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 笑って夕飯の準備を再開させる母の背中に、「うんと高い空の色」をした瞳を投げる。明日からどんなにからかわれても、笑ってやろうと思った。この色は、翼がないと見られないのだ。地上にいる限りは見られない、特別な色。
 すっかり機嫌のよくなったソウヤは、その日のシチューを三杯もおかわりした。



 青い目の秘密を聞いてから、数日後。
 今日もタノウとその取り巻き達がソウヤを囲み、目のことを散々からかってきた。ああきた、と思った。もうなにも怒る必要はない。だからソウヤは、ふふんと得意げに笑って語ってやったのだ。
 青い目の秘密を。特別な色のことを。
 するとタノウ達はぐっと息を詰まらせ、よく分からない言葉を並べ立てた。その言葉の意味は分からなかったけれど、彼らの様子から、母を悪く言っているのは分かった。
 そしてとんでもない言葉を言い放ち、ソウヤを指さして笑ったのだ。どのタイミングで殴り掛かったのかよく覚えていない。
 いつもの乱闘はいつも以上の激しさで、すっ転んで額が切れても、殴られて鼻血が出ても、ソウヤはけっして手を緩めなかった。タノウの腹の上に馬乗りになって殴っていたところをツラギに見つかり、慌てて飛んできた先生の手によって引き離されたのだった。
 お互いボロボロで、口の中が切れたタノウはぴいぴいと泣きながら先生に縋っていた。いい気味だ。「ソウヤくん、どうしてこんなことしたの!」叱りつける声になにも答えないでいると、タノウの取り巻きの一人がケンカのいきさつを説明し始め、それによって先生の顔色が変わった。
 先生はソウヤを医務室に放り込み、タノウ達をどこかへ連れて行った。

 ――なんなんだ、あいつら。

 ずきずきと痛む頬を押さえることもせず、擦り剥けた膝も構わずにソウヤは走った。石畳を跳ぶように駆け、乱暴に玄関を開け放つ。
 そういえば、今日は父が休みだった。びっくりした顔のままこちらを向いた父は、ソウヤの様子を見てさらに目を丸くさせた。台所から、声をひっくり返らせて母が駆け寄ってくる。頭に包帯を巻いているからさすがに今日は叩かれないだろうけど、いつもよりも数倍大きな声で名前を呼ばれた。

「ソウヤ! あんた、いったいどうしたの!?」

 まるで悲鳴のようだった。
 噛み締めた唇から血の味が広がる。油断をすればすぐに潤んでしまいそうな瞳に力を入れて、ソウヤは慌てる母をぎっと睨んだ。「ソウヤ?」父が心配そうな顔をする。

「どうしたの、ソウヤ。ねえ、なにが、」
「――インバイって、なに」
「え?」
「ショーフってなに」
「あんた、そんなの、どこで……」

 両親の顔がさっと青褪めていく。
 肩に置かれた母の手が震えているのを直に感じて、ソウヤは泣きたくなった。

「タノウたちが言ってた。母さんはインバイだって。ショーフなんかしてたから、ケガレテルって。……だから、だから、おれは父さんの子じゃないんだって。誰かほかの、全然知らない人の子どもだって」

 「なんてことを」呻くように父が言い、母の肩を抱いた。

「なあ、ちがうよな? あいつら、勝手に言ってるだけだよな? だっておれ、ちゃんと父さんの、」
「――ソウヤ、よく聞いて。今のあんたには難しい話かもしれないけど、母さんできるだけ分かりやすく話すから。だから、よく、聞いて」
「オビ! そんな話はしなくてもいいだろう!」
「そんなって言わないで! あんたが、……アマヤが、“そんな”なんて、言わないで……!」

 涙を滲ませながら、母が怒鳴った。
 途端に父が叱られた犬のようにしゅんとして、もごもごと謝る。何度も泣かされたというのは嘘ではないらしい。
 母はソウヤの前に膝をついた。目の高さが同じになって、揃いの青い瞳がこちらをじっと見てくる。ねえ母さん、なんで泣くの。

「あのね、ソウヤ。――母さんはね、確かに、そういうお仕事をしてた。昔の話よ。でもね、そこで父さんと出会って、結婚したの。今のあんたには分からないだろうけれど、“アマヤは客じゃなかった”のよ。だからあたしは、アマヤを好きになったの」

 いつもは自分を「母さん」、父を「父さん」と言う母が、自分のことを「あたし」と言い、父のことを名前で呼んだ。まるで、自分の母親ではなくなってしまったような、奇妙な感覚だった。
 青い目から、透明な雫がいくつもいくつも零れていく。
 母の肩に手を置く父の顔もまたつらそうで、今にも泣きそうだった。

「でも、でもっ、ショーフって仕事なんだろ? それがなんで、」
「そういうお仕事だから! ……ほんとは赤ちゃんが欲しいくらい好きな人とすることをね、たくさんの人と、しなきゃいけないお仕事だから。――ごめん、ごめんね、ソウヤ。でもね、ソウヤは、ちゃんとあたしとアマヤの子だから。お願い、信じて。許して、お願い……」
「そんな……」

 「信じて」だなんて。
 「許して」だなんて。
 まるで、本当はそうじゃないと言っているみたいじゃないか。
 顔を覆って泣き崩れた母を強く抱き締めて、父が「大丈夫だよ」と囁く。ごめんなさい、ごめんなさい。何度もそう繰り返す母は、いつもソウヤを叱りつける母とは別人だった。

 ――お前の母ちゃん、インバイだろ。ショーフなんかやってたから、ケガレテルんだ。
 ――その目だって、インバイの証だ! なにが特別な色だよ、きったねぇ!
 ――誰の子かもわかんねぇくせに!

 笑って一言、「なにそれ」と言ってくれればよかった。
 「あんたは母さんと父さんの子よ」そう言って、頭を撫でてくれれば、それだけでよかった。
 なのに、なんだ、これは。
 痛い。怪我をしたところが、ずきずき、ずきずき、痛みを訴える。胸の辺りが痛い。こんなところ、ぶつけてないはずなのに。殴られても蹴られてもいないのに。目の奥が痛い。喉の奥が、頭が、どこもかしこも、痛い。
 熱いものが目の端から滑り落ちた。

「なんで……っ、なんでだよ! だったら、おれ、なんで今まで……っ」

 母が「おかしい」「変だ」と言われるたび、どんなに強い相手でもケンカしてきた。
 美人で、他の人にはない青い目を持つ母が、自慢だったから。
 でも。

「なんだよっ!! ショーフって最低じゃねーか! だいっきらいだ、このインバイ!」
「ソウヤっ!!」

 叫んだ瞬間、凄まじい音が頬で弾けた。一瞬遅れて熱と痛みが走る。
 頬が熱い。
 目の前に、見たこともない顔で怒りを露わにした父がいた。大きな手。あれで頬を叩かれたのだと気づき、ぶわっと涙が溢れ出る。

「母さんに謝りなさい」
「――いやだ」
「ソウヤ!」
「もういい! ――もういい、アマヤ。やめて」



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