2 [ 29/193 ]



* * *



 夜とはいえ、未だに熱を持った生ぬるい風が身体に纏わりつく。それでも日中と比べれば幾分か過ごしやすい気温の中、キリシマは弾む景色を見ながらやや後方に視線を巡らせた。

「ゼロくんも選抜メンバーに入ってるの? すごいね。まだ一年生なのに」
「うんっ、でもっ、あれっ、まだ、確定、じゃ、ない、んだろっ? 別に、嫌じゃ、ないけど、さっ。でも、俺が出て、また妬まれんのっ、めんどっ、くさい」
「まあまあ。でも大丈夫だよ。ゼロくんが飛んでるところを見れば、誰も文句なんか言えないから」
「それでも、言う奴は、言うんだ、って!」

 途切れ途切れに吐き出される言葉を聞きながら、キリシマは苦笑した。ゼロはまだ空軍学校の一年生という立場でありながら、その目を瞠る空戦技術からすでに飛び級が確定している「空の悪魔」だ。かわいらしい彼には縁のなさそうな物騒な二つ名は、彼のあまりの速さに追い縋ろうとした機体が、飛行樹に負荷をかけすぎて何機も内部発火を引き起こしたことからつけられた。地上ではあどけさなが残る少年だが、空の中では人が変わる。技術も判断力も、他の空学生とはすべてが別格だった。
 キリシマにとって、模擬空戦で初めて負けた相手がゼロだ。兄のハルナの連勝記録に並ぼうとしていた折、ゼロを相手にして見事に負けた。あまりに見事な技術を見せられ、不思議と悔しさはなかった。それ以来、キリシマとゼロは交流が増え、夜にはこうして一緒にランニングをする仲にまでなっている。
 年齢や階級を重要視しないゼロの態度は生意気だと口を尖らせる者も多いが、キリシマは特に気にならない。それどころか、なにを思っているのかすぐに口に出してくれる分、付き合いやすくもあった。
 後ろをついてくる足音が乱れたのを聞き、今度は視線だけでなく頭ごと振り向く。眉間にしわを刻んだゼロが、前髪を上げて露わになった額に汗を浮かべていた。

「センパっ、俺、もうキツっ、ごめ、ペース落としてっ」
「え、もう? ……ゼロくんって、本当に体力ないよね。まだ十キロしか走ってないよ?」
「あんた、のっ、ペースに、合わせて、たら、死んじゃ、う!」

 ぜえぜえと荒い呼吸の合間に睨まれて、キリシマは心なしかペースを落とした。これでも一人で走るときに比べれば、遥かにゆっくりとしたペースで走っている。逆に足が疲れてくる速さだというのに、それでもゼロにとってはきついらしい。
 必死に食いついてくる小さな頭を見下ろして、「仕方ないかぁ」と胸中で呟いた。体格に恵まれなかったゼロと長身のキリシマでは、三十センチ近くの身長差がある。そうなってくると当然足の長さも大いに変わるので、キリシマのペースについてくるのはそれだけでしんどいのかもしれなかった。
 ようやっとキリシマの呼吸も上がってきた頃合いで、今夜はお開きにすることにした。歩いて呼吸を慣らしていると、今にも倒れ込みそうなゼロがペットボトルの水を頭から浴びる。犬のように頭を振るから、冷たい雫がキリシマにもかかった。
 王族でもないのに深緑の髪が濡れて濃さを増し、夜に溶け込んでいる。綺麗な色だ。本人にそれを言えば、「たかが髪の色くらいでみんな騒ぎすぎ」と溜息を吐くのだろう。
 ゼロは童顔を隠そうと目論んで前髪を上げているらしいが、子どもが背伸びをしているようにしか見えないので正直逆効果だ。女性が羨ましがりそうな小さな顔には、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。

「それにしても、空学生同士の合同演習かぁ。二ヶ月後だから、あっという間だよね。体調整えておかないと。ゼロくん風邪引きやすいんだから、気をつけてね」
「……あんた、ほんっと変。母親かよ」
「ゼロくんのお母さん、こんな感じなの?」
「もういいっ! 俺、もう風呂入って寝る! そんじゃあね、センパイ、また明日!」

 キリシマや他の空学生と比べれば幾分か薄い肩をめいっぱい怒らせて、ゼロは足早に駆けていった。どうせ風呂場で一緒になるのだから、「また明日」もなにもないのに。
 走っていく小さな後姿を見送りながら、遠くの滑走路から飛び立つ飛行樹の光に意識を向けた。ヴェルデに構えるこの空軍学校は、滑走路とグラウンドを挟んでヴェルデ基地と隣接している。移動に車を使うほどの距離があるから隣り合っている感覚はないものの、空に上がれば「すぐ近く」だ。
 夜空を切り裂く飛行樹は、ここからだととても近くに見える。
 目指す場所はとても近いのに、遠い。不思議な気分だった。

「三国合同演習、かぁ……。どんな子達が来るんだろう」

 テールベルト、ビリジアン、カクタス。このプレートにおいて主要三国と呼ばれる国々は、それぞれが独自の技術を発展させている。その目に見える技術の塊は、どんなものなのだろう。
 あっという間に辿り着いた風呂場の脱衣場で、ゼロに「なんであんたも来るんだよ!」と理不尽な怒りをぶつけられながら、キリシマは二ヶ月後に思いを馳せた。


* * *



 キリシマの言ったように、訓練に明け暮れる身にとって二ヶ月という時間など、あっという間に過ぎていった。
 一ヶ月前に発表された正式な選抜表には、しっかりとゼロの名前が載っていた。掲示板を見に行った際、突き刺さる視線の居心地の悪さに腕が痒くなったのを覚えている。
 合同演習のメインは二機編隊を組んでの模擬空戦だ。狙ったのか、それともたまたまなのか――おそらく前者だろうが――、ゼロと組むのはキリシマだった。編隊長機(リーダー)がキリシマ、僚機(ウイングマン)がゼロだ。さすがに一年生に長機は任せられなかったのだろう。なんにせよ、キリシマでよかったとゼロは肩を竦めた。相手が「特別扱い」されている人材でも、私情を挟まず飛べるのはキリシマくらいなものだ。それに、実力も。
 演習というくらいだから、それほど力を入れずともいいだろう。飛ぶからには落とされるような真似はしないが、僚機で大人しく指示に従っていれば問題ない。余計なことをして反感を買うのもごめんだった。

 空軍学校施設内には、もう三日前から他国の空学生達が待機していた。腹が立つことにどいつもこいつも長身で、目鼻立ちもはっきりした者が多かった。
 恵まれた体格を見て、羨ましいと心底思う。ゼロの身長は成長期だというのに一向に伸びる気配などなかったし、薄い身体にはどれだけ食べて鍛えても、最低限の筋肉しかついてくれなかった。


[*prev] [next#]
しおりを挟む

back
top

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -