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『どうせお父さんの隊、丸ごと休みの日なんでしょ? だったらさぁ、ソウヤさんも連れてきてよ! お願いっ』
「……なんのために」
『ソウヤさんとお近づきになるために! お父さんの部下なんでしょ? 上司の誕生日に自宅に呼ばれて断る人、そういないって」
「いや、しかし……」
『今まで散々約束破ってきたんだから、これくらいのワガママ聞いてよ』

 そう言われると弱い。部下に対してなら毅然とした態度で接しきる自信があるが、相手が娘となるとどうにも普段の調子が出ない。ああ、うん、いや、その。歯切れの悪い言葉ばかりが唇を割り、「断る」のたった一言が鳴りを潜めている。
 ずくずくと痛み始めたこめかみをほぐしながら、イセは深い溜息を吐いた。

「あれにも予定が、」
『そこをなんとかしてって言ってんの。なんのための艦長なわけ?』
「少なくともお前の欲望を満たすためではない」
『そうだよね、みーんなの艦長様だよね。あたし一人のためになにかしてくれたことなんて、ずっとなかったし。聞いたあたしが馬鹿でしたー』
「――そうではない」
『じゃあなんなの? あたしの誕生日に丸一日家にいたことあった? 発表会に間に合ったことあった? 卒業式は? お偉い艦長様は国は守れても、娘との約束一つ守れないんですね』

 それがどうした、そんな甘い気持ちで艦長が務まるか。国防をなんだと思っている。
 そう開き直れないのは、こちらに負い目がありすぎるからだ。同じ台詞を吐いたのが妻であれば、そう一蹴することができた。俺を選んだのはお前だ。俺はすべての可能性をお前に提示した上で、ついてこられるかどうかを聞いた。覚悟を訊ねた。耐えられないのなら、見限ってくれていい。――それが娘相手ではできない自分の弱さに、イセは思わず項垂れた。
 すっかり不機嫌になってしまった娘は黙りこくっているが、それでも通話は繋がっている。よほどその先輩とやらに義理立てしたいのか、それともソウヤに会いたいのか。
 こんな姿、仲間達には死んでも見せたくない。それも、直属の部下には特に。

「…………何時だ」
『なにが』
「……何時に、連れて行けばいい」
『6時! あ、夜ね、夜! 昼間の内にお母さんとケーキ作っておくから! だから絶対、ソウヤさん連れてきてね! 約束!!』

 何十年ぶりかに聞いた嬉しそうに弾む声に、「分かった」と頷く以外に道は残されていなかった。


* * *



「えっ、すごーい! それじゃあ、ソウヤさんって天然の森林とかも見たことあるんですか?」
「ええ、ありますよ。空気がとても澄んでいました」

 すごーい、いいなー!
 さっきからやたらと甲高い歓声を上げる娘の姿に、イセは渋面のまま床を踏み鳴らしていた。いつの間にか新調されていた淡いグリーンのラグが足音を吸収する。
 ソウヤはイセの妻が淹れた紅茶に口をつけつつ、見たこともないような爽やかな笑みを浮かべて娘のアキサワが投げかける質問に答えていた。かっこいいですね、すごいですね。馬鹿の一つ覚えみたいにみっともない感想ばかり吐き出す娘の頭を叩いてやりたいが、そんなことをしようものなら修復不可能なまでに関係が崩れることは目に見えている。
 アキサワの隣に座って同じようにソウヤの話に耳を傾けているのが、どうやら件の先輩らしい。初対面時の挨拶もきちんとしており、礼儀のしっかりしたお嬢さんだということは分かっている。
 それにしても、居心地が悪い。久しぶりに帰ってきた我が家には知らないお嬢さんと毎日顔を合わせる部下がいて、娘は部下に夢中で父親になど目もくれない。妻は台所で料理の仕上げに取りかかっているから、イセはたった一人でこの場に放り込まれたような感覚に陥っていた。
 ソウヤが気を利かせてイセにも話を振るが、そんなものを求めていない娘によって上手い具合に軌道修正されるから、口を挟む隙などない。一体誰に似たんだ。ちらと台所の妻に目をやったが、彼女は穏やかに微笑むばかりだ。

「アキ、少し手伝ってちょうだい。――ああ、タクミさんとソウヤさんはゆっくりしてらしてね。ほらアキ、早く」
「……はぁい!」

 普段であれば「ええ〜」とでも不満を漏らしそうだったが、ソウヤの前ということもあってか返事は明るい。「ちょっと失礼しますね」と言い置いて台所へ消えていった娘の後姿をぼんやり眺めていると、ソウヤがくすりと笑った。

「元気なお嬢さんですね」
「……ああ」
「目元がよく似ておられます」

 イセとアキサワの目元は確かによく似ていた。眼光鋭く、猛禽類のようだと言われる双眸を自覚している以上、女の子には少々荷が重い遺伝だったかと思わないでもない。すると、向かいの女性――名をタクミといったか――が、柔らかく微笑んだ。

「アキちゃん、知的で美人だって、職場でも人気なんです」

 どう応えていいものか分からず、結局黙り込む。ソウヤが「奥様はお可愛らしいお顔立ちですけれど、お嬢さんは美人ですよね」と、なんのフォローか知らないがそんなことを言ってきた。この部下に直接生意気な口を叩かれたことはないが、それにしたってここまで猫を被られたこともない。余計な真似はするなときつく言い聞かせておいたからかもしれないが、別人かと思うような好青年ぶりに、感じる違和感が尋常ではない。
 座っていればいいものを、タクミも率先して手伝いに行ってしまったため、リビングにはソウヤとイセの二人だけが残された。


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