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「好きなのか!?」
「は……?」
「うちの娘を! ズイホウを好きなのかと聞いている!」
「それは……」
「口籠るとは何事だ貴様ァ!」

 ここでなぜか、イセではなく店員の胸倉が掴み上げられた。警察沙汰になっては困るので慌てて引き剥がして深々と謝罪し、いきり立つミズサキを宥めるべくイセは向かい側から隣に席を移した。もちろん正座だ。それ以外の選択肢はない。
 震え上がる店員を見送って障子を閉めると、今度は間違うことなくミズサキの手がイセの胸倉を掴み上げてくる。若干息苦しいが、耐えられない程度ではない。

「どうなんだ、好きなのか。気に入ったのか」
「……大変好ましく思っております」
「許さん! 俺はっ、断じて、許さん!!」

 そもそもミズサキが見合いを強行したのではなかったか。締め上げられながらちらとそんなことを考えてはみたものの、口にしないだけの分別は備わっていた。一頻り怒鳴り散らしてイセを揺さぶったミズサキが、深い溜息を吐いていつの間にか運ばれていた二杯目のビールに口をつける。
 それをまた一息に空にすると、彼は低く唸るようにして言った。

「あれはいつも、お前の話をする」

 ぎろりとこちらを睨む瞳に、殺気にも似た感情が宿る。

「女の目だ。お前に惚れてる」
「……」
「それを袖にしてみろ、殺す。いいか、理不尽だと思っているだろうが聞け。交際したところで殴る。せんでも殴る。俺はお前を許さない。文句も聞かん。お前には殴られる義務があり、俺には殴る権利がある」

 そんな傲慢な義務と権利があってたまるかとさすがのイセも思ったが、与えられた選択肢は「はい」しかありえない。
 覚悟を決めて歯を食いしばるとほぼ同時、二十年という年月を感じさせる重みのある拳がイセの頬を抉った。



 それから、実に二時間に亘る理不尽の極みのあと、何杯目か分からないジョッキを空けたミズサキが酔い潰れたのをきっかけに、イセはひとまずあの座敷牢から解放されることになった。殴られた頬は未だにずくずくと痛んでいるものの、顔以外にさほど痛みはないのでミズサキを背負って運ぶことも苦ではない。
 店員には深々と謝罪して多めに代金を払い、ミズサキを後部座席に寝かせて一度訪れただけのミズサキ邸へと車を走らせた。あのときはまだ夕方で明るかったが、今はとっぷりと日の暮れた夜だ。見える景色が一変しているにもかかわらず、イセは迷うことなく家へ辿り着いた。
 店を出る前にズイホウに連絡を入れておいたのだが、どうやら彼女は時間を見計らって外で待っていたらしい。難なく駐車場へ車を滑り込ませると、車の傍まで寄ってきた彼女は後部座席でいびきをかいて眠る父の姿を見て呆れたように肩を竦めていた。

「本当に申し訳ありません……」
「いえ。ひとまず家の中まで運びます。布団の用意をしてもらってもかまいませんか」
「はい。それはもう準備できていますから、どうぞ上がってください。父がご迷惑をおかけして申し訳ないです……」

 恐縮しきりのズイホウに案内され、再び敷居を跨いだ家は一年前とそう変わらないように思えた。あのときは入らなかったミズサキの寝室に彼を寝かせ、そっと部屋をあとにする。
 ハンガーを片手にやってきたズイホウと廊下で対面した途端、彼女は零れ落ちそうなほど目を真ん丸にさせて小さく悲鳴を上げた。

「イセさん! そのお顔っ、どうなさったんですか!?」
「え? ああ、これは……」

 まさか「貴女のお父様に殴られました」と言えるはずもなく、適当に言葉を濁す。それでもなにかを感じ取ったのか、ズイホウは怒った様子で唇を尖らせ、ふすまの隙間からハンガーを投げ込んで小走りでどこかへ行ってしまった。部屋の中からミズサキの呻き声が聞こえたから、あのハンガーは見事彼を捉えたらしい。一流の狙撃手顔負けの技術だ。
 どうしたものかと立ち尽くすイセを、ズイホウはそう長い間待たせはしなかった。急いで戻ってきたのだろう。泣きそうな顔をしたズイホウの髪が、先ほどよりも少し乱れている。
 小さな手が握り締めていたのは、冷やした濡れタオルだった。そっと頬に添えられた途端、心地よい冷たさに吐息が漏れる。



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