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 娼婦がどういう存在で、母と父がどうして出会ったのか。それを知ったのも、もう少し大人になってからだ。結婚するに至った経緯については、祖父が教えてくれた。カクタスの路地裏で客引きしていた母を見初めたのがすべての始まりだったらしい。ソウヤは確かに二人が出会ってから授かった子だが、父親がアマヤという確証は持てないとも言っていた。
 もう、どうでもよかった。
 自分は確かに母と父の子なのだ。それは確かだ。
 
「……ま、よくある話だな」

 ケンカして家を飛び出してみれば、それが最後の言葉になるだなんて。
 ドラマや小説で使い古された展開だ。そんな展開のドラマを見るたびに、どうしようもない吐き気が襲ってきたけれど。
 今更両親を乞うて泣くような傷は残っていないが、あれだけは心の奥深く、最も柔らかい部分に膿んで治らぬ傷を残している。普段はけっして表に出ることはない、自分でも忘れがちな傷だった。
 汗を流して髪を拭いているとベッドサイドで携帯端末が鳴いているのが聞こえ、一人部屋なのをいいことになにも纏わずにシャワールームから飛び出した。濡れた床はあとで拭けばいい。
 表示されていた名前に、思わず眉が寄る。

「――はい、ソウヤです」
『もーう、おっそいですよソウヤくん! ちょっとお伝えしたいことがあるので、司令室まで来てください。いますぐに!』
「……了解しました」

 時計を見たが、課業開始にはまだ早い。
 窓を叩く雨音に急かされるように、ソウヤは素早く着替えて指令室へと向かった。



「――というわけで、ヴェルデ北部の山間部の視察に行ってきてほしいんです」

 黒革の大きな椅子に、白い髪が映えている。
 顔だけ見れば女性にも見える性別不詳の基地司令ムサシは、満面の笑みでそんなことを言い放った。ぎゅっと手を胸の前で組み合わせ、ムサシはさらに重ねる。

「パートナーには広報のキッカ三曹をつけますから」
「はい? 女ですか? ――いま?」
「はい、いま」
「――私は確か、外出禁止が言い渡されていたと記憶しておりますが」
「ああー、ソウヤくん、そんなこと言ってお仕事サボる気ですか? ダメですよ、そんなこと。めっ、ですよ!」

 びしっと指さすその手も、子供のように膨らませた頬も、単なる色白とは違う不思議な白さを持っている。見た目こそ二十歳前後だが、実年齢はもっと上なのだろう。どう考えてもそうは思えないが。
 ムサシは胸まで伸ばした髪をくるくると指に巻きつけて、机の上の資料を目線で示した。促されるままにそれを受け取り、目を通す。

「どうも北部で感染者の噂が絶えません。レーダーにも引っかかっていないので、おそらくは誤報と思いますが、通報があった限り対応しないと問題ですから。サクッと行ってきてください」
「謹んで拝命しますが、私の現状から鑑みて、女性隊員をパートナーにつけるのはいかがなものでしょうか」
「だーいじょうぶですよう。といいますか、いまのソウヤくんに男性隊員と一緒に出歩かせる方が、軍にとってマイナスイメージついちゃいます。女の子の方がまだ安心安全。もちろん、ソウヤくんが手を出さなければの話ですが」

 けらけらと笑って、ムサシはレンズの奥から淡い金茶の瞳を細めて言った。

「お行きなさい、ソウヤ一尉」


* * *



 拭っても拭っても視界を滲ませる雨のカーテンが煩わしい。
 車の助手席で資料を睨んでいたソウヤは、緊張した面持ちでハンドルを握る広報官にちらと視線を向けた。この悪天候で山道を走るのはさぞ神経を使うだろう。それも、日頃関わることのない特殊飛行部の隊員と突然組まされたとあってはなおのこと。

「疲れたら代わるから、すぐに言え」
「えっ? あ、いいえ! 平気です、大丈夫です! 運転は慣れてますから! 雨だからちょっと緊張しているだけで……」

 平気です。そう言いつつも、視線は目の前を睨むように見つめたままだ。
 そのくせソウヤがサイドミラーに目をやったのを目ざとく見つけ、少しばかり声を沈ませた。

「……ついてきてますね」
「あ? ……ああ、そうだな。雨の中ご苦労なこって」
「でも、大丈夫ですよ。この状態なら、回り込まれない限り写真は撮れません。三日前からの大雨で脇の川が増水してますし、無理な追い越しはしないはずです。これから道も狭くなりますし」
「へえ?」
「私、カメラ担当なので分かるんです。どうやったら撮りやすいかとか、逆に、どうやったら撮りにくいかとか。……もしかしたらムサシ司令、それを考えて私を選んでくださったのかもしれませんね」

 どうだかなぁとぼやき、ソウヤはサイドミラーを覗いた。雨滴でよく見えないが、数台の車がぴたりとついてきているのが分かる。基地を出るなりフラッシュが焚かれたので、向こうももう存在を隠すつもりはないらしい。
 あの執拗さは、一番最初に暴露記事を出した出版社だろうか。

「あの、ソウヤ一尉、覚えてらっしゃいますか? 私、以前、ソウヤ一尉の取材をさせていただいたことがあるんですけど……」
「軍内誌の? あー……、記憶にあるような、ないような」
「ですよね、すみません。でも私、あのとき、すっごく楽しくって。だから、今回の記事を見てとってもびっくりしました。――あっ、今回って言っても、あの週刊誌じゃなくって! 『グリーブ』とかその辺りの!」
「分かったから前見ろ、前! 車揺らすな!」
「すっ、すみません!!」

 蛇行した車にひやひやしながら、ソウヤはキッカの言葉の続きを待った。
 雨音が車を叩く。
 ごうごうと勢いよく流れる川の音が、獣の唸り声のようだった。



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