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「お父さん、ねえ、急に連れてきて、相手の方も迷惑じゃないの? それにお見合いだなんて急に言われても……」

 化粧もしていないのだし、と唇を尖らせた私に、父はどこか不機嫌そうに押し黙ったまま玄関を顎で示した。
 その人は、まだ敷居すら跨いでいなかった。
 見上げるような長身に、父と比べれば少し細身だけれど、しっかりと引き締まった均整のとれた身体。ぴんと伸ばされた背筋、きちんと揃えられた足。その人は父の許可を得るまでは、決して家の中に入ってこようとはしなかった。
 目が、合う。
 まるで猛禽類を思わせる、怜悧で鋭い瞳だ。

「わ、私、着替えてきます……!」

 ――ああ、この人だ。
 困惑を宿した鋭い眼差しに射抜かれた瞬間、そんなことを思った。
 絵本を広げて夢を見るような年齢はとうに過ぎていたはずなのに、王子様が――運命の人が迎えに来てくれたのだと、そう思った。


*撫子の咲くところ


 ひゅっと拳が風を切る。
 重い一撃を躱し、イセは素早く相手の懐に腰から身体を捻じ込んだ。突き出された腕を躱しざまに肘を掴んで引き寄せ、開いた手で肩を押さえて素早く膝裏を引っ掻けて地面に倒す。小さな呻き声を漏らした男はただでは拘束されず、その体格を生かして膝を腹にめり込ませてきた。鈍痛が駆け抜け、胃が揺さぶられて吐き気がせり上がってくる。
 怯めばやられる。一瞬の躊躇も許されない。腕を絡めて首を押さえ、頸動脈を圧迫しながらこめかみを地面に叩きつけてやったところで、ようやっと相手の男が降参の声を上げた。

「参り、ましたっ!」

 解放してやれば、若干よろめきながらも青年――ヒュウガは上体を起こして頭を下げた。軽い脳震盪を起こしたのか、礼をした途端に大きな身体が傾ぐ。咄嗟に支えてやると彼はどこか照れたように笑い、血の滲む唇はそのままに鼻の横を掻いていた。
 そんな荒削りの爽やかさがよく似合う男だ。ぐんっと両腕を頭上に伸ばして伸びをする姿など、悪戯好きの少年がそのまま大人になったような印象を受ける。

「いやー、イセ一尉には、何度挑んでも敵わないっす。あとはイセ一尉だけなんですけどね」
「……艦長も、だろう」
「か、艦長は別枠っすよ! 勝つとか負けるとかより、挑めるわけないっていうか、なんていうか」

 イセと同じ特殊飛行部のミズサキ隊に入隊してきたヒュウガは、二十三歳という若さを存分に生かした男だった。有り余る体力を惜しげもなく訓練に注ぎ込み、空いた時間は隊の誰かを捕まえるか、一人でトレーニングを続けている。
 もともとの素質もあってか、気がつけばミズサキ隊のほとんどの人間がヒュウガから一本取られるようになっていた。無論、毎回負けっぱなしというわけではないのだが、それでも今となっては無敗を保っているのはイセだけである。
 お互い滝のように掻いた汗を流すべく向かったシャワールームで、隣のブースからヒュウガが思い出したように言った。

「そういやまた来てましたね、見学。空学生の、ほら、なんて言いましたっけ。イセ一尉に懐いてる、あの……」
「――カガか」
「そうそう、カガ! 漫画にでも出てきそうな感じっすよね、あいつ。超がつくほどの爽やか青年っていうか」

 ぬるま湯が肌を叩く。サァアアッと流れていくシャワーが身体をほぐし、ヒュウガとの訓練でつけられた痣が、じんと痺れる痛みを伴って存在を主張した。
 髪を洗いながら思い浮かべたのは、上官らからの覚えもめでたい空学生の姿だった。人懐っこい笑顔が印象的な、それこそヒュウガの言うとおり漫画の登場人物のように爽やかな青年だった。その明るさと持って生まれた戦闘センスが功を奏し、ヴェルデ基地に見学に来ることが許されている。
 将来は特殊飛行部入りがほぼ確定している彼は、どういうわけだかイセにやたらと懐いていた。

「さっきも熱心に見てましたしね。明日も来るみたいっすよ。モテモテですね」
「馬鹿を言っている暇があるなら、俺から一本取れるように努力しろ」
「あっ、言いましたね!? 絶対に奪ってみせますから、覚悟しておいてくださいよ!」
「分かったから覗くな、鬱陶しい!」

 ブースを隔てる壁からこちらに身を乗り出して目を輝かせるヒュウガの顔面にシャワーを浴びせてやってから、イセはシャワールームをあとにした。
 首に掛けたタオルが髪から滴る雫を吸う。頭を拭くのも面倒でそのままにして談話室で雑誌を捲っていたイセの傍らで、突然携帯端末が震え始めた。表示されていた名前に、見られているわけでもないのに思わず背筋が伸びる。
 即座にコールに応答すると、耳に押し当てた端末が硬質な声を吐き出した。


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