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 ――こうなったら、一気に畳み掛ける。
 細い身体をしならせて、ワカバは一足飛びにヘルの懐へと飛び込んだ。体当たりする勢いで弾丸のように身体を滑らせ、肘を鳩尾に叩き込む。身を引いて衝撃は緩和されたが、すぐさまゼロが模擬弾を撃ち込んで援護したおかげで、確実に相手の動きが鈍った。
 生まれた隙に、そのお綺麗な顔面めがけて膝を叩き込む。
 だが、片足が浮いたその瞬間、ワカバの視界はぐるりと反転した。

「ワカバっ!」
「ぐっ!」
「あんまりおてんばすぎるとモテないよ」

 ぎり、と、手首が鳴いた。鼻先にヘルの吐息が触れる。一瞬でワカバを押し倒した彼は、身体と片腕一本でワカバを抑え込み、もう一方の腕でゼロに銃口を向けていた。
 ――動けない。
 今この瞬間に「捕らえた」と宣言されれば、ワカバの負けが決まる。この状況では抗えない。どうすると目配せしてきたゼロに応えるだけの余裕もなかった。
 スカイブルーの瞳に覗き込まれ、その輝きに息を飲む。

「せっかくだからちょっと遊ぼうよ。絶対ヨくしてあげるから」

 訓練で組手は経験しているが、こんなに至近距離で異性と触れ合うことなど滅多にない。それも、明らかに“そういう”意図を持って触れられたことなど、ワカバは今まで経験しなかった。
 唐突に、花の香りを思い出す。
 鼻先をくすぐった優しい花の香り。その持ち主は、優しさの欠片もない最低な人間だったけれど。
 ワカバを強く抱えた腕の強さがよみがえり、心臓が大きく喚いた。猫の口のように口角の上がった唇が、柔らかく頬に触れてくる。ゆるく唇だけで頬を食まれ、身体が跳ねた。

「ダーリンの見てる前でシちゃおっか、おチビちゃん?」

 なにを? どんな状況で? 誰と?
 ふざけるな。馬鹿にするな。今はどういう状況だ。お遊び企画とはいえ、これは“戦闘”だ。実戦であれば、とっくにワカバの命はない。そんな状況下で、この男はなにを言うのだろう。
 黙り込んだワカバをどう思ったのか、ヘルが僅かに身体を起こした。足が自由になる。彼の目は、ゼロをぴたりと捉えていた。
 ――女だというだけで、小さいというだけで、ここまで馬鹿にされるのか。

「……ねえ」
「ん?」
「知らないの? ――女の子はね、男の子より早く大人になるんだよッ!!」
「――ッ!?」

 自由の利く足を、ワカバは躊躇いなく真上に振り上げた。全力で股間を狙った強烈な蹴りに、すんでのところで身を捩ったヘルが慌ててワカバの上から飛び退る。それでも急所を掠めたのか、それまで余裕たっぷりだった表情に、初めて焦りの色が浮かんでいた。
 よろめく足元めがけて模擬弾を放つ。一瞬遅れて、ゼロが地面を蹴った。スカイブルーの瞳が見開かれる。
 調子に乗るな。馬鹿にするな。ふざけるな。
 そしてなにより――。

「軍人舐めんな!!」

 腹の底から絞り出した怒号とともに、ワカバはヘルの胸元を狙って引き金を引いた。模擬弾が放たれる。
 その着弾判定を告げる電子音が端末から鳴り響くと同時、ゲーム終了を告げる声が鼓膜を突き抜けた。


* * *



「――そう! そうなの! もうほんっとありえないでしょ、なんなのあの子! ニノカタさん以外にここまでムカつく人に初めて会った!!」
『だからなんで俺は自分の悪口を聞かされなきゃなんねぇんだよ。それも深夜三時に!』

 端末越しに盛大に毒を吐きながら、ワカバは手元の紙に意味のない落書きを繰り返していた。なにかしていなければ落ち着けそうになかったのだ。
 結局、ヘルの判定はタイムアップにつき無効となった。カクタスチームは五人が残り、テールベルトチームはワカバを含めた四人だ。惨敗は防げたものの、結果としては負けだ。もしあのまま判定が出ていたとしても、急所に当たったとしてワカバにペナルティが課せられていたのだからどちらにせよ負けは負けだったのだが、それにしても悔しい。
 心臓の真上に模擬弾のペイントを受けたヘルは、己の胸元とワカバを見比べて驚きに目を丸くさせていた。毒々しさの抜けたあどけない表情だが、それにときめくような好感は持ち合わせていない。

「あの子、なんて言ったと思う!?」
『知らねぇよ興味ねぇよもう寝かせてください頼むから』
「『また遊ぼうね、ナイトさん』だよ!? なんでワカバが騎士なの!? どう考えてもお姫様でしょ!?」
『知ってるか、メスゴリラ。お姫様は十二時の鐘とともに大人しく帰るんだよ。深夜三時に迷惑コールしたりしねぇ』
「メスゴリラって言うな腹黒眼鏡!!」

 脳裏によみがえる他人の体温。掴まれた手首、自由の利かない身体。それらはひどく不愉快だった。
 耳元で囁かれた声だって、苛立ちを煽るものでしかなかったのだ。
 去り際、頬を掠めていった唇の柔らかさを思い出した。あんな風にキスをされたことだってないのに。恥ずかしさと苛立ちで叫び出したくなる。
 ――ニノカタは、嫌じゃなかったのに。
 そう思ってしまう自分が、一番腹が立つ。

『もう寝ていいか寝ていいですかワカバ様』
「……ねえ」
『あ?』
「…………なんでもない!」

 どうしてあなたに触られるのは不快じゃないの?
 ――そんなこと、口が裂けても聞けるはずがなかった。


(2014.0928)


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