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「……ああ、そうか」

 ベッドの上で寝返りを打ち、イセは低く笑った。
 どうして今まで気づかなかったのだろう。自分はそこまで頭が働いていなかったのか。
 携帯端末を手に取って、かけ慣れた番号にコールする。数拍後、柔らかな声が鼓膜を震わせた。

「ズイホウ、近々会えるか。――話がある」

 考えても分からないのなら、彼女自身に聞けばいい。


* * *



 ――あの人じゃなきゃ嫌。
 そう言った途端、厳格なだけではなく子どものような我儘さも持ち合わせた父は、すっかり黙り込んでしまった。その沈黙の意味を分からないほどこちらも子どもではないのだと、果たして父は知っているだろうか。



 話があると言ってイセに呼び出されたのは、いつもの植物園だった。
 イセと出かけたことはそう多くはないが、どちらも流行の施設や店に疎い者同士だったので、植物園が定番になっていた。中には食事処もあるし、ふらりと立ち寄れる雑貨屋だってある。植物を見て回るだけでも数時間があっという間に過ぎていくような場所だから、デートにはもってこいの場所だった。
 いつものようにぷらぷらと園内を見て回ってもう二時間が経過したけれど、イセが話を切り出す気配はない。何度かなにかを言いかけては口を噤み、痛ましげに眉を寄せるその様子に、さすがのズイホウも痺れを切らしかけている。
 話とはなんだろう。ミズサキ隊は来月から半年に及ぶ長期空渡の任務に就くことは父からすでに聞いているから、そのことだろうとは踏んでいるのだが、ここまで躊躇うということはよほど危険な任務なのだろうか。
 それとも――……。一瞬浮かんだ絶望的なその考えに、ズイホウの指先が冷たくなった。
 まさか、だって、そんなこと。
 飽きられたのだろうか。上官の娘だから、なかなか別れ話が切り出せずにいるのだろうか。
 そんな考えがよぎった瞬間、あれほど甘く香っていた花の香りが一切分からなくなった。目の前に揺れる花の色すら白黒の濃淡に見え、鮮やかな世界が一瞬にして塗り替えられる。
 そうなるともう、我慢できなくなった。このままイセが切り出すのを待っていたのでは、きっと自分の心臓がもたない。震える唇をきゅっと噛み締め、ズイホウは冷え切った指先で彼の袖をそっとつまんで促した。「こちらへ」そう言ったはずだったのに、声が喉に絡んで上手く言葉にならない。
 戸惑うイセの手を引いたまま、ズイホウは最もひと気の少ない小さな温室へと彼を案内し、ドアノブに立ち入り禁止の札を下げてから扉を閉めた。ますます訝るイセに向かって浮かべた笑みは、引き攣ってはいないだろうか。
 水の流れる音がする。
 人工池の上に東屋(あずまや)が建てられており、そこは靴を脱いで座敷から温室の花々を眺められるようになっていた。
 二人の足は自然と東屋に向かう。幸い、ズイホウ達よりも先にこの温室に入っていた者はいないらしい。しんと静まり返った温室の中、水の流れる音だけが身体に染み込んでくる。

「……お話が、あるんでしょう」

 東屋の窓から池を見下ろしながら言ったが、池に浮かぶ花がどんな色をしているのか、このときのズイホウにはさっぱり分からなかった。
 数秒の沈黙のあと、イセが静かに「座れ」と言った。二年前の出会った頃なら「お座りください」だったであろうその台詞に、どうしてだか泣きたくなった。せっかくここまで近づいたのに。
 それでも涙は見せないまま、イセの前にきっちりと正座で腰を下ろす。今から告げられる言葉がどんなものになろうと、最後までしっかり聞いていようと思った。
 泣きじゃくったり、責め立てたりするようなみっともない真似はやめよう。そうしないと、彼が困ってしまうから。

「……来月から長期任務に就くことは、知っているな」
「ええ。父から聞いています」
「半年は連絡が取れなくなる。……だから、その前に言っておこうと思った」
「はい」

 それはそれほど口を重くさせることですか。
 決して多いとは言えない、けれども両手いっぱいに抱えられるたくさんの幸せな思い出が、ズイホウの胸を埋め尽くす。一つ一つ取り出して眺めるのはあとにしよう。そうしなければ、きっと泣いてしまうだろうから。
 深刻な表情で俯いていたイセが、やがて覚悟を決めたのか鋭い双眼をひたとズイホウに見据えた。あのときと――初めて会ったときと同じように、その瞳にどうしようもない愛おしさを覚える。



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