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「……休日にすまなかった」
「いえ。イセ艦長のご自宅にお招きいただけるなんて、光栄ですよ」

 言葉や態度こそ丁寧だが、内心面白がっているのが透けて見える。心穏やかではないが、それでもこれがカガでなくてよかった。心の底からそう思う。もしも娘がアレを連れてこいなどとのたまったら、親子の縁を懸けてでも阻止している。
 ぱたぱたとスリッパを鳴らしてやってきた娘が、真っ先にソウヤに杯を渡して銚子を傾けた。

「もうすぐできますんで、先にどうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
「どうぞどうぞ! ――はい、お父さんも」

 ソウヤのときよりは幾分か雑な手つきで酌をされたが、初めてのことに内心驚いていた。ソウヤがいるだけでこれか。じんわりと苦いものが胸の内に広がっていく。
 ダイニングの食卓に並べられていく豪華な食事を横目に酒を飲みながら、イセはソファに深く腰を沈めた。思い描いていた家族の団欒とは程遠いが、今までと比べれば進歩した方なのだろう。そう思って無理やり自分をねじ伏せる。
 食卓の準備が整った頃、娘が持ってきた銚子はすっかり空になっていた。



「それじゃあ、お父さん、タクミさん、お誕生日おめでとうございます」
「先輩、おめでとー!」
「お二人とも、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」

 タクミが微笑むのを斜向かいに見ながら、イセも軽く頷いた。豪勢な刺身の盛り合わせは、今までの誕生日には見たことのないものだ。相変わらず話はソウヤの話題で盛り上がった。
 ヴェルデ基地の食堂の話など微塵も興味ないだろうに、アキサワは目を輝かせて質問を投げている。隊舎の広さなんぞ聞けばいくらでも答えてやるというのに、今までイセは聞かれたためしがない。娘の熱っぽい視線をさらりと業務用の笑顔でかわすソウヤに安心しつつも、少しの動揺も見せない色男ぶりに苛立ちが募る。くれてやる気などさらさらないが、まったく靡かないというのも親として複雑だ。

「そういえば、タクミさんはイセ艦長のファンなんだとか」

 ふと一つの会話が終わったタイミングで、ソウヤがそんなことを言い出した。突然話題を振られたタクミが動揺を隠せない様子でぎこちなく頷いたが、酒も入って上機嫌のアキサワが自分のことのように大きく頷く。

「そうなんですよー、物好きですよね! 先輩ってば、どこがいいのかお父さんのファンだってずーっと言ってて! あたしは前からソウヤさんのファンなんですけどっ」
「でも分かりますよ。俺も艦長のことはとても尊敬していますから。タクミさん、よければ詳しく聞かせていただけませんか? たとえば……、艦長を知ったきっかけとか」
「おい、ソウヤ」
「いいじゃないですか。民間人にはあまり受けのよくない俺達を好いてくれているんですよ。きっかけを知ることができれば、今後の広報にも役立ちます」

 「ソウヤさん素敵!」とすかさず歓声が上がって、イセはそのまま食卓に突っ伏したくなった。妻は相変わらず「あらあら」と笑うだけだ。困ったように目を泳がせていたタクミも、「きっかけは……」とソウヤによってハードルの下げられた質問に応える準備を整えてしまっている。
 不満を酒で流し込み、イセは静かに嘆息した。

「きっかけはニュース番組でした。ちょうど特殊飛行部の特集が組まれているときで、そこでイセ艦長のインタビューを拝見したんです。そのとき、その……、『どうして国内がまだ安定していないのに、他プレートに渡るんですか』というようなことを聞かれてらして」

 ――ああ、あれか。
 記憶に引っかかっていたリポーターの糾弾としか聞こえない質問が、耳の奥で再生された。もっともそれは、今タクミが口にしたものよりももっと過激なものだったけれど。
 国を、家族を見捨てるんですか。大切な人を危険に晒しながら、他プレートを優先することをどう思われますか。
 厳しい口調で叩きつけられたそれに、自分はなんと答えたか。考えるまでもない。何度問われても、胸に浮かぶ答えはたった一つだ。

「そのときのお答えに、とても胸が打たれまして、それで」
「へえ、それ知りませんね。ちなみになんて、」
「――聞くな」

 静かに吐いたはずの台詞は、思いのほか強く響いた。

「そんな怒った風に言わなくたっていいじゃない。どうせ一度全国放送で言ったやつでしょ? だったら広報用の綺麗な台詞なんだから、言っちゃえばいいのに。せっかくソウヤさんが話膨らまそうとしてくれてるのに、感じ悪い」
「アーキ、あんまりお父さんにツンケンしないの。お父さんも。タクミさんを怖がらせちゃ駄目ですよ」

 「ソウヤさんは慣れてるわよねぇ」朗らかに笑う妻の姿に、ソウヤも笑みを零す。敵わないと思うのはこういうときだ。できた嫁を貰うと、頭が上がらなくて自分が嫌になる。

「……すまなかった。気を悪くしたわけではない」
「あ、は、はい。あの……、こちらこそ、すみません」
「いや。――ありがとう、と言うべきだったな」

 ソウヤの言うように、自分の仕事が一般受けしないことはよく理解している。あのリポーターが言った「家族を見捨てるのか」という思いが誰の胸の中にもあるのだということも、十分に分かっている。ソウヤの真向かいでグラスを傾ける最愛の娘が、かつて同じことを言った。

 ――お父さんは、あたしとお母さんよりも知らない人の方が大事なの?

 今にも泣きそうに揺れた声に、あのときの自分は答えてやることができなかった。なにも言わずに背を向けて家を出た。あのあと娘がどうしていたのか、イセは知らない。知る権利を自ら手放した。義務も果たせない親が、ひたすらに我慢を強いられた子に向かって権利をくれなどと言えようはずもない。
 それでも辞める気はなかった。どれほど世間に叩かれようと、どれほど娘に嫌われようと、それでも空軍の道を歩んだ。
 泣きだす瞬間を見たくなくて逃げ出したあのときから、イセは決めていた。「家族よりも、他プレートの人間の方が大切なのか」その質問の答えを。
 何度訊かれても同じ答えだ。揺るがない。誰に訊かれても、いつ訊かれても、今度はきちんと答えられる。――その答えが正解かは分からないけれど。


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