4 [ 150/193 ]

「あのとき君がしてくれたみたいに、優しく慰めてあげようか?」

 三年前の空中火災。
 焼け落ち、折れた翼。
 墜ちた飛行樹の中から救出されたスズヤは命に別状はなく、火傷と骨折、そして視力の低下だけで日常生活に戻ることができた。
 機体が全焼する「蝕」の中、命があったのは奇跡に近いと誰もが言った。視力だって、眼鏡がなくても生活に差し障りのない程度だ。裸眼でも外を歩くのに不安はない。
 空を飛ぼうと思えば、いくらでも飛べる。――音速で雲を切り裂く、戦闘機以外なら。
 だから「よかった」と言われる。
 ――よかった? もう、飛べないのに?
 パイロットとしての命を失ったスズヤに、翼を持たない者達は無情とも言える言葉を浴びせ続けた。よかったと言われるたびに、その首をへし折ってやろうかとすら思った。
 そんな中で唯一、ミクマだけはスズヤの瞼に口づけて顔を歪めたのだ。どろどろとした薄汚い呪詛を吐いても、子どものような駄々を捏ねても、彼女はひたすら「つらいね、悲しいね」と震える声で抱き締め続けた。
 戦闘機で飛べなくなっても、特殊飛行部で活躍できるだけの身体はある。軍を退かざるを得なくなった人間と比べれば、十分恵まれている。
 軍を退かざるを得なくなっても、命を落とした人間と比べれば、十分恵まれている。
 聞きたくもないご高説は、常にスズヤの身体を蝕んだ。
 身動き一つ取れない汚泥に飲まれたスズヤに手を伸ばし続けたのは、他でもない彼女だ。

「……スズヤには無理だよ」
「ひっどいな。どうして。やればできるよ、おれ。なんたって多少は気持ちが分かるから」
「スズヤに八つ当たりするんじゃなかった。余計に痛いだけだもの」
「泣き言も弱音も言ってくれて大いに結構だけど、人の古傷抉って自分と同じところまで引きずり下ろそうってスタンスはムカつくからね。さっきも言ったけど、自業自得」
「つめたい」

 「うん」と笑えば、新たな涙を零したミクマが唇を引き結んで俯いた。

「それでも『スズヤは見えてるんだからいいよね』って言わなかった点は合格。そういう賢いところ、好きだよ」
「……そんな爆弾落とすほど、私バカじゃない」
「うん、知ってる」

 だから彼女を選んだのだ。
 状態だけで言えば、スズヤの方が遥かに恵まれている。眼鏡がなくても日常生活に支障などなく、色彩だってそのままだ。だが、失ったものはとても大きい。ミクマはそれを知っている。
 他の人が「そのくらいで済んで良かった」と笑う中、彼女は軍外の人間で唯一、失ったものの重さを理解していた。

「どうせまだ泣き足りないでしょ。どんだけ喚いても大丈夫なトコ移動しよっか。さすがにカフェだと気まずい」
「大丈夫なとこって?」
「ラブホとか?」
「……スズヤってそんな人だったっけ」
「下ネタしか楽しみのない野郎集団の中で生活してたらそうなるよ。つか、言ったでしょ? あのとき君がしてくれたみたいに慰めてあげるって。大丈夫大丈夫、おれも軍人だから多少の殴る蹴るなら耐えてあげる」

 伝票を手に立ち上がれば、途端にミクマが不思議そうな顔をした。

「ちょっと待って、私あのとき、殴られた覚えも蹴られた覚えもないけど」
「は? 当たり前でしょ、馬鹿じゃないの? おれがそんなことしたら捕まるに決まってんでしょ。ま、許されるなら、それくらい暴れたかったけどね」

 誰でもいいからみっともなく八つ当たりをして、自分はこれほど傷ついているんだと声高に叫びたかった。自分と同じくらい、誰かを傷つけてやりたかった。
 目の前にいたのがミクマでなかったら、本当にそうしていたかもしれない。

「どんな方法でもいいよ、八つ当たりしな。おれもこんな性格だから今みたいに言い返すだろうけど、どんな手を使ってきてもいいから。今日くらいは面倒くさいの我慢してあげるよ」
「……私、スズヤのそういう上から目線なトコ、嫌い」

 「うっそぉ」とわざとらしく驚いて、スズヤはミクマの手を引いた。
 みっともなく泣き喚いて、口汚く罵ればいい。
 世界を呪え。汚濁の中でもがけ。
 枯れることのない呪詛を吐き散らかし、一向に晴れることのない靄を抱えてのたうち回れ。


 ――あのときの自分ができなかったことを、きみがしてくれたらいい。


(2015.0201)


[*prev] [next#]
しおりを挟む

back
top

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -