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* * *



 一気に高度が上昇する。
 雲の隙間を縫って一直線に突き抜け、眼下に白の広がる青空を飛んだ。なにもない。白と青だけが視界を支配する空間に、指先から微細な振動を感じ取る。
 頭上には、より色を濃くした青が広がっていた。地上から見上げる空の色と、暗さを増した空の色。ちょうどその中間の青の中に、自分はいる。
 仲間の機体が後方を飛ぶ。耳に届いた指示は敵の殲滅、それだけだ。短く返して機首を下げる。金属よりも遥かに硬い木製の戦闘機が、あっという間に風を割く。
 レーダーに表示された、赤と白に明滅する点は三つ。

「でけぇな」

 だが、その分堕としやすい。
 目視で捉えたその影は、禍々しい白を宿して雲の中に潜んでいた。――見つけた。マスクの下でにんまりと弧を描いた唇に、相手はおそらく気づかない。
 戦闘機の中でもはっきりと聞こえた奇怪な鳴き声に、全身の毛穴が開く。瞳孔が拡張し、一際大きく跳ねた鼓動はすぐに音を消す。感覚が鋭敏に研ぎ澄まされ、静かな呼吸は僅かな空気の揺らぎすら起こしたくないと言っているようだ。
 目の前に現れた怪鳥の姿に、無線がざわついた。瞬時に指示を飛ばして機首を翻す。この化物を居住区から離れた焦土地帯まで誘導し、そこで撃墜する。
 逃げるように方向転換したソウヤ達を、案の定化物は追ってきた。
 巨大な白鳥のような体躯だが、細長い首には白い蔦が這い、皮膚にめり込んで血を流している。芽吹いた新芽から血肉が零れ、翼はすでに蔦に呑まれていた。ぼこぼこといびつに隆起した腹には、どれほどの種が植え付けられたのだろう。目を血走らせ、白にまみれて追ってくるそれは、元はただの鳥だったとは信じ難い。
 加速すれば、ものの数十秒で目的地上空へ到達した。
 ――さあ、ここからだ。ぐっとレバーを倒し、今度は一気に機首を垂直に上げる。身体がシートに押しつけられ、まるで巨人に頭を握り潰されるような衝撃が襲う。細い根を引き千切るような音が身体の内側から聞こえた。
 ぐるりと回った視界が白を再び捉えたとき、ソウヤはその哀れな後ろ姿に種の弾丸を撃ち込んだ。



 地面に降り立つと、自然と深呼吸する癖がついていた。空気の汚染の心配がないからこそできるのだろうが、ある意味儀式と化している習慣に苦笑する。
 寄生された鳥の襲撃は珍しいことではない。中には、寄生されれば本来空を飛ばない動物すら飛んできたりするので、そちらの方が面倒だったりする。以前、植物性の翼を生やした猿がテールベルト上空を飛来したことがあったが、あれは苦労した。機体にしがみつこうとしてくるのを回避するのに、随分と神経を使ったものだ。
 しっかりと地に足をつけて見上げた空は、まだ青い。もうじき、赤く色を変えていくのだろう。頭を乱暴に掻き回して汗を飛ばしていると、血相を変えたスズヤが走り寄ってくるのが見えた。なんだなんだ、誰に用だ。ぱちくりと目を瞬かせているうちに、スズヤはソウヤの前でぜえぜえと荒い呼吸を繰り返す。

「そうっ、ソウヤ、一尉、これ……!」
「あ?」
「中っ、記事!」

 丸められたそれは週刊誌のようだった。どこの書店にも置いてある、名前だけは知れ渡った、ネタは三流以下のゴシップ記事を扱った雑誌だ。
 ごちゃごちゃと文字が踊る表紙に、引っかかるものを見つけた。

 ――人気沸騰中のイケメン隊員、その知られざる驚愕の正体とは!?

 目線こそ黒で潰してあるが、その煽り文と共に添えられているのはソウヤの横顔だ。
 この出版社からの取材は確か断っている。無茶苦茶なスケジュールと要望で、受けられるわけがなかった。
 適当に面白おかしく書いてるだけだろ。特になんとも思わず中を開く。ありがたいことに、かなりいい場所を使ってくれたらしい。
 でかでかと貼られた写真は、どう見ても盗撮だ。他の隊員達と外食をしたときの写真が載せられている。だがその脇に記された文章に、さしものソウヤも一瞬言葉を失った。

『母親は元娼婦! あの色香は母親譲り。軍内では夜の接待の噂も……!?』

 確かに予想通り、面白おかしく書いてある。どこの誰が答えたのか、「彼の目に見つめられると男女問わず誘われていると感じます」だの、「あの色気に惑わされた隊員も多いです」だのというコメントが乗っている。
 娼婦の子というだけあって、身体でのし上がってきたのでは。恋人が何人も。泣かされた隊員も数多く。爛れた関係の真実を探る。
 ざっと目を通し終え、丸めた雑誌でスズヤの頭を軽く叩く。薄いレンズ越しに見つめてくる目が、心配だけでなく痛みを探ろうとしてくるので油断ならない。
 それでも血相変えて走ってきてくれたのだから、部下に恵まれたと思うべきなのだろう。

「ソウヤ一尉、あの……」
「気にすんな。戻るぞ」

 今はとにかく、汗を流したい。
 青の中に散っていった白の断末魔が、身体にこびりついている。



「なんなんだ、これは! ふざけやがって!」

 憤怒を露わに雑誌を床に叩きつけたハルナは、今にも頭上から煙を吐きそうで不思議だった。彼はまるで自分のことのように怒っている。

「ハルナー、机に足乗せんな。泣かすぞ」

 なんとか腰を下ろしはしたものの、それでもハルナは目を吊り上げて怒りの様相を崩さなかった。スズヤも苦い顔で、叩きつけられた雑誌を眺めている。
 確かに気分はよくないが、そこまで怒り狂うほどのことでもない。噂は噂、いつかは消える。ただ面倒なことになったのは確実で、それだけが唯一ソウヤを苛立たせた。
 騒ぎが大きくなれば軍そのものに迷惑がかかる。どうしたものかと思案するソウヤの傍らで、ハルナが唇を噛み締めた。

「こんなデタラメ、許せるか……! 亡くなったご両親まで侮辱するような真似! 出版社に抗議を、」
「したところで、もう出ちまったモンはしょうがねぇだろ。それに、全部が全部嘘でもねぇしな」

 そこが面倒なのだ。

「え?」
「俺の母親が娼婦だったのは事実だ。一応結婚はしたが、父親と俺の血が繋がってるかは分からねぇ。まったく、どっから調べてきたんだか」

 情報の出所に心当たりがないわけではないが、そこまでわざわざ調べて取材をしたとなれば逆に感心する。よほどネタに飢えていたのか、それとも今の自分にはそれだけの価値があるのか。


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