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act.10:枯れぬ花、萎む花


「周りをよく見ろ、ド阿呆が! 殺されたいのか!?」

 容赦のない叱責がワカバを嬲る。
 まるで雷に打たれるかのようだった。叩きつけられた怒声に負けない声量で謝罪を返し、唇を噛み締めてシミュレーターの操縦桿を強く握り締めた。
 重たいヘルメットが頭を締めつける。中のスピーカーから容赦なくハルナの叱責が鼓膜を劈き、劣等感を煽っていく。
 本物のコックピットに乗っているのと寸分変わらぬように設計されているとはいえ、これは実際に空に上がった時の感覚とはまた違う。あそこはもっと容赦がない。流れる雲も、気流も、心臓を襲う緊張感も、そのすべてが厳しく身を貫く。
 編隊長として僚機に指示を出しながら敵機役のハルナを追っていたが、この一時間の間に何度撃墜されたか分からない。指示も甘ければ、己の飛び方も甘すぎた。
 相手はテールベルト空軍が誇るエースパイロットだ。実戦経験もない一学生が敵うわけがないが、それでもこうまで惨敗すると情けなさばかりが表に立つ。

「頭からマニュアルを読み直せ。ピーコックの細部まで理解しろ、話はそれからだ。それから、航跡図を描いて今日中に提出しろ。反省点、改善点を忘れるなよ。五分休憩したら道場に向かえ。アマギに稽古を頼んである」
「はい。ご指導ありがとうございました」

 今回のフライトは、テールベルト上空での空中戦を想定していた。コックピットに乗り込んだその瞬間からのすべてを思い出し、気象や燃料の様子、敵機が現れたタイミングや、どうして僚機にその指示を出したのか等、ありとあらゆることを書き起こさねばならない。
 どこをどういう風に飛んだのか、それを地図に記す。ただ「こんな風に飛びました」だけではハルナから雷が落ちる。紙面が真っ黒になるまで書き込まなければ話にならないし、航跡図を描いたことにより改善点を見つけられなければ意味がなかった。
 ワカバの場合、航跡図を描くのには、一時間のフライトに対しておよそ四時間ほどかかる。
 年が変わり、無事に飛び級して特別訓練を受ける身となった今、この四時間を捻出することはなかなかに難しかった。飛び級した分の座学の知識を自分で勉強しなければならず、ただでさえ時間は圧迫されている。その上で特殊飛行部での特別訓練だ。ハルナからの課題は容赦がなく、ワカバはカガの宣言通り休む暇などない日々を送っていた。
 きっちり五分の休憩後、ワカバは特殊飛行部の面々が利用する道場へと向かった。道着に着替えれば、自然と意識が切り替わる。中で待ち受けていたカガ隊のアマギ三尉との手合わせは、これで何度目だったか。

「――来たか。今日も手加減など一切しないが、いいな」
「言うまでもありません。どうぞよろしくお願いいたします」

 これまで、何度も投げられ、何度も締め落とされた。
 アマギやカシマといった人達は最初こそ少女であるワカバに気を遣うようなそぶりを見せていたけれど、ハルナの一喝によってそれもすっかり消え去った。三ヶ月も経った今では、誰もが容赦なくワカバを打ち据える。
 汗だくになり、やたらと上達した受け身で畳の上を滑りながら、それでもワカバは前を見据えた。
 小さな身体から闘志が燃え上がる。その姿は、ただのあどけない少女とは遠くかけ離れていた。まるで小さな獣のようだが、本人だけがそのことに気がついていない。
 初めてアマギに会ったとき、彼に既視感を覚えた理由になぜか今気がついた。前髪を上げたその髪型が、ゼロのものとよく似ているのだ。
 そんなことを考えている間に体力が底を尽きかけ、ふらつく足元に手心など皆無の足払いがかけられた。それでも必死に体勢を整えようとしたのだが、その瞬間に身体が宙を舞う。背中から勢いよく床に叩きつけられ、空気が固形になったかのように息が詰まって、数秒意識が途切れた。

「うっ……」

 頭がくらくらする。
 これで何度目だ。いつになったら一本取れる。
 悔しさに目の前が真っ赤になり、強く握り締めた拳がちりちりと痛みを訴えてくる。
 起き上がりたいのに、身体が言うことをきかない。四肢を投げ出し荒い呼吸でひっくり返るワカバに与えられたのは、優しく差し出される手ではなく、冷ややかな嘲笑だった。


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