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 演習実施日の今日は、朝から誰もが緊張していたように思う。それもそうだろう。開会の挨拶を述べたのが、テールベルト空軍のトップに立つヤマト総司令その人だったからだ。
 見上げるほどの長躯。流れる髪は黒く、その瞳もまた黒い。まるで夜の空に溶けたような色だ。人形のような人だと言い始めたのは、一体誰が最初だったのだろう。冷たさの中に人の熱が同居していて、左頬に残る痛々しい火傷の痕が生々しい。あの視線で肌を舐められると、それだけで鳥肌が立った。染み入るような声も、冷たい視線も、すべてが人の意識を惹きつける。
 忌み嫌われる「白」の軍服を纏っているというのに、彼はどこまでも綺麗だった。それは他国の学生達にも同じ印象を与えたらしい。声にならない感嘆が漏れているのを、ゼロはあの場で確かに聞いた。 

 今日はこれから、地上格闘練習が行われる。ゼロのペアは同じ一年の学生で、対戦相手は確かビリジアンの学生だった。名前も確認したのだが、開会式の間に記憶からすっかり抜け落ちている。
 天気はいいが、吹き抜ける風は幾分か涼しくなっていて、過ごしやすい。戦闘服を着込み、装備品を背負って動けば汗だくになるのは避けられないが、それでも真夏のことを思えばマシだろう。グラウンドに降り注ぐ太陽の光に目を細め、ゼロは着々と準備を進めていた。
 地上格闘練習は全学年を通して行われる。一年生から順に行うので、ゼロの順番ももうすぐだった。隣でベルトを締めるペアのシュミットが、緊張した面持ちで唇を舐める。どんな性格だったかと記憶を辿ると、やたらと生真面目な姿が思い出された。道理で上から下まで、くまなく確認を怠らないわけだ。
 彼に話しかけようとした瞬間、背後でどっと笑声が爆発した。なんだなんだと、その場にいた誰もが振り返る。それはゼロもまた例外ではなく、反射的に首を巡らせた先には、深い青がその場を染め変えていた。――成層圏から見た、空の色。けっして藍ではなく、鮮やかな青空の色でもない。戦闘機乗りでなければこの目で見ることが難しいその色を纏った国がどこかなど、わざわざ頭で思い出さずとも分かる。

「……カクタスの学生か。品がないな」

 不快そうにそう言ったシュミットの声は硬質で、細められた淡い茶色の双眸から、彼らを歓待していない様子が伺えた。
 テールベルトでは色素の濃い髪や目を持って生まれてくるものが多いが、西の一部の地域では、シュミットのように淡い色素を持つ者が多いと聞く。カクタスやビリジアンにも引けを取らない骨格といい雰囲気といい、同じテールベルト人という分類にあることが不思議なほどだ。

「私は、ああいった不真面目な連中が好きじゃない。演習をなんだと思っているんだ」

 シュミットは明らかにゼロに同意を求めていたが、自分も真面目な方ではないので聞こえないふりをした。五人ほどの青の塊は、誰もが皆、鮮やかな髪と目を持っていた。それらの視線がこちらを向いていることに気がついて、ゼロの目が丸くなる。
 五人のうち、最も体格がいい男と目が合うなり、彼は勢いよく噴き出した。

「アッハハ!! オイオイ、見ろよあそこ! ボウヤがいるぜ。テールベルトはこんなお子様の入学もありなのかよ。恐れ入った!」
「あんまり意地悪して泣かすなよ、ワイル。ちびられたらどうすんだ」
「おしめしてたら大丈夫だろうよ」

 隣のシュミットの顔がさらに険しくなるのが分かったが、それ以上に自分の顔が引き攣るのを感じてゼロは舌を打った。
 一部地域を除き、テールベルトの人間は他国と比較すれば、若く見られやすい顔立ちをしている。そんなテールベルト国内においてでさえ、ゼロは童顔と言われて年相応に見られたことがなかった。十八だというのに、三つ四つ下に見られるのは当たり前で、「初等学校の生徒さん?」と声をかけられたことも一度や二度ではない。
 ――だから。だから、あのくらいの暴言は、甘んじて、猛烈に不愉快ではあるが、甘んじて聞き流そう。他国の学生と揉め事を起こそうものなら教官にどんな目に遭わされるか、そんな恐ろしいことは考えたくもない。
 拳を握り締めることによって、革手袋がギュッと鳴いた。不機嫌を露わにしたシュミットが「気にするな」と声をかけてくれたが、それを聞いているだけの余裕はない。
 目を閉じて呼吸を整える。脳裏に空を思い描けば、少しは気持ちが落ち着いた。余計な音は排除し、今目の前のことに集中しろ。
 そうして長く吐き出した呼吸を妨げるように、目の前に影が落ちてきた。

「ははっ、ほんとだ。兄貴もたまには正しいこと言うんだね」
「……は?」
「き、君、足をどけろ! 私の上着を踏むな!!」

 シュミットが喚く。
 真正面から見下ろしてくる影を見上げた瞬間、星が見えた。カクタス空軍のシンボルマークは、星を貫く矢だ。確かにそれは彼の制服に刻まれているけれど、それとは違う。真昼間から輝く星が、そこにあった。陽光の下で輝く淡い金の髪は、星屑を集めて固めたかのような色だった。瞳は鮮やかなスカイブルーで、地上から見上げた、雲一つない晴天の色と同じだ。
 音もなく駆け寄ってきた彼は、ベンチの背を軽々と飛び越えてゼロの目の前に降り立ったのだ。まるで猫のような身のこなしだ。唖然とするゼロをまじまじと見て、彼はにんまりと笑った。
 指先で顎を掬われ、彼の親指が口角を押す。

「かわいいね、チビちゃん。でも、怪我しないうちにお家に帰ったらどうだい? きっとママが心配してるよ」

 ぶちり。ゼロの愛読している漫画であれば、そんな擬音が付けられていただろう。
 頭で考えるよりも先に、ゼロは目の前の男の胸倉を掴んでいた。 

「もっぺん言ってみやがれ! 誰がチビだって!?」
「おっと! 案外威勢がいいな」
「ゼロ、やめろ! 先に手を出すのは、」
「るっさい、黙ってろ! 俺は“チビ”って言われるのが一番ムカつくんだよ!」

 たとえそれが事実だろうと、腹が立つものは腹が立つ。初対面の人間に、それも明らかに嘲りを含んだ物言いをされて、平気な顔をしていられるわけがない。
 頭突きの一つでもかましてやろうかと唸っていたゼロの隣で、シュミットが優等生のお説教を垂れ流している。目の前でにやにやと笑う男に意識をすべて持っていかれているから、そんなものはまったく耳に届いてなかったのだけれど。
 澄ました顔に向かって拳を振り上げたその瞬間、ゼロの身体を浮遊感が襲った。


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