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 訓練中の飛行樹の火災事故は、通常、レアケースとされている。実践ならばいざ知らず、訓練で空中火災が発生することはまず考えられなかった。
 ゆえに、彼と模擬空戦を行う際は、上官からきつく言いつけられるのだ。

『いいか。奴を決して深追いするな。同じ速度で、同じ飛び方をするな。――背後につかれたら、そこで終わりだ。振り切ろうなどと考えるな。即座に離脱し、――まともに戦うな』

 それが「空の悪魔」と戦う上での、守らなければならない異例のルールだった。


* * *



「あ、ゼロくんだ。おはよう」
「……おはよ、センパイ」

 訓練場からの帰り道、キリシマは話題の人物を見つけて足を止めた。
 眠たげに欠伸を噛み殺した少年は、まだ十八にも満たないように見える。王族でもないのに深緑の髪を持つゼロは、ただでさえ目立つ存在だった。最初はただそれだけで目立っていた少年だというのに、今では髪の色などどうでもいいとさえ言われるほど、話題の内容が変化している。
 壁にもたれて地べたに座り込んでいたゼロの隣に、キリシマも同じように腰を下ろした。「いい天気だね」途端に訝しげな視線を投げかけられ、どうしたのかと首を傾げる。

「……なんの用?」
「うーん、特に用はないんだけど。見かけたから、声かけちゃった。だめだった?」
「駄目じゃないけど。変な人だね、あんた。俺がタメ口きいても怒んないの?」
「怒ってほしいの?」
「まっさか。ああでも、あんたなら怒っても怖くなさそうだから、全然平気。――キリシマ三曹だろ? ハルナ二尉の弟の」

 キリシマがハルナの弟だということは多くの人物が知っていることなので、別に驚くことでもない。「そうだよ」頷けば、ゼロは薄く笑ってえくぼを作った。
 随分と幼く見える顔立ちだ。女性が羨ましがりそうな小さい顔に、大きな漆黒の目がバランスよく配置されている。後ろに流した前髪が背伸びしている子どものそれに見えて、それもどこか微笑ましい。
 つるりとした額には吹き出物一つなく、白くきめの細かい肌が印象的だ。汗水を垂らして訓練に励んでいるようには思えない。

「やっぱりあんた、変だ。俺、まだ二士だよ。他のセンパイ連中は、生意気な口きくなって、目くじら立てて怒んのに」

 そうは言われても、腹が立たないのだから仕方がない。今の自分は体裁を気にするような立場でもないからなおさらだ。
 しばらく他愛のない話をしていたけれど、ふいにゼロが明日の模擬空戦の話を持ち出してきた。勝気そうな瞳にまっすぐに射抜かれる。同期の誰かが、「あのチビは生意気すぎる」と言っていたのを思い出す。それには、この瞳も影響しているのかもしれない。ふと、そんなことを思った。

「教官達が必死になって触れ回ってるんだってね。『深追いするな・逃げるな』って。でも、それっておかしくない? 追わなきゃ仕留めらんないし、逃げなきゃ死ぬ。あんたも言われた?」
「え?」
「俺とまともに戦うなって」

 試すような目だった。夜と同じ色がそこにある。
 キリシマの面倒を見てくれている指導教官は、対戦表を見て苦い顔をしていた。

「熱くなるなとは言われたよ。冷静さを欠いて判断を誤るな、って。でも、まともに戦うなとは言われなかったかなぁ」
「ふぅん……。で、どうすんの? センパイは、どうやって俺と戦うわけ?」
「どう……、って。それを今言うと、明日の楽しみがなくなっちゃうんじゃない?」
「ははっ、そりゃそうだ!」

 手を叩いて笑ったゼロが、跳ねるように反動をつけて立ち上がった。見上げた先で、青空に深緑が溶けている。こんな光景を、以前にも見たことがある気がする。いったいどこで見たものだったろう。

「――墜ちないでね、センパイ」

 楽しそうに笑う子だと思った。生意気そうにこちらを見下ろしてくる大きな瞳は、それでいてとても人懐っこい。

「話に聞く限り、センパイって腕イイらしいし。俺、結構楽しみにしてたんだよね。他の人じゃ話になんねぇの。すーぐ熱くなっちゃってさ。負荷量考えずに無理させるから、ああなるんだよ。同じ機体使ってんだから、常識的に考えて追いつけないわけねぇのに」
「じゃあ、俺が捉えてみせるよ」
「できんの? 俺、速いよ」
「でも同じ機体なんだから、性能は同じでしょ?」

 同型の練習機を用いているのだから、速さはもちろん、耐えうる負荷量も同じだ。それでもあれだけの差が出るのは、乗っている人間の技量が桁外れだからだろう。今までの空学生達が無能だったわけではない。ゼロの技術がずば抜けているのだ。
 それこそ、軍上層部が今すぐにでも彼を実戦に参加させたがるほどに。

「それに、兄さんに追いつくには、ここで足踏みしてられないしね」

 ぱちくりとまたたいて、ゼロは肩を竦めた。

「……あんた、やっぱり変わってんのな。俺さ、ハルナ二尉の飛び方、すげぇ好き。飛んでるときも帰ってくるときもすっげぇ綺麗で、無駄がない。ロールも! さすがはテールベルト空軍が誇るエースパイロットだなぁって思う。だから、俺は超えるよ。あんたは追いつくだけで満足すんの?」

 兄の飛ぶ姿は何度も見てきた。ゼロの言うように、あの人はテールベルトの誇りだ。空学生の大半があの人に憧れている。
 空に真っ白な飛行機雲を描いて飛び、寄生体を次々と駆逐していく鮮やかな手並みには一切の言葉が出ず、もはや感嘆の息しか零れないほどだった。
 あの背中が自慢だ。追いつき、並ばなければいけない存在。いつだってキリシマの前を歩いていたあの人の隣で、いつか、同じ景色を見ながら支えたいと思っていた。


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