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「テッメェ、どこ見て歩いてんだ? ァア!?」
「えっ、うわ、」
「ニノカタくん!!」
「ぶつかっておいて謝りもなしかよ、え?」
殴られる。そう思って身体を捻ったのだが、足が縺れて思い切り尻餅をついた。
手のひらがアスファルトに削られ、痛みが走る。後ろで悲鳴が上がる。自分に向かって蹴り出された足先を、どこか他人事のように見つめていた。腹に衝撃が走る。もろに入った靴の先が内臓を抉り、吐き気がせり上がってきた。
みっともなく地面を転がされ、盛大に噎せるニノカタを見て、さっきまでいたあの二人はもうとっくに逃げ出している。野次馬達が周りを囲み始め、今し方ニノカタを蹴り飛ばした体格のいい男が指を鳴らしながらこちらにゆっくりと向かってきた。
――やっべぇな。
胸倉を掴んで起こされ、酒臭い息がかかる。抵抗するだけの力もなかった。仕方なく強く目を閉じて歯を食いしばったニノカタの耳元で、ひゅっと風を切る音がする。
それは拳が降り下ろされた音なのだと、そう思ったのだけれど。
「――暴力行為が犯罪だってことくらい、酔った頭でも覚えておいてくれない?」
「なんだテメ、――ぅあっ!」
凛とした声が響いた。
いつまで経っても訪れない痛みに目を開ければ、ちかちかと目に痛い電飾の明かりに照らされたシルエットが浮かび上がる。
生温い風にスカートの裾が煽られるのを見て、それが女性のものだと知った。すらりと伸びた足が綺麗だ。尻餅をつくニノカタを庇うように前に立つ彼女は、どうやってか男をニノカタから引き離したらしい。
たたらを踏んだ男が、怒りに顔を真っ赤にして拳を振り上げる。しかし、彼女はその一撃をあっさりと避けてみせた。長い髪が夜を舞う。甘い花の香りが鼻腔をくすぐった。
「このアマ、調子こいてんじゃねぇぞ!」
激高した男が、近くの立て看板を抱えて振り回し始めた。集まっていた野次馬達も慌てて散っていく。
ぎらつく双眸が女性を睨んでいるのを見て、やっとニノカタの酔いも引いていった。
「あっ、危ない! 逃げろ!」
「――それ、誰に言ってるの?」
笑みを含んだその言葉が言い終わる前に、男の持つ看板が横薙ぎに女性を襲う。ガシャン!、と凄まじい音が轟いた。助けようともがいた身体は、当然間に合うはずもなく、惨めに地面を這っている。
呻き声が聞こえる。
目の前に広がる惨状に、誰もが言葉を失っていた。
「え……」
「はい、これ以上痛い目見たくないなら、無駄な抵抗しないで。それとも関節くらい外しておく? 結構痛いけど、舌噛まないでね?」
「んんんーーー!」
「はーい、嫌なら大人しくしててね」
なにが起きたのか分からなかった。
一瞬の間に男が地面に転がり、女性が馬乗りになって両手を掴んで後ろ手に拘束していたのだ。膝で後頭部を押さえられているせいで、男の口からはくぐもった声しか出てこない。
あの細腕でどう抑えているのか、じたばたと暴れる男は拘束から逃れられそうにもなかった。
女性の横顔がネオンに浮かぶ。その表情が若干不機嫌なものに変わり、よく通る声が遠くに放たれた。
「ちょっと、艦長! わたしにばっかり押しつけないでください! これ回収して!」
「ええー、だってハルナに飲ませちまったんだもーん。オッチャン面倒見なきゃいけないしぃ〜」
「語尾伸ばさない、かわいくない! ――アマギ三尉! 手が空いてるなら、ぼーっとしてないで手伝ってください! ぐずぐずしない! カシマ二曹も、動画撮る暇あるなら警察呼ぶ!」
ぴしゃりと男達を叱り飛ばすその言葉の断片から、彼女が軍属の人間だということが伺えた。
酔っ払い暴力男を仲間に任せた彼女が、呆然とするニノカタに手を差し伸べてくる。小さな手だった。この手で本当にあの巨体を取り押さえていたのかと疑ってしまうほど、華奢なものだった。
どうしようか数秒だけ逡巡し、素直に手を取ることに決めた。意識ははっきりしてきたものの、身体の方はまだ酒が回っている。これ以上の失態は避けたい。
立ち上がって並んでみると、女性の華奢さがより目立つ。