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 追いかけても追いかけても、届かない。

 青空に浮かぶ星の光。
 あるいは、最速の翼。

 ならば、落とせ。
 ――届かぬのなら、撃ち落とせ。


Wing of the Beginning.


 照明の落とされた講義室でスクリーンと向き合いながら、ゼロはばれないようにひっそりと欠伸を噛み殺した。教官の淡々とした説明が続いているが、正直まったく頭に入ってこない。飛行速度と旋回率、旋回半径との関係を説明しているようだが、それを必死で書き写したからといって、机の上では空は飛べない。難しい公式の上に飛行樹が成り立っていることは理解しているが、その公式を覚えたからといって翼が得られるわけではないことも知っている。
 うとうとと舟を漕ぎ始めたところで、後ろから思い切りバインダーで殴られた。「いっ!」目の前に星が散る。部屋を見回っていた助教にぎろりと睨まれ、慌てて取り落としたペンを握ったが、マイクを片手に教鞭を振るっていた教官が鋭い目つきでこちらを見た。

「――またお前か、ゼロ。そんなに眠いなら、目ぇ覚まさせてやろうか? え?」
「起きてる起きてる! 大丈夫!」
「どうせノートも取ってねぇだろ、その場でスクワットして聞いてろクソガキ! ――返事!」
「……はぁい!」

 くすくすと漏れる笑声を聞きながら、ゼロは渋々通路に出てスクワットを始めた。逆らったところでより厳しい指導が待っているだけなので、大人しく指示に従う。必死にノートを取る他の学生達を眺め見ながら、ゼロは弾む呼吸に交えて首を傾げた。本当に不思議な光景だ。あの青の中に飛び込んだとき、必要とされるのがあんな公式ではないことは誰もが知っているはずなのに。
 飛べば分かる。飛べば、分かるのだ。
 地上で習う知識は、ディスプレイの見方や計器の見方、トラブルの対処法くらいで十分だ。どこをどう動かせばどう動くのか。どのスイッチがなにを意味しているのか。こんな公式、なんの役にも立ちやしない。そんなことを言えば腕立ても追加されてしまうだろうから、ゼロは静かに唇を引き結ぶ。
 スクリーンにはお手本として、鮮やかに身を翻す深緑の飛行樹が映し出されていた。モデル飛行としては文句のつけどころがない、美しいとしか言いようのない飛び方だ。誰が操縦桿を握っているのか、ゼロにはすぐに分かった。矢のように空を駆けたかと思えば、木の葉のように舞う。資料映像用の撮影だからか、その動きは基本に忠実だ。まったくブレのないハイGターン、絵に描いたようなループ(宙返り)。機体に刻まれたエンブレムは、翼を広げた孔雀だった。テールベルト空軍特殊飛行部の隊員にのみ乗ることが許された、この国の技術が結集した最新鋭機だ。
 機体そのものの性能ももちろんだが、パイロットの腕がその性能をさらに高めているのだろう。「きれー……」青の中を自由に舞う深緑に、思わずそんな言葉が漏れた。
 あの人の飛び方は、何度も何度もチェックした。暇さえあれば映像を繰り返し再生して、そのたびに感嘆の声を上げた。実際にこの目で模擬空戦を見学できたときは、血が沸き立つのをはっきりと感じたものだ。

「ハルナ二尉、やっぱすげぇなー……」

 暗闇にしゃがんだままじっと見惚れていると、再び見回りに来た助教に今度は思い切り尻を蹴り上げられ、ゼロはぎゃっと悲鳴を上げて前のめりに転がった。



「今日の講義はここまでだが、お前達に重要な連絡がある。心して聞け。えー……、急な話ではあるが、二ヶ月後に、テールベルト、ビリジアン、カクタスでの三国空軍学校合同演習が執り行われることになった。場所はこのテールベルト、ヴェルデだ。詳細は後日発表されるが、模擬空戦や地上格闘戦、山岳訓練なども予定されている」

 講義が終わった頃、ゼロはすっかり体力が底をついてへとへとになっていた。足が生まれたての小鹿のように震えている。滴る汗をぐいと拭ってその場に座り込んだら、無言で助教に後ろ襟を掴まれ、子犬でも持ち上げるかのようにして椅子に座らされた。
 荒い呼吸で教官の声に耳を傾ける。

「テールベルトがホストとなるからには、準備もお前達の仕事だ。心してかかれ」

 不満の代わりに「はい!」と勢いよく返事をするあたり、一年生とはいえよくしつけられている。他人事のようにそう考えていたら、教官の視線が再びこちらを向いた。

「ここで解散とするが、ゼロ、お前は残れ。話がある」
「ええっ!? だって昼メシ、」
「返事!」
「はぁい!!」

 少し居眠りしたくらいであんまりだ。唇を突き出せば、案の定周りからは笑声が聞こえてくる。先に講義室を出る同期達が、にやにやしながら肩を叩いて「お前の分まで食っとくよ」などと言うのだから、余計に腹が立つ。
 食堂は混雑するし、なにより時間を逃せば、食いっぱぐれることになる。夜ならまだしも、昼食を抜いてすぐさま午後の課業に入るのはきつすぎる。
 うんざりしながら他の仲間達を見送って、ゼロは教官の元へと向かった。お説教なら早いとこ終わらせてほしい。そんな思いが顔に出ていたのだろう。前髪を上げて露わになった額に、容赦のない指弾を一発食らった。

「いって!」
「まったく……。お前は地上じゃただのクソガキだな、ほんとに。お前、今日俺が説明してやったこと復唱してみろ」
「えっ、ええっと……、低速で、なんちゃらがどう、とか……?」
「お前……頭の中身も“ゼロ”だな、クソが!!」
「痛い痛い痛い痛い!! すみませんでした次からちゃんと聞きますごめんなさい!」

 テールベルトの男性平均身長に遠く及ばない小柄な身体は、屈強な身体に押さえ込まれれば逃げ出すだけの力を持たない。ただでさえ筋肉が付き難くて悩んでいるというのに、それを思い知らせるかのように技をかけてくる教官が憎らしい。
 締め上げられた関節の痛みに嘆いていたら、助教が呆れたように「それよりも本題を」と助け船を出してきた。本題? お説教がメインではなかったのだろうか。女みたいだとよく言われる大きな瞳をきょとんと丸くさせていたら、後ろ頭を軽く叩かれ「落ちるぞ」と揶揄された。

「あー……、さっきも言ったがな、二ヶ月後の合同演習、模擬空戦も行われる」
「ああ、あれでしょ? 二機一組の、」
「敬語を使え馬鹿たれ。――で、だ。全員が全員その模擬空戦に参加できるわけではなく、実力と経験を備えた上級生数名を選抜して行う予定だ」
「ふぅん……」
「……ここまで言って分からんか。さすがだな。――いいか、まだ確定ではないにしろ、協議の結果、お前もそのメンバーの中に選ばれている。心しておけ」
「へっ? 俺も!? え、なんでっ!?」
「『私もですか』だ、何度言わせる気だクソガキが!」

 バインダーの背がまっすぐ頭に振り下ろされ、あまりの痛みにゼロはその場に蹲った。



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