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「超える……?」
「ああ、超える。誰よりも高く、速く飛ぶ。どんなバケモノも、俺が落とすんだ。白の植物なんてあっちゃいけない。奴らは俺が狩り尽くす」

 だから。
 ゼロは小生意気な笑みを浮かべて、キリシマに背を向けた。

「勝手に墜ちたりしないでね、センパイ」



 その翌日、ちょうど同じ時間帯。
 キリシマは空の中にいた。青空の中、静かに呼吸する。無線機から上官の指示が飛ぶ。今、ゼロが離陸したらしい。上空で待機を命じられていたキリシマは、肉眼とレーダーの両方でその位置を確認しつつ低速で空を滑っていた。
 高度は下げない。ゼロとの格闘戦は避けた方が無難だというのなら、上空からの一撃離脱戦法で攻めるより他にない。レーダーに表示された点を見る限り、ゼロはまだ下方にいるらしい。
 ――早く上がっておいで。
 彼はどう攻めてくるのだろう。どんな飛び方をするのだろう。ハルナを超えると断言したその腕は、どれほどのものなのだろう。
 操縦桿を握る手に力が籠もる。その瞬間、突如として機内にアラートが鳴り響いた。モニターに赤字で『敵機接近中』の文字が表示される。レーダーに映り込んだ点は、自機を示す点とぴたりと重なっていた。

「まさかっ」

 咄嗟の判断で操縦桿を右に倒す。木の葉が舞うようにひらりと腹を見せた飛行樹のすれすれを、深緑の機体が突き上げるように上空へ駆け昇っていった。
 低空からの垂直上昇。それも、真下から。完全な挑発だ。唾を飲む音がやけに大きく聞こえる。
 ――そうか、これが「空の悪魔」か。
 雲海に穴を開けてキリシマの眼前に躍り出たゼロは、誘うように機体を左右に揺らす。そこからの急発進。

『キリシマ、冷静に行け』
「――了解」

 無線に応えた声は落ち着き払っていたと自分でも思う。けれど、いつもよりも心臓が早鐘を打っている。目の前を行くあまりの速さに、無意識にスロットルレバーへと手が伸びていた。
 同じ機体だ。同じスピードが出せないわけがない。ゼロは出力を全開にして飛んでいるのか。しかしそれに追いつくべくスピードを出し、さらに負荷をかければ、発火の危険性が跳ね上がる。
 ならばどうする。これは一対一の格闘戦だ。編隊を組んでの戦術は端からあてにならない。
 だとすれば。
 出力を八割程度まで開き、スピードは上げきらぬまま上昇した。旋回し、戻ってくるゼロを上空から出迎える形になる。「格闘戦」だというのなら、向こうだっていつまでも速さで翻弄しているわけにはいかない。こちらを落とすために、必ず戻ってくるはずだ。
 レーダーがゼロの機体との距離を示す。ああ、心臓がうるさい。血が沸いている。計器を確認する。高度は十分だ。速さも申し分ない。擦れ違いざまに機銃を撃つが、見事にひらりと交わされた。
 追う。追われる。上昇し、下降する。背後を取り合うドッグファイト。
 どれほどそうしていただろう。青と白だけが存在するこの世界に、キリシマの意識はすっかり呑まれていた。
 急旋回を決め、一気に上昇して呼吸を止めた。一瞬で雲海が真正面に広がる。ほぼ垂直に真下に突っ込んでいく。背後に回ろうとしていたゼロを、サークルの中に捉えた。ミサイルのスイッチカバーは、とっくの昔に押し上げている。
 ――ロックオン。
 完全に捉えた。ボタンを押し込んだときの感触をはっきりと覚えている。訓練用の擬似ミサイルが発射されたときの感覚も、はっきりと。
 けれどキリシマの鼓膜を破らんばかりの勢いで貫いたのは、敵機にロックされたことを知らせるアラートと――、その直後に感じた、機体の激しい揺れだった。


* * *



 地上に戻ってきたキリシマは、コックピットの中でしばらく呆然としていた。外から整備士にキャノピーを叩かれ、そこでようやっと現実に引き戻された。
 飛行中、点灯したランプは被弾したことを告げていた。左翼に複数発の弾を受け、機腹部にも数発命中していた。これが訓練用の模擬弾でなければ、下手をすれば撃墜されている。そうでなくとも、飛行は困難を極め、負けは確実だったろう。
 ブリーフィングのあと、指導教官はキリシマに「ゼロ相手によくやった」と言って肩を叩いてきた。格闘戦は誰がどう見てもキリシマの敗北だったにも関わらず、だ。
 その後の課業をすべて終え、自由時間が得られる頃には、日はとっぷりと暮れていた。あれだけ青かった空は、今では暗く色を変え、細い月と小さな星々を散りばめている。

「あ、ゼロくんだ。こんばんは」
「……ども」

 言ってから、昨日も同じように声をかけたことを思い出す。
 風呂から戻ったばかりなのだろうか。外のベンチに腰掛けているゼロの脇には、着替えの入った洗面器が置かれていた。
 紙パックのコーヒーを飲みながら軽く頭を下げる姿に、キリシマと一緒にいた同期達が「相変わらずクソ生意気だな!」と笑って野次を飛ばす。見た目の幼さとは違って、彼が飲んでいるのはブラックコーヒーだ。
 彼らに先に戻るよう言い置いて、キリシマはゼロの隣へ座った。すぐさま横へ詰めてくれるところが素直でいい。

「今日はお疲れ様。すごかったね。ゼロくんが噂になってる理由が、よく分かった」
「……何度も言うけど、あんたやっぱりなんか変」
「そう?」
「そう。だってあんたさ、今日俺と当たんなきゃ、模擬戦の連勝記録更新だったんだろ? もうすぐでハルナ二尉の記録に並ぶって聞いた。なのになんで、そんなへらへら笑ってんの?」

 ゼロの言うことは尤もだ。負けたにもかかわらず笑っているのもどうかと思う。
 入学して以来、キリシマは模擬空戦では負け知らずだった。教官相手となれば話は別だが、空学生を相手取れば負けなしだったのだ。
 当然、兄の記録と並ぶものと思っていた。それが叶わなくなってしまったのに、こんなにすっきりしているのは自分でも不思議だった。

「えっと……、ゼロくんの飛び方があんまりにも綺麗だったから、かな」
「なにそれ」
「負けたけど、なんだかすっきりしてるんだ。ゼロくん、すごく綺麗だった」

 夜風がゼロの湿った前髪を揺らす。どこか雰囲気が違うと思ったら、今は額が隠れているからだ。本人はオールバックにしている方が大人びて見えると思っているらしいけれど、こちらの方がよほど自然だ。
 長めの前髪に隠れたゼロの目元が、一瞬にして赤く染まった。「どうしたの?」湯あたりしたのかと問えば、唾を飛ばす勢いで彼は怒鳴った。


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