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「で、あたしに言うことはそれだけか?」
「ヒヨウ二尉のおかげで無事昇任することができました! 感謝してもしきれません、あざっす!」
「よーっし、よくやった! 偉いぞ、偉いっ!」
深々と下げたカサギの頭を抱え、ヒヨウは思い切り掻き回してきた。ぎゅうっと抱き締められるような形に焦ってもがくと、許さないと言わんばかりに正面から抱き着かれる。
まずい。
背筋を伸ばせばヒヨウの頭はちょうど顎の下あたりで、不安定に丸めた身体のせいで今は胸のあたりに彼女の頭がある。ということは、みっともなく音を立てる心臓に一番近い場所にいるということで。
そんなカサギの複雑な胸中を知るわけもなく、ヒヨウは強く背に腕を回してきた。
「もう、ほんっと……よくやった、カサギ一曹」
声が柔らかい。
とても優しいのだ、この女性は。
この一ヶ月、鬼とも思える厳しい指導の中で何度か見てきた優しさに、心を揺らすなという方が無茶だと気づいた。
ヒヨウは軍の中においてとびきりの美女というわけでもなく、その厳しさも相まって異性に人気が出るタイプではなかった。それこそハルナやスズヤ達の悪友という見られ方が多く、慕われてはいても恋愛対象にはならない女性だった。
自分だってつい数ヶ月前は「興味ない」などと言っていた口だが、あれは馬鹿だと今なら言える。
興味ない、女を感じない。それは彼女を知らないから言えることだ。ニキビを気にして夜遅くには菓子を食べたがらなかったり、唇の乾燥を気にして蜂蜜を塗ってみたりと、彼女は立派な女の子だ。――年齢を考えれば、「女の子」とは呼べないのかもしれないが。
「……煙草臭いですよ、ヒヨウ二尉」
「うるっさい、人が感極まってんだからおとなしくしとけ」
さりげなく乙女思考の男前な彼女が、ずびっと鼻を啜る音を漏らすのだからたまらない。
「鼻水つけないで下さいよ」と言うと、容赦なく背中を叩かれた。
「ヒヨウ二尉のおかげです。一ヶ月間、本当に助かりました」
「言うなー、それ以上言うなー、泣くぞー」
「もう泣いてるじゃないですか」
「うるっさい! あんたががんばるからだろうが!」
「頑張れって言ったのヒヨウ二尉じゃないですか」
「ああ言えばこう言うのな、かわいくない!」
やっと離れた熱にほっとするも、潤んだ目やら赤くなった鼻やらを見るとなにかよからぬものがもたげそうになって、カサギは逃げるように視線を逸らした。
ここで王道といえば、アレか。むくむくと湧きだした妄想が彼女に通用するとは思えなかったが、言ってみるだけならばタダだ。
――ゴホウビくらいあってもいいだろう。
「あの、俺、頑張ったんだし、そのー……」
「ん? ああ、分かってる分かってる、ご褒美だろ。もちろん考えてるっての」
「え」
ハスキーな声で紡がれた「ゴホウビ」の単語は、自分が想像していたものよりも甘さに欠ける。だが、もしかすればもしかするかもしれない――と期待と驚きに満ちてヒヨウを見つめると、彼女は作業服の胸に手を突っ込んだ。
「あれ、」「えーと」「おかしいな」ぶつぶつ言いながらなにかを探り、ぱっと顔を輝かせて手を引き抜く。
「じゃーんっ」
「…………はい?」
目の前に突きつけられた紙には、見覚えがある。
「どうした? 嬉しすぎて声も出ないってか?」
握らされたのは、基地近くのレストランの「お食事券」だった。
ヴェルデ基地内の食堂は確かにメニューも豊富で、戦闘糧食に比べれば遥かにうまい。しかし、たまには違うものが食べたくなる。
そんな隊員達の心理を見事についたのが、基地付近のレストランだ。ここは量も味も申し分なく、隊員達もよく外食している。そこのチケットは賭けやらビンゴゲームなどの景品にされるほどで、確かに、そう、確かにもらうと嬉しいものだ。
嬉しいものには違いないのだが、自分が思い描いていたご褒美とはあまりにも違いすぎる。どんなものを想像していたと言われれば口を噤むより他にないが、それにしたってこれはあまりにも色気がない。二人分のディナーチケットならまだよかった。しかし連なったお食事券は、言ってしまえばただの食券だ。どんなに丁寧にお食事券などと言ったところで、食券は食券なのだ。
それでも目に見えて落胆するわけにもいかず、カサギは半開きの中途半端な口のまま食券を受け取った。きらきらとしたヒヨウの視線が痛い。
「あ、あざっす……」
「どうだー、嬉しいだろ。しかもしかも、だ! 女日照りのあんたに、このあたしがデート券までつけてやろうじゃないか!」
「えっ」
デート券。一度期待を裏切られただけに、条件反射のように声が弾む。
ヒヨウは勿体つけるようににんまりと笑うと、携帯端末の画面を突き付けてきた。