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 鎮まれ、心臓。
 公園のベンチに腰掛け、ワカバは早鐘を打つ胸を押さえて深呼吸を繰り返した。夕陽が辺りを赤く染め、花柄のワンピースに彩りを添えている。
 あの日見たデブ猫は、今日はいなかった。待ち合わせまであともう少しだ。時計を見る手が震え、そのたびにゼロとハルナの言葉を思い出して逃げ出したくなる気持ちを封じ込めた。
 けじめをつけたかった。だから、待ち合わせはこの場所にした。
 あの日、初めて告白をしたこの公園で、すべてを終わらせたかった。

「……だいじょーぶ、ワカバかわいいもん」

 ちゃんとメイクもした。髪だってかわいく整えてきたし、服装だって同室の子達のお墨付きだ。あとは笑いさえすれば完璧だ。元気いっぱいに、花が咲くように笑っていれば、ワカバはきっと誰よりもかわいい。
 そう思っていたのに、公園の入り口に人影が現れた瞬間、表情は引き攣った。ぎこちない笑みを浮かべる自分を叱咤して、なんとか立ち上がる。
 足は震えていないだろうか。声は、手は。せめてみっともない姿は晒さないように、最後までしゃんとしていたい。

「よお。……久しぶり、か? まあ、こないだ会ったけど」
「う、うん。一応、久しぶり、だね」

 首の後ろで短い尻尾を作っている黒髪に、穏やかそうなたれ目がちな瞳。黒縁眼鏡がとてもよく似合う彼は、ワカバを見るなり少し落ち着かない様子で頬を掻いた。
 ぎこちなく動き出した歯車は、油が足りずに軋んだままだ。
 頭の中で何度もシミュレーションしていたというのに、いざ本人を前にすると言葉が出ない。本題をどう切り出そうかと焦るワカバに、ニノカタはどこか不思議そうに言った。

「お前、なんか雰囲気変わったか? 背が伸びた……わけでもねぇよな」
「あ、うん。身長はそんなに。髪も切ってないし、なんでだろ。飛び級したからかな」
「あー……、ヴァハトが言ってたな」
「そうなの? 知ってたんだ。……今ね、四年生やってるの。特殊飛行部に入るために、特別訓練受けてるんだよ」
「らしいな。さすがだな」
「え?」

 ニノカタの横顔を夕陽が照らす。
 その光景が、あの日と綺麗に重なった。

「さっすが将来有望なメスゴリラ様だ。お前なら素手で熊でも倒せそうだもんな」
「はぁあああ!? ワカバ、ゴリラじゃないもん! 変なこと言わないでよね!?」
「そうやってすぐ雄叫び上げるところなんざ、まんまゴリラじゃねぇか」
「ちっがーう! ほんっと失礼! 信じらんない! ニノカタさん最低ッ!!」

 振り上げた手のひらで腕を叩き、大げさに痛がるニノカタを前に肩の力が抜けた。
 ――緊張しちゃって、バカみたい。
 ニノカタの前ではずっとこんな調子だったのだ。猫を被っていたのは最初だけ。復讐すると決めて以来、ワカバはなに一つ隠さず彼と接してきた。その時間がとても楽しかったのだと、今では分かる。
 大きく息を吸い込んで、ワカバはにっこりと笑った。今度は引き攣ってなどいない、自然な笑みを形作ることができた。

「ニノカタさんさ、こないだのあの女の人、彼女?」
「え、あ、あー、まあ、うん。そうだな」
「――そっか。……きっかけってやっぱり、あのとき?」

 頷いて返され、ワカバもつられて頷いた。「そっか」自然と零れたその声は、ちゃんと音になっていた。

「まったくもう。感謝してよね、ワカバのおかげなんだから!」
「はあ?」
「ワカバがニノカタさんの手柄にしてあげたから、好きになってもらえたんだよ。しーっかり感謝して、お花くらい贈ってよね!」
「あのなぁ、」

 なにか言いかけたニノカタは、結局なにも言わずに口を噤んだ。
 空を仰ぐ。柔らかく色づいた空が、徐々に端から夜に染まっていく。
 何度も何度もシミュレーションしていたせいか、思ったよりも気持ちはすっきりとしていた。
 だが、このままでは帰れない。胸の奥底にあったハンマーを取り出してニノカタに渡し、思い切り振り下ろしてもらうまでは、引き下がれない。
 粉々に砕かれなければ、きっと前には進めない。引きずっていても支えてくれる友人はいるけれど、それではワカバが嫌なのだ。

「ねえ、ニノカタさん」

 ――さあ、あなたの手で鉄槌を。

「あなたが好きです。大好き。……ワカバと、付き合ってください」
「……悪い。あー……、その、彼女、いるから」

 そうして砕かれた恋心は、ガラスが砕けるような澄んだ音を立てた。綺麗なのにどこかひやりとする、そんな音だった。
 痛みが走る。じわりと滲んだものを隠すように上向いて、くしゃくしゃになりそうになる顔でなんとか笑顔を作った。
 つらくないと言えば嘘になる。分かってはいても、その返事は痛みを生んだ。望んだこととはいえ、つらかった。
 それでも、真摯な返事は嬉しかった。あのときのような、こちらを馬鹿にしたような返事ではなかった。
 ちゃんと向き合ってくれた上での、答えだった。



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