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「雑誌の中のソウヤ一尉、すっごくかっこよくて、キラキラしてて……。とってもきれいだなぁって。でも、私が以前取材させていただいたときの一尉は、なんて言うか……失礼ですけど、ちょっと意地悪な感じがしてたんです。こっちをからかうような感じで笑ってて。なんだか、無邪気な子どもみたいで」
「上官捕まえて子供とはなぁ」
「あっ、すすっ、すみません! そういうつもりじゃっ」
「――で? いいから思ってること全部吐け」
肘をついて横目で見やると、一瞬だけ視線を絡めたキッカが耳まで赤く染めて口籠った。
あの、その。その口をこじ開けて本音を引きずり出すのは簡単だが、根気よく待っていた方が面白そうだ。じっと見つめれば見つめるだけ、言葉は渋滞を起こして彼女は困惑の渦に呑まれる。
「だ、だから、その……。おっ、おこがましい、ですけど! 私の方が、その……、よく、撮れるなぁって、思っちゃったり、しまして……」
「ほう?」
「もっ、もちろん『グリーブ』の一尉はとってもかっこよかったんですよ!? でも、あの……ハイ。ゴメンナサイ限界ですお許しを」
「お前から言いだしたんだろうが。――っと、オイ、この先落石の可能性もあるから気をつけて走れよ。事故ったらシャレになんねぇからな」
大きなタイヤが砂利を踏むのを感じながら、狭い道を進んでいく。先に、少し膨らんだカーブが見えた。川は黄土色に濁り、さらに激しく流れている。
ぼんやりと外を眺めていたソウヤは、ミラーに映り込んだ黒い車の車体にぎょっと目を瞠った。
「おいっ、止めろ!」
「え? ちょっ、やだ、うそ!?」
運転席から悲鳴が上がる。激しいブレーキ音。衝撃。ほぼ同時に聞こえた凄まじい水音に、ソウヤは反射的に外に飛び出していた。
激しい雨が全身を叩きつける。
カーブで抜いて写真を撮ろうとしたのだろう。上手くハンドルを捌ききれずに川に突っ込んだ車体を、ごうごうと唸る濁流がもう半分飲み込んでいる。
こんなときだというのに後続の車から数人が飛び出してきて、流されていく車体を撮ろうとカメラを構えた。ああもう、好きにしろ。舌打ちして車に戻る。
「ああああのっ、いちっ」
「お前はここにいろ。救急呼べ、本部に連絡! 俺は今から救助に入る!」
「は、はいっ!」
積んでいたロープと簡易飛行樹を引っ掴み、しっかりとロープを腰に巻きつけて飛行樹のグリップを握った。
勢いよく地面を蹴り上げて飛び上がる。川の流れが速すぎる。川底の岩にでも引っかかったのか、途中で車体が止まったことが不幸中の幸いだった。
雨で滑るグリップを必死で掴み、腹を見せた車の上に降り立って、かろうじて顔を覗かせているフロントガラスを叩き割る。
「馬鹿が! カメラなんざどうでもいい、さっさと掴まれ! 死にてぇのか!」
その凄まじい剣幕に、中にいた記者二人が竦み上がった。
* * *
――テールベルト空軍特殊飛行部隊員ソウヤ一尉、豪雨の中たった一人で人命救助。
氾濫しかけた川に転覆した報道記者の車を、自らの危険も顧みず即座に救助に向かったソウヤ一尉。
連日の報道でマスコミに対する不信感は高まっていただろうに、なぜ彼は迷うことなく危険に立ち向かうことができたのか――……。
「――『それは彼が、我々テールベルトの国民の命を守るヒーローだからです』ですって、ソウヤくん! すごいじゃないですか、お手柄ですね!」
「はあ……」
きゃーっと歓声を上げるムサシにうんざりとした様子を隠そうともせず、傍らでナガトが雑誌を捲って悔しそうにテーブルを叩いた。盆の上で調味料の瓶がガチャガチャと音を立てる。
「うわ、なにこのショット。映画みたいじゃないですか! ソウヤ一尉ばっかりずるい!」
「そう思うならテメェも川飛び込んで来い」
「偉そうに言うなアカギのバーカ」
「ァア!?」
「やかましい! ナガトもアカギも、飯くらい静かに食えんのか!」
「とか言いつつ、ハルちゃんも騒ぎたいくらい嬉しいくせに〜」
「んなっ……!」
連日の報道は相変わらずだが、今度は毛色がごろっと変わった。どこもかしこもソウヤを持ち上げるものばかりで、『グリーブ』など元はただのファッション誌だったにも関わらず、特集号を出してテールベルト空軍の面々を紹介したほどだ。
ソウヤを責める声は未だにどこかで燻っているも、表立って出てくるのは絶賛の嵐だ。
どうせこの熱もすぐに冷めるだろう。
あれほどしつこく降り続いていた雨も上がり、今では青空が広がっている。食事が終われば飛行時間だ。ぎゃんぎゃん騒がしい仲間達に囲まれてうんざりしていた頃、すっかり聞き慣れてしまったシャッター音が耳に届いた。
「――お」
近からず遠からずの距離で、キッカがカメラを構えている。
先日、ソウヤの雄姿をしっかりと収めたあのカメラだ。
カメラを下ろして笑ったキッカは、誇らしげに敬礼して去っていった。
「……ところで、司令」
「はーい?」
ナガトに後ろから抱き着いている基地司令を見下ろしながら、ソウヤは食べ終わった食器を片づけるべく席を立った。
大きな瞳が無邪気に見上げてくる。
「今回の件、狙ってましたか?」
「ええ〜?」
笑って誤魔化される。どうせ答えなど帰ってこないと思っていたので、気にせずソウヤは礼をしてから踵を返した。その背に、ナガトの短い悲鳴が聞こえる。なにが起きたかなどわざわざ確認したくもない。
「ソウヤくん」明るいムサシの声に、肩越しに振り返る。
「よくがんばりました」
その笑顔に、今更ながら、この人が基地司令だということを実感した。
* * *
青が、広がる。
白い雲が眼下に漂い、薄い青から濃い青へ、空は色を変えていく。
翼がなければ見ることのできない、特別な青。
――大っ嫌い。
呪う声は途切れない。
褪せることのないその声は、誰にも見せない心の奥深くをじくじくと傷つける。
あの声はきっと、一生自分を責め続けるのだろう。
ソウヤ本人が忘れても、知らないところで傷を残し続けるのだろう。
「――そら、敵さんのお出ましだ。気ィ引き締めていけよ」
それでいい。
それで、いいから。
どうかこの色を、見て。
(あの日の後悔は、消えることなく心を喰らう)
(青い鳥の行方はどこに)