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「……俺は、口が下手だ。目つきが悪いことも自覚している。お前を楽しませてやれるような会話もできない。お前がどうすれば喜ぶのか、考えもつかない。納得のいく贈り物一つできやしないだろう」
「…………あ、あの?」

 想像していた話の展開とは違って、ズイホウは当惑の表情を浮かべた。けれど、イセは真剣な眼差しで射抜いてくる。

「聞け。――俺は軍人だ。今度のように、長く家を空けることも珍しくない。お前が悩んでいるとき、困っているとき、助けてほしいようななにかが起きたとき――そのとき、俺はお前以外の誰かを助けるために、お前の傍を離れるだろう。いつ死ぬかも分からない。明日、この世を去るかも分からない」

 父も、同じようなことを言っていた。

「楽しませても、喜ばせてもやれない。お前に、他の多くの女が感じるような幸せを与えてやれる自信はない。……それでも。……それでも、俺は、お前を選びたい」

 褪せた世界に、色が戻る。
 胸が震えた。身体の中心がきゅうっと締めつけられ、温かなものが全身を駆け巡り、灼熱の熱さを目の奥に宿した。熱は形となって零れ落ちる。透明な雫が、ほろり、頬を伝った。

「あとは、お前が選べ。……情けないと謗られても構わない。それでも、今ここで『必ず幸せにする』などと言う度胸は俺にはない。……そんな俺に、ついてくるか、どうか。お前が、選べ」

 ついてこいとも言わないし、一緒になってくれとも言わない。
 彼はただ、「選べ」と言った。
 こういう台詞は「幸せにするから」という言葉と一緒になって告げられるものだとばかり思っていたから、なんと答えればいいのかすぐには浮かんでこなかった。だって、幼い頃読み漁ったお伽噺はみんな、王子様がお姫様に幸せを誓ったのだ。こんな展開ではなかった。
 そんな埒もないことを考えていると、どうにもおかしくなってきて涙と共に笑みまで零れた。当然だ。イセは王子様などではないし、ズイホウだってお姫様でもない。
 あのとき、父の問いかけに自分はどう答えたか。
 それを思い出せば、答えはおのずと決まっている。

「……私は、ミズサキの娘です」

 膝の上でぎゅっと握り締めた小さな拳は、イセやミズサキと違って自分の身すら満足に守れない。

「軍人の家族になるということがなんたるか、とっくに理解しています。……それでも、我慢できなくなるときがあるかもしれません。父のいない夜が寂しかったように、貴方のいない夜に大声で泣きじゃくって、貴方にどうしようもない我儘を聞かせてしまうかもしれません」

 とつとつと語りだしたズイホウの言葉に、イセは僅かに驚いたようにしつつもただじっと耳を傾けてくれていた。

「会いたいとごねるかもしれません。どうして傍にいてくれないのかと責めるかもしれません。危ないことはしないでと、そんなことをねだる日が来るかもしれません。確かな未来はお約束できません。……それでも一つだけ、確かなことがあります」

 ズイホウはそっとイセの手を取り、両手で包み込むように握り締めて己の胸に引き寄せた。大きな手を抱き締めて、泣き濡れた瞳で彼を見る。

「私は、貴方といることが、なによりの幸せです」

 なにもしなくていい。なにも話さなくていい。ただ隣にイセがいる、そのことが十分な幸せをズイホウにもたらす。
 楽しませるための会話も、喜ばせるための贈り物も、そんなものは必要ない。もしこの幸せに慣れてしまったいつかの未来で傲慢な自分が不満を述べてしまったら、きっと彼はあの鋭い瞳で射抜いてくれるだろう。

「もしも私が軍人の妻たる役目を果たせないそのときは、どうか叱ってください。お前が選んだ道だろう、と、そう仰ってください。この日のことを、思い出させてやってください」
「……ズイホウ」
「私は、貴方がいい。貴方の帰る場所になりたい。……どうか。どうか私を、選んでください」
「ッ――!」

 言葉を言い終わる前に、強く腕を引かれた。
 これほど乱暴に引き寄せられたのは初めてだった。呼吸ができないほどきつく抱き締められ、触れ合った肌から感じる熱のもたらす思いの丈に再び涙が溢れた。骨が軋む。これ以上力を入れられては潰されてしまいそうなのに、いっそそうなってしまえばいいと思う自分がいる。
 耳元で、掠れたイセの声がズイホウを呼んだ。呼びかけ以上の意味を持たない、小さな囁きだった。


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