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 あまり高価な造花ではないのか、作り物独特の艶と質感が判断を迷わせる部分もあるが、おそらく見立ては間違っていないだろう。本物の生花であればピオニーの甘い香りが漂っただろうが、ここでは顔を近づけたとしてもなんの香りも楽しめない。
 代わりにスズヤの頼んだホットコーヒーの香りが鼻先をくすぐったのか、ミクマは微かに微笑んで視線をスズヤに戻した。

「さすがだね」
「……ま、これでもフローリスト免許持ってるから」

 花は生まれたときから傍にあった。
 実家には甘い香りが立ち込め、生花の放つ精気に触れて育ってきた。外の世界では生花がどれほどの価値を持っているのか、真の意味で理解したのは初等部に入学してからだ。
 それまでスズヤは、作り物の花など見たことがなかった。

「これがピンクかぁ……。好きだったのに、忘れちゃったな」

 二年前まで、ミクマは華やかな色合いの服装を好んでいた。愛らしい色合いで纏められた服装は、彼女にとてもよく似合っていた覚えがある。
 ミクマの見る世界を擬似体験したいとき、スズヤは携帯端末のカメラを立ち上げることにしていた。カメラモードをモノクロに設定してそこから世界を見れば、完璧ではなくても彼女の世界に近づくことができる。
 ピオニーのブーケにカメラを向ければ、確かにピンクも緑も見分けがつかなかった。そこにあるのは、灰色の濃淡だけだ。

「ねえ、スズヤ。スズヤは嫌がるかもしれないんだけど、あの、一つお願いがあってね」
「なに? 高いものでも買わされるの?」
「違うって! ――あ、ごめんうそ、やっぱり違わないかもしれない。ちょっと高くつきそう」
「なにそれ。服? 鞄? それとも、」
「お花」

 まっすぐに見つめられ、スズヤはぱちくりと目をしばたたかせた。
 高くつく花と言えば、生花しかありえない。一級生花店で天然色の生花を手に入れようと思えば、花によっては切り花一本で何十万の値段がつくこともある。
 恋人から生花を贈られることは女性の憧れだと昔からよく聞くが、今さらねだられるようなものでもないだろうに。そんな思いを汲み取ったのか、ミクマはひどく言いづらそうに切り出した。

「……あー、あのね、ただのお花じゃないの。そうじゃなくて、その、……スズヤが活けた花を、見たい」
「嫌」

 考えずとも、勝手に言葉が滑り出ていた。
 即座にきっぱりと言い放てば、見る見るうちにミクマの表情が暗くなった。テーブルの上でぎゅっと握られた二つの拳が、激情を抑えるように小さく震えている。

「どうしてもって、言っても?」
「嫌なものは嫌。第一、おれにそんなことできない。高い花が無駄になるだけだよ」
「そんなことない! だってスズヤの、」
「ミクマ。面倒くさいコト言わないでよ。ミクマはお願いしてきた、おれはそれを断った。この話はこれでおしまい。交渉の余地なし。以上」
「――だって、だって見えなくなるかもしれないんだよ!? 治る治るって言うけど、そんなの分かんないじゃない! 現にこの目は、もう色も分かんないのに!」

 突然荒げられた声に、店内の視線が一瞬で集まるのを感じた。居心地の悪さにミクマはすぐに口元を押さえて俯いたが、その薄い肩から立ち上る焦りと怒りは消える様子がない。
 昔はこんなミクマを見ることがなかった。彼女はいつだって穏やかな性格で、スズヤが「面倒くさい」と感じたためしなどないくらい、気配りの出来る頭のいい女性だった。
 こうして感情を荒げるようになったのは、二年前のあの日からだ。
 行き場のない焦りと不安、怒りを抱えたその姿が、否が応でもかつての自分と重なる。見ているだけで吐き気がした。


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