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「……おー」
『ワカバだけど、あのね、えっと……、今、話しても大丈夫?』
「まあ、一応。休憩中だからな」
『そっか、ならよかった。えっと、その、えっとね、……今度、少し会えないかな? ほんとに少しだけでいいの。ちょっと会って話したいことがあって』

 ――これは誰だ。
 声は確かにワカバのものなのに、勢いが足りない。出会った頃はずっとこの調子だったけれど、半年前はそうではなかったはずだ。
 ギャンギャン吠えまくり、遠慮なく手も足も出してきたメスゴリラはどこへ行った。強盗犯相手に臆することなく立ち回り、感染者相手にニノカタを守ろうとしたあの少女はどこへ。
 言葉にしがたいもやもやとした感情を覚え、結局それがなにか分からずに押し黙る。その沈黙をどうとったのか、ワカバは急に不安げな声を出した。叱られた小動物のようなか細い声は、あの少女には似合わないというのに。

『だ、駄目かな……。お仕事の帰りとか、三十分、ううん、十分だけでも』
「いや、来週の週末は一日空いてる。お前の都合がつくなら、何時でもいい」
『ほんと? えと、じゃあ、その日でいい? 時間どうしようかな……。訓練あるから、えっと、ヒトナナマルマル――じゃない、夕方の五時とかでも大丈夫?』
「別に。問題ない」
『よかった、ありがとう。それじゃあ、場所は――……』

 そうして指定された場所に、ニノカタは軽く目を瞠った。
 その様子が見えたはずもないのに、端末の向こうでワカバが苦笑する。たった半年姿を見ていないだけなのに、その声がとても大人びていた。

『お願い聞いてくれてありがとう。じゃあ、また来週ね』

 一度も怒鳴ることも捲くし立てることもなく、ワカバは静かに通話を切った。
 調子が狂う。違和感ばかりが渦巻いていく。
 なんの音も届けなくなった端末を見下ろし、ニノカタは深い溜息を吐いた。天井を仰ぐと同時、視界にヴァハトの顔が広がって、椅子から転げ落ちそうになる。

「なっ、ヴァハト!? お前、いつの間にっ」
「お前がコールを受けた辺りから」
「盗み聞きかよ、趣味悪ィぞ」
「いたいけな十代の少女を弄んで捨てるお前に言われたくないな」
「人聞き悪いこと言うな。誰が弄んだ、誰が!」

 バンッとテーブルを叩いたが、音は脱いだエプロンに吸収されて、ただ痛いだけで終わった。ニノカタの隣の椅子を引き出して座ったヴァハトは、嫌味なまでに長い足を組んで冷ややかにこちらを見てくる。菫色の双眸は、女性客の心を掴む立派な武器だ。
 長い付き合いの友人でもあるから、ヴァハトの前ではニノカタも素で応対している。他の同僚の前では決して見せない不機嫌さのまま、ニノカタはぐしゃぐしゃと頭を掻いた。

「……まさか本気とは思わねぇだろ」
「どこからどう見ても、ご執心のようだったが?」
「そりゃ最初の話だろ。嫌がらせで深夜三時にコールしてくるストーカーだぞ。惚れさせてから振ってやる、なんてほざいてた生きのいいメスゴリラだ」

 自分を慕う気持ちなんて、とっくに失せているものだとばかり思っていた。

「で、どうするんだ?」
「どうもこうもねぇよ。言ったろ、ガキにゃ興味ねえ」

 相手はまだ十代だ。自分と比べれば十歳も年下で、それはつまり、ニノカタにとって子どもでしかない。

「あの子は将来有望だとオウカが言っていた。俺もそう思う。――案外、泣かされるのはお前の方かもしれないぞ」
「言ってろ。将来有望っつっても、」
「十七歳で空学四年に飛び級、来年には特殊飛行部入りがほぼ確定しているらしい。知っているか? 今の空軍に、特殊飛行部に在籍している女性隊員はいない。出来た頃は一人二人いたらしいが、片手分にも満たないそうだ」
「……へー、そりゃすごいな。さすがメスゴリラ」
「加えてあの外見だ。今はまだ子どもでも、あっという間に女になる。あのタイプは二、三年で変わるんじゃないか?」

 否定はしないが、それでも心は揺らがない。座りの悪さは感じても、手放すことへの未練は微塵も感じない。
 こちらを試すような瞳が鬱陶しい。休憩時間の終わりがタイミングよく重なったので、これ幸いとばかりにニノカタはその場から立ち去ろうとエプロンを手に取った。
 温厚で物腰穏やかな好青年モードに自分を切り替え、店に向かう。

「ニノカタ。お前が泣かされる日を楽しみにしているよ」

 振り返りもせずに、ニノカタは「あるわけねぇだろ」と吐き捨てて休憩室をあとにした。
 泣かされる日が来るだなんて、ありえるはずがない。
 賭けてもいい。
 そう切り出せば、ヴァハトは乗るだろうか。
 営業用の笑顔を振りまきながら、ニノカタは今日も花を扱う。
 この世界は、白の植物に呑まれた。緑は奪われ、命すら脅かされ、その恐怖に怯えながら人々は色を求めた。
 みずみずしい生花を、この世に残された希望を、この手で繋ぐ。


 ふと手に取ったのは、ピンクのガーベラだった。


(2015.1003)

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