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「お父さん、12月1日は絶対帰ってきてよね」

 正直に言えば、――嬉しかった。


今度は、必ず。


 テールベルト空軍の特殊飛行部にて空渡艦の艦長を務めるイセには、帰るべき家は二つあると言っていい。それはイセに限った話ではなく、多忙を極める特殊飛行部の既婚者ならば誰しもに当てはまる話だった。
 結婚すれば、大抵の隊員が高層マンション型の官舎暮らしになる。中には基地近くに賃貸住宅を借りて生活する者もいるが、イセの家庭も例に漏れずヴェルデ基地からほんの数分の距離にある官舎で、家族三人つつましく暮らしていた。とはいえ、長期空渡もざらにある隊に所属しているイセは、独身時と同じように基地内の寮に部屋を持っている。ここで寝泊まりすることも多く、この年になった今でも、家族が待つ自宅に帰ることは週の半分ほどもなかった。たった数分の距離でさえ惜しむイセに、同じく妻子持ちの艦長であるヒュウガは「ストイックすぎんだろ」と苦笑を零していた。
 これでも今はまだマシになった方だ。なにせ、娘が生まれたとき、イセは出産に立ち会っていない。病院どころかこの国さえすっ飛ばし、このプレートそのものにいなかった。長期空渡任務を終えて戻ってくれば、立派に離乳食を頬張る我が子と初対面だ。おかえりなさいと微笑む妻が「貴方の娘ですよ」と赤子を抱き寄越し、しっかりとこの腕に抱いた途端――見事に号泣された。
 火がついたように泣きじゃくられた苦い思い出がよみがえり、イセは思わず眉を寄せた。とにかく、最初からそうだった。どんどん大きくなっていった娘の成長を任務の傍ら見守りながら、それでもなんとか父親の務めを果たそうと努力し、様々な約束をして、そのほとんどを裏切ってきた。
 運動会も遠足も、誕生日の植物園も。何度も必ず行くと約束しては、その当日に娘に誓ったのと同じ口で部下に檄を飛ばしていた。気がつけば家にいないのが当たり前の存在と認識されていて、いつの間にか思春期に突入していた娘はたまに帰る父の姿を鬱陶しそうに睥睨し、「邪魔なんだけど」と言い放つ始末だ。
 裏切りの数だけ溝が深まるのはその都度感じていたし、娘が幼い頃は特に家を離れていたから、こうなるのではと薄々覚悟していたが、それでもやはりきついものはある。おっとりとした妻は「あらあら、困った子」などと言って頬に手をやっていたが、「どういう躾をしているのか」などとは口が裂けても言えない。
 妻はよくやってくれている。言葉少なでろくに家にもいない夫に文句一つ言わず、ほとんど女手一つで娘を育て上げてくれた。感謝しこそすれ、不満など出てくるはずもない。
 それでも、――それでも、もう少しだけ父の株を上げておいてくれればよかったのにと思ってしまうのは、人の親として当然の心理と思いたい。
 訓練を終え、部屋――誰も出迎えてくれない方だ――に戻ったイセは、ちょうどいいタイミングで鳴り響いた携帯端末のモニターを確認して目を丸くさせた。意外すぎる名前にしばらく間が空き、慌てて端末を耳に押し当てる。

「――はい」
『もしもし、お父さん? あたしだけど』
「どうした」
『あのさぁ、来週の日曜って休み?』

 娘からの着信ということ自体が珍しいのに、重ねてそんなことを問われて完全に思考が停止した。黙り込んでいると、不機嫌そうな声が「聞いてる?」と鼓膜を刺す。
 適当に返事をしながら手帳を引っ張り出し、日付を追った。来週の日曜日、12月1日はちょうどイセ隊の公休日だ。それを伝えると、どこか嬉しそうな声が返ってきた。ますますもって珍しい。

「来週、なにかあるのか」

 肩で携帯端末を挟み、備え付けの冷蔵庫から水を取り出してベッドに腰掛ける。鷹のようなと比喩される眼差しが幾分か和らいでいることに、イセ本人も気づいていない。

『お父さん、12月1日は絶対帰ってきてよね』
「ああ、大丈夫だ。必ず」
『ま、お父さんの“必ず”は信用してないけど。でも、来週だけはなにがあっても絶対帰ってきて。約束破ったら縁切るから』
「……なにがあるんだ」

 穏やかでない台詞に怯みながら訊ねると、溜息と舌打ちが返ってきて僅かに心が軋む。

『誕生日』
「誕生日? ああ……」

 12月1日はイセの誕生日だ。毎年妻からは手紙と小物が寮に届けられるが、直接自宅で受け取ってやれないもどかしさを感じる日でもあった。そしてその日、娘からなにか貰ったことは、少なくとも彼女が大きくなってからは一度たりともない。
 しかし、そうか。イセは思わず口元に手を当て、意味もなく壁の時計を睨んだ。そうでもしないとにやついてしまいそうだった。
 娘ももう二十歳だ。いつまでも思春期真っ盛りではいられないということだろうか。雪解けの兆しにほっとしたのもつかの間、彼女は面倒くさそうに言い放った。

『お祝いしたいんだってさ、先輩が』
「………………は?」

 イセ隊の部下達が聞けば、目をかっぴらきそうなほど間抜けな声が出た。
 ちょっと待て、なんだその他人事。先輩って誰だ。

『バイト先の先輩が、お父さんのファンなんだって。ほら、お父さんも前に雑誌の取材と情報番組の取材、受けてたんでしょ? あれ見たらしくって。あたしが娘だって知ったら、ぜひとも会いたいって言ってきて。仲良い先輩のお願いだし、それに先輩も1日が誕生日なんだよね。だからプレゼントにちょうどいいかなって』
「……話がよく呑み込めんのだが」
『はぁ? だから、1日に先輩の誕生日をうちでお祝いするから、帰ってきてって言ってんの。――あっ、それでね、お父さんにお願いがあってね!』

 わざとらしい猫撫で声が、混乱しきった頭を掻き回す。


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