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* * *



 ――大っ嫌い。
 声が、よみがえる。


* * *



「ソウヤ!」

 そうっと開けたつもりだったのに。
 驚いたような、慌てたような母の声を頭から被ってしまい、ソウヤは首を竦ませた。ばたばたと走り寄ってきた母の手が肩を掴み、あちこちと視線が這い回る。居心地の悪さに逃げ出したいのに、ぐっと押さえつけるように掴まれてしまっては身動きが取れなかった。

「あんたどうしたの、この怪我。またケンカ? 今度は誰としたの?」
「……だれでもいいだろ、べつに」
「あのね、やんちゃなのはいいけれど、友達とは仲良くしなさいっていつも――」

 そこまで言いかけて、母オビは溜息を吐きながら首を振った。ちらりと伺えば、自分と揃いの青い瞳が呆れたようにこちらを見下ろしている。父のアマヤの目は茶色で、伯父も、従姉も、ソウヤの知り合いはみんな茶色か黒色だった。
 ソウヤと母だけが綺麗な青い色をしていて、それが少し嬉しくもあり――、恥ずかしくもあった。
 なにしろ、すぐにからかわれるのだ。三つ上のタノウは、いつもいつもソウヤの目を気持ち悪いと笑った。そのたびに取っ組み合いのケンカになるのだが、タノウの方が身体も大きく力も強いので、ソウヤはいつも怪我をこしらえて帰ってくるはめになる。
 毎日のように新しい傷を作って帰ってくるソウヤに、母はまず理由を聞いてくる。それに答えずにいると、こうやって黙って――……、ソウヤは衝撃を覚悟して、ぐっと目を閉じた。

「――ッ!」
「ほら、手当てしてあげるからおいで。ああもう、今日は随分派手にやったのね」

 ばちんと頭を叩かれたが、こんなもの、父のアマヤが本気で怒ったときに比べれば大したことない。擦り剥いた手をやんわりと引かれ、いつものようにソファに座らされた。
 消毒液を染み込ませた脱脂綿が、傷口を叩くように撫でる。痛みに手を引っ込めようとすれば強い口調で「まだ」と嗜められて、ひりひりとした痛みに歯を食いしばって耐えた。

「ソウヤは本当に元気ね。母さんに似たんだわ、きっと。父さんはケンカとかしないタイプの人だったから」
「……母さんはよくケンカしたの?」
「したした。かなりした。母さんね、こう見えてとーっても気が強いの。……若い頃は、父さんともしょっちゅうケンカして泣かせてたわよ」
「うそ!」
「ほんと。――父さんにはナイショよ? あの人、絶対に拗ねるから」

 額を突き合わせて小声で囁き、唇に指を押し当てて母は笑った。ナイショ。その言葉に、むくむくと楽しい気持ちが湧き上がってくる。
 内緒。ナイショ。至近距離で見つめ合って笑う。それがひどく楽しい。



 手当てを終えて、夕飯の支度をする母の背中を見ながら、ソウヤは先日買ってもらったばかりの飛行樹の模型で遊んでいた。旧型の飛行樹のプロペラを何色に塗るか迷いながら、今日あった出来事を報告する。ケンカの内容は言わないままだったが、それでも母は機嫌よく聞いてくれた。

「でね、ツラギがさ、『おばさんはきれいでうらやましい』って言ったんだ。そしたら先生が、『だからソウヤくんもかっこいいのね』って」
「ふぅん、よかったじゃないソウヤ。母さんのおかげね」
「ちがうよ、おれがかっこいいのはおれのおかげ。――そうだ。ねえ、母さん。前から聞きたかったんだけど、」
「なに?」

 心臓がどきどきする。口の中が乾いて、ソウヤは慌てて水を飲んだ。
 なんでこんなにも緊張するのか、よく分からなかった。聞いてしまえば、ケンカの理由に気づかれるかもしれない。そう思っているからだろうか。
 シチューを煮込む後姿に、勇気を出して問いかける。

「どうして、おれと母さんの目は青いの? 他のみんなは、ちがうのに」

 ああ、どきどきする。母さんはなんて言うんだろう。
 火を止め、母はゆっくりとソウヤの方へ振り返った。口元にはふんわりとした笑みが浮かんでいて、少なくとも怒ってはいないのだと気づく。そして、悲しんでもいないのだと。
 ソウヤの隣の椅子を引いた母は、纏めていた髪をほどいてソウヤの手を握った。ソウヤの髪よりももっと色の薄い、光があたれば金色にも見える茶色の髪が、いい匂いをさせながらふわふわと波打っている。

「それはね、母さんがテールベルトの人間じゃないからよ。母さんはね、カクタスで生まれたの。すぐ隣の国だけど、カクタスだと青や紫の目の人がたーくさんいるのよ。テールベルトじゃ黒とか茶色ばっかりだから、少し不思議かもしれないわね」
「……はじめて聞いた」
「テールベルトとカクタスは、あんまり目立った国交――関わりがないものね。ま、そういうわけだから、ソウヤの目は母さんとお揃いで青いの。……そうだ、いいこと教えてあげる。ソウヤと母さんの目はね、空の色なのよ」
「え?」

 ソウヤは窓の外を見たが、日はとっくに沈んでいるので暗くてなにも見えない。くすくすと笑う母の目を見て、昼間の青空を思い出す。ぱっと浮かんできた色に、ソウヤは反射的に叫んでいた。

「うっそだぁ! だって、空の色はもっと薄いよ。あれ、水色だろ。おれたちの目は、もうちょっと濃い」
「そうね。母さんも知らなかったんだけど、これはね、うんと高い空の色なんだって。飛行樹に乗って、うんとうーんと高く飛んだら、こんな色が見えるんだって。あなたのおじいちゃんが教えてくれたのよ」
「おじいちゃんが?」
「そう。父さんのところにお嫁に来たときにね、言われたの。『また空の色を見るなんて』って。おじいちゃんが空軍でパイロットだったのは知っているでしょう?」

 知っている。たまに遊びに行く父方の実家には、たくさんのメダルが飾ってあった。飛行樹の模型も、たくさん。
 ソウヤは母の瞳をまじまじと見つめ、雲の上に広がる青空を思い描く。薄い青から、濃い青へ。雲に隠された、特別な青。翼がなければ見ることができない色。

「母さん、いつか見てみたい。鳥にでもなって飛んでいけたらなぁって、いつも思ってる」
「鳥じゃ無理だよ、だってうんと高いところなんだろ?」
「そうねぇ。でも、頑張れば大丈夫そうじゃない? 空に溶けちゃうような、青い鳥。こないだ読んだ本にもあったでしょ、青い鳥は幸せを運んでくれるんだって」

 ふに。ソウヤの頬を抓んで、母が言う。

「母さん、ソウヤと父さんの青い鳥になりたいの」

 ――いまだってじゅーぶんしあわせだよ。
 恥ずかしい台詞は、喉の奥で引っかかって出てこない。代わりに口から飛び出したのは、「おなかへった」というかわいげのない台詞だった。


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