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「すまない、残りの時間くらいは自由に過ごしたいだろう。気が利かんで悪かった。忘れてくれ」
「え? あっ、いえ、違うんです! むしろ、ご一緒させていただいても大丈夫なんでしょうか?」
「お前が嫌でなければ」

 苦笑交じりの微笑みがどこか子どもっぽくて、ワカバは思わず笑み零れたまま頷いていた。
 ゼロほどではないけれど、ハルナのことは大好きだ。とても尊敬しているし、そんな相手からのお誘いとあれば喜び勇んでついていきたいと思う。
 かくしてワカバは、本日三度目の着替えを済ませて基地の外へと飛び出したのであった。


* * *



 ハルナに連れられてやってきたのは、情報誌にも載っているような有名なカフェレストランだった。
 落ち着いた内装の店内は優しいオレンジ色の光で溢れていて、天井からは造花の蔦がランプに沿って垂れ下がっている。ティータイムには遅い時間だったので、二人は早めの夕食を取ることに決めた。
 ワカバの前に海老のトマトソースパスタが運ばれ、ふわりと立つ湯気と香りに食欲をそそられる。ぷりぷりに茹で上がった海老に絡むトマトソースが、さっぱりとした後味ながらも濃厚で絶妙だった。
 食事の間、ハルナとは主にカガへの不満についての話で盛り上がった。無茶を無茶とも思わず通すところや、酒が入ればすぐに脱ごうとするところなど、日々の不満が溢れだしていく。どうやらハルナはよほど鬱憤が溜まっていたらしく、時折カガのことを「あれは」や「あのド阿呆は」などと呼んでいた。
 食後にはデザートを勧められ、少し迷ったがチーズケーキを注文した。ハルナはワカバの倍は時間をかけて迷った末に、さっぱりとしたレモンジェラートを注文して和やかな食事の時間を締めくくった。

「今日は本当にありがとうございました。指導だけでなく、ご飯までご馳走していただいて……」
「気にするな。食事に関しては、俺が付き合ってもらったようなものだからな」

 堅物な印象のあるハルナだが、そのエスコートは申し分なく、正直に言えば驚いた。訓練時は男女の別なく容赦なく鉄拳制裁を加えてくるが、プライベートとなると完全にスイッチが切り替わるらしい。自然と歩道側を歩かされ、扉はすべて彼が開けて待ってくれていた。上官にそこまでさせるなんて、と気が引けるものの、久しぶりの女の子扱いに浮足立ったことも事実だ。
 今だって、重たい扉を開けてワカバを待ってくれている。身も心も満たされたところで一歩外に出たそのとき、ワカバの足は地面に縫い止められたかのようにぴたりと動かなくなった。

「あ……」
「げっ……」

 どうやら神様は、よほど波乱を巻き起こしたいらしい。
 出入り口でぶつかりかけた相手は、なんの因果か、半年間一度も連絡を取ることのなかったニノカタその人だった。ワカバを見るなり「しまった」と顔で語った彼を反射的に睨みかけ、背後にあるハルナの気配を思い出して瞬時に微笑みに変える。
 「お久しぶりです」と言うために開いた唇は、ニノカタの後ろからひょっこり顔を覗かせた人を見た瞬間に、「おひ」までを形にしてあとの仕事を放棄してしまったけれど。

「――あれ? 貴女、あのときの!」
「え?」
「ほら、覚えてないかな? ひったくりに遭ったとき、この人が捕まえてくれたって教えてくれたでしょう? あれ、貴女よね?」
「ひったくり……? あ、フミさん襲ったあの男! ああ、そういえば……」

 ワカバが取り押さえたひったくり犯をニノカタに任せたとき、若い女性が被害に遭っていた。あの日、確かにワカバは彼女と話した覚えがある。はっきりと顔は覚えていなかったが、相手からすればワカバは印象に残っていたのだろう。
 とっておきの営業スマイルを浮かべて対応しようとしたワカバは、指先に小さな棘が刺さったような僅かな引っかかりを覚えてぎこちない笑みのまま固まった。そのままニノカタへと視線をスライドさせれば、あっという間に目が逸らされる。
 「扉の前だと邪魔になる」とハルナにそっと促され、四人は店の外でそれぞれ向かい合った。とは言っても、ハルナは数歩離れた場所でこちらを気にした風もなく待ってくれている。

「こんなところで会うなんて偶然! 私、一度貴女にお礼を言いたかったの。あのときは本当にありがとう」
「あ、いえ……。あれはニノカタさんのおかげですから」

 艶やかな黒髪のこの女性は、どうして今、ニノカタと一緒にいるのだろう。
 どうしてニノカタは、こんなにも苦い表情をしているのだろう。
 これではまるで、見られては困るものが見つかったときの反応ではないか。

「うん、でもね、それを教えてくれたのは貴女でしょう? 貴女は私のキューピッドなの」

 小声で囁かれたその一言に、吸い込んだ空気が針となって胸を刺した。
 単純な言葉ですら理解できない。周りの音が頭に入ってこない。脳内にできた時計が、カチッカチッと不快に秒針の音を刻んでいく。
 ワカバの目の前で、女性は幸せそうに微笑んで目元を赤らめていた。その手が、そっとニノカタの腕に触れる。ワカバとは違って、肉刺一つない華奢な手だ。



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