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 なんの気なしに零した発言だったが、ふと顔を上げればハルナがなんとも言えない表情で固まっていた。こういうときに正直者は苦労すると実感する。――少しはスズヤを見習え。「事実が混じると人間は信じやすいですもんね」と淀みなく言ったスズヤは、嘆息しながら雑誌を手に取った。
 ハルナの眉が寄る。必死に言葉を探している様子が、耳と尻尾を垂らせた犬の姿に重なった。

「でも……、しかし、たとえそこが事実だったとしても、この書き方は酷すぎます! こんな、ソウヤ一尉が、まるでっ……!」

 記事には、まるでソウヤが男娼であるかのような記述が所狭しと並んでいる。言われてみれば腹が立つ。そんな感覚さえ吹き飛んでいたのだと自覚させられて、胸の内に苦いものがじんわりと広がった。しかし、それが表に出ることはない。彼らに気づかれるほど、脆くはない。
 顔を真っ赤にしていきり立つハルナの頭に両手をやって、犬でも掻き回すように撫でてやった。

「気にするな、ハルナ。それともあれか? 本当にクラッときちまうから、焦ってんのか?」
「なっ、ソウヤ一尉!!」
「ははっ、冗談だ。怒んな怒んな」

 ぐっと顔を近づけて囁けば、怒りの矛先が自分に向かう。いい年だというのに素直な子供のような反応に、毎度のことながら楽しませてもらった。
 肩を竦めるスズヤにハルナを任せ、明日も早いのだからと部屋から追い出してしまうと、沈黙だけが寄り添った。
 折れ筋が幾重も入った紙の中、白黒写真に切り取られた自分の笑顔が新鮮だった。他の雑誌に掲載された笑顔は、もっと「綺麗」な営業用だ。隠し撮りというだけあって、この写真の自分は馬鹿みたいに大口を開けて笑っている。

 ――母親譲りの青い瞳が、人を惑わせる。

 ここでも青か。
 そんなにもこの色が欲しいなら、いくらでもくれてやるのに。


* * *



 例の週刊誌が発売されて以来、報道は激化し、どこの雑誌もこぞってソウヤとその母親のことを書き始めた。政府の高官でもなければ芸能人でもなんでもない、ただの軍人でしかない自分がここまでネタになるとは驚きだ。
 一番初めにソウヤを取材した雑誌「グリーブ」の出版社だけは、他の出版社とは違って過去を洗うような記事は書かなかった。前回の取材の折、「今後もどうぞよろしくお願いします」と目を輝かせて言っていた記者の顔が浮かぶ。あの人もお人好しだったか。それとも、個人だけでなく会社全体でそうなのか。
 広報室に電話が殺到するだけでなく、基地にも直接取材記者が押しかけてきていると苦情が入った。ムサシ基地司令に呼び出されて外出禁止を言い渡されたのも、つい先日の話だ。

「めんどくせぇ」

 苛立ちが募る。好き勝手書かれていることにも腹が立つが、それよりも行動を制限されることの方がストレスになった。
 基地内の誰もがソウヤを異質なものとして見る。好奇の目、揶揄の目、同情の目。腫れ物に触るように接されるのもうんざりだった。生意気な顔で「ね、だから厄介だって言ったでしょう?」と言ってくるナガトに、僅かばかりほっとしたことは一生の秘密にするつもりでいる。軽く頭を叩けば、彼は唇を尖らせてそっぽを向いた。
 迷惑をかけていると艦長のイセに謝罪を済ませた帰り道、廊下の向こうから自分の名が嘲笑と共に聞こえてきて、ソウヤはにんまりと唇の端を吊り上げた。
 ちょうどいい。現行犯ならストレス解消の餌食にもってこいだ。気配を殺して徐々に近づいていく。相手はこちらに気づいていないのか、得意げにぺらぺらと語り始めた。

「さっすが淫売の息子だよな。アイツ、学生時代に教官誑かしてたんだぜ」
「マジかよ! すぐに特殊飛行部に配属になったのって、もしかしてそれでか?」
「そうに決まってら。イセ艦長の前じゃ大人しいのも、しっかりしつけられてっからじゃねぇの?」
「うっわ、笑える! こっえ〜、どうやったら昇進させてもらえんのか、教えてほしいよなぁ」

 ソウヤの男食いの武勇伝を自慢げに語る男の顔には、見覚えがあった。あのとき食堂でこちらを睨んでいた男と同じだ。だが、それだけではない。「学生時代」という単語から、記憶の糸がすっと引っ張り出される。
 ――緑防大時代、同室だった同級生。
 ああなるほど、あいつか。八人部屋という雑多な部屋の隅で、教本ばかり読んでいた男の顔を思い出す。確か今は一般部隊に配属されていると聞くが、学生時代からずっと特殊部隊配属を希望していたはずだ。
 醜い嘲笑が響く。
 淫売の息子。男も女も誘い、惑わせ、狂わせる。
 そんな能力があるのなら、ぜひとも授けてほしいものだとソウヤは笑った。

「――教えてやろうか?」

 軽い調子で投げた言葉に、男達の笑声が止んだ。瞠目して振り返る表情に恐怖が浮かぶ。この程度で怯えられては面白くない。もっと抗え。牙を見せろ。全力で向かってこい。そうして抵抗の意思も抱けないほど、叩き折ってやる。
 目を泳がせながらも、それでも侮蔑の視線をこちらに向けてくる男の肩に、ソウヤはそっと腕を回した。挑発するように傍らの男を見つめながら、かつての同級生の耳元で優しく囁く。

「余計なことを考えず、死ぬ気で飛ぶんだよ。一秒後の命すら保障されない中を、何度もな」

 くすりと笑えば、腕を振り払われた。怒りにまみれた瞳がソウヤを睨む。
 誰もが騒ぎ立てる青い瞳を冷たく眇め、さあどう料理してやろうかと思案する。年齢は一緒でも、階級はソウヤの方が遥かに上だ。ならば、最も効果的な打撃はこれだろう。

「まあでも、そう簡単に飛ばしてもらえない立場なら仕方ねぇ。もっと上手にお空を飛べるように、鍛えてやるよ。ほら、さっさと腕立ての体勢をとれ。イイコだったら聞けるだろ? ――上官命令だ」


 さあ、跪け。




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