15 [ 179/193 ]

 逞しいこの腕は、この背中は、常にズイホウを守るためにあるのではない。独占することなど許されない。彼は自身を犠牲にしてでも、この世界の緑と人々を――そして、違う世界の命をも守るために空を飛ぶ。
 ならば、この人自身は誰が守るのか。自分の身一つ守れない小さな両手で、イセの背中を力強く握り締めた。
 ――この手が直接守ることは、できないかもしれないけれど。それでも私は、貴方を守りたい。

 一目見たときからそう思っていた。
 この人でなければ駄目なのだと、そう確信していた。
 愛しい男の胸で溺れるような息苦しさを覚えながら、ズイホウは「一緒になってくれるか」の問いかけに震える声で応えたのだ。


* * *



 撫子の花言葉は「大胆、純愛、貞節」。
 中でも八重咲きの撫子は、「純粋で燃えるような愛」の花言葉を持つという。


* * *



「はあああああ!? もうなんなの? たまに帰ってきたと思ったら説教ばっか! ほんっとウザい!!」

 扉を開けるなり甲高い怒鳴り声が聞こえてきたと思ったら、もうすぐ二十一の誕生日を迎えるアキサワが怒気も露わにリビングから出ていこうとするところだった。買い物袋を手に靴を脱ぎかけていたズイホウは、口をへの字に曲げた娘の姿を見て「どうしたの?」と首を傾げた。
 途端に「お母さん〜」と縋るような甘ったれた声がアキサワの口から零れる。スリッパに履き替え、ちゃっかり買い物袋をアキサワに一つ持たせてキッチンへと向かうと、リビングのソファにはこれまた不機嫌そうな様子のイセがどっかりと腰を下ろしていた。

「あらあら、またケンカ?」
「違う! お母さんからもなにか言ってやってよ!」
「なにかって? ――あ、待ってアキ。そっちのお肉は下ごしらえするから冷蔵庫に入れなくていいわよ。ありがとう」
「娘の恋路に口出すなって!」

 怒りつつもせっせと手を動かして冷蔵庫に食品を入れる手伝いをするあたり、アキサワもまだまだ可愛い。手洗いうがいを済ませて戻ってきた頃には、アキサワは下ごしらえ用のボウルをキッチンに用意して待ってくれていた。

「恋路?」
「そうっ!! 会ったこともないくせに文句ばっか言うんだよ、ありえなくない!?」
「恋人の父親に挨拶もできん奴がろくな男のはずがない」
「マトメが会いたくないって言ってるわけじゃないし! あたしがお父さんに会わせたくないの!」

 対面式のキッチンのため、隣で牙を剥くアキサワの様子はもちろん、リビングで眉間にしわを刻むイセの様子もはっきりと見て取れる。どうやらズイホウのいない間に、この二人はまた同じ話題で喧嘩をしているらしい。
 てきぱきと肉の筋を切りながら、ズイホウはしばらく二人の舌戦――ほとんど一方的にアキサワが怒鳴り散らしているだけだが――を聞いていた。

「あたしが誰と付き合おうと、お父さんには関係ないじゃん! 口出ししないで!」
「そうねぇ。でもお母さんは、お父さん――貴女のおじいちゃんに散々口出しされてたわよ? 今の子はそうじゃないのかしら」
「えっ?」
「ですよね、お父さん」

 笑いかければ、イセはふいっと視線を外して手元の本に目を落としてしまった。アキサワが彼氏とデートで訪れたという美術館の図録だった。イセはそんなことなど知らないし、アキサワだってイセが美術鑑賞が好きなことなど覚えていない。
 まったくもう。幸せが笑みとなって零れ、溢れた分が夕飯に降り注ぐ。

「門限も厳しかったし、デートするときはどこに行って何時に帰るのか報告しなきゃならなかったもの。でも、今思うとやっぱりちょっと面倒だったわねぇ」
「でっしょう!?」
「だからと言ってお前はなにも言わなさすぎる。大体なんだ、先日も深夜遅くまで繁華街をふらふらと、」
「だーかーら! そーゆーのがウザいって言ってんの! あーもういい、もう気分悪い! しばらくお父さんと話したくない!!」

 怒鳴るだけ怒鳴って、アキサワはどたどたと大きな足音を立てながら自室へと籠もってしまった。バタン!、と耳を塞ぎたくなるほどの勢いで扉が閉められ、彼女の怒り具合を如実に伝えてくる。
 肉の次は野菜でも切っておこうかと冷蔵庫を開けたズイホウに、唸るような声が届けられた。

「……お前はどっちの味方だ」
「あらあら、珍しい。あなたでもそういうことを仰るんですね」
「お前」
「アキももう二十一です。恋人がいたって不思議ではありませんよ。大切な一人娘の相手がどんな人か気になることも、不思議ではありませんし。だから私は、二人の味方です」
「それにしてはあれの肩ばかり持つな」
「そう見えました? ……でも、ちょっと思い出してみてくださいな。二時間おきにコールのかかってくるデート、少しつらくありませんでしたか?」

 どこにいる、なにをしている、いつ帰る。
 心配性の父からのあの攻撃に、イセはよく耐えてくれたものだと感心する。図録のページを捲りながらぶっきらぼうに「別に」と答えたイセに、ズイホウは少し唇を尖らせた。



[*prev] [next#]
しおりを挟む

back
top

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -