける。すべて引き上げて一息ついたあと、出てきた立派なケーキにイセは思わず苦笑した。甘いものはそう得意ではない。知っているはずだろうに妻は丁寧にそれを切り分け、イセの前に持ってくる。
 半分に切られたチョコレートのプレートには、「お父さん」の文字があった。
 甘いそれは合わないはずなのに、不思議と酒が進む。少し緊張が解けたのか、タクミに写真を頼まれた。娘は相変わらずソウヤに夢中だ。上官の家ということもあってさほど飲んでいないが、それでも酒の入った男にあれほど近づくのは嫁入り前の娘としてどうかと思う。
 ソファで一人酒を楽しんでいると、賑やかな若い三人を見ながらそうっと妻が隣に座った。昔と変わらない、小さな笑い声が時折漏れ聞こえる。

「ねえ、お父さん」
「なんだ」
「内緒にしていたでしょう、タクミさんが言ってたインタビューのこと」

 黙り込めば、ころころと笑われた。

「でもね、私見ましたよ、ちゃんと。たまたまでしたけれど」
「――そうか」
「ええ。ちゃんと聞きました。……でも、ちゃんと分かってましたよ。最初から、ちゃあんと」
「……そうか」

 小さな頭が肩に乗る。こんな風に夫婦で寄り添うのも、随分と久しぶりだった。

「おい、客が」
「誰も見てませんよ。ほら、見てください、あの楽しそうな顔。タクミさんもソウヤさんもいい子で……。こうしていると、なんだか子どもが増えたみたいな気がしますね」
「息子を持った覚えはない」
「やだ、もう。……きっとそのうちですよ。息子ができるのも。そしたら孫だって、あっという間にできるかもしれないんですからね。あんまり駄々を捏ねると、また嫌われますよ」

 手痛い一言に喉の奥で唸れば、より一層楽しそうに笑われる。誰もが怖がるような渋面を作ったところで、この女は怯えるどころか笑ってみせた。それがとても印象に残っている。
 そっと腕に手を絡められ、肩を抱くこともせずにただ酒を舐める。ソウヤがこちらに注意を戻さないようにと、貰ったばかりの健康祈願のお守りにひっそりと祈った。

「これからもよろしくお願いしますね。怪我をせず、病気をせず、無事に帰ってきてください。約束ですよ、――イセ」
「……ああ、必ず」

 必ず、お前達のもとに帰ってくる。
 どんなときも、なにがあっても、必ず。
 少し慌てたように身を離したズイホウが、「なんだか少し気恥ずかしいですね」とはにかんだ。



(お誕生日おめでとうございます!)
(2013.12.01)

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