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*本編終了後


*シュガーパウダー


 糊の利いたシーツも、上品な調度品も、柔らかな照明の明かりも。そのすべてが慣れなくて、ひどく落ち着かなくさせる。大きな窓にはつい先ほど自分が触るまで、指紋一つついていなかった。
 その窓から見下ろした夜景は息を呑むほどに美しく、思わず零した溜息で窓ガラスが白く曇るほどだった。
 身体を清めた風呂も、猫足のゆったりとしたバスタブが愛らしい造りになっていて目にも楽しめた。備え付けのアメニティも高級品で、自分ではないような香りが全身から漂っている。

「かーなで」

 普段と違うことだらけで困惑しているというのに、この男だけはいつも通りだ。――いつも、というと少し語弊があるかもしれない。
 今の彼は、アカギや穂香がいるときとは違う顔を見せているのだから。

「もうちょっとそっち寄っていい?」
「あかん」
「普通はこういうとき、いいよって言うもんなんだけどね。……ま、奏に普通を期待しても無駄ってことくらい学習してるけど」

 前回会ったときから半年の期間が空いた。連絡自体は頻繁にとっていたものの、実際に会える機会はあまりない。こちらへの空渡が決まったとき、ナガトは電話越しに嬉しそうに言っていた。
 「せっかくだから旅行に行こうよ」と。
 このプレートのことなどよく知らないくせに、プランはすべて任せろと言ってナガトは通話を切り上げたのだ。二泊三日の荷造りをしておくように言われ、今朝、再会と同時に飛行機に飛び乗ったのである。
 国内旅行だとは思っていたが、まさか北海道に連れてこられるとは思っていなかった。また京都あたりの近場で済ませるだろうと思っていたのに。
 昼間は王道の観光を楽しんで、――そうだ、文句なしに楽しかったのだ。なにも考えていなかった。久しぶりの再会と滅多に来られない土地に浮かれ、年甲斐もなくはしゃいだ。
 そして、夜。
 予約してあるからと言われて連れてこられたホテルは、外装からして高級感に溢れていた。中に入ればすぐさま雰囲気に呑まれそうになる。
 庶民の心が逃亡を望んでいるというのに、ナガトは巨大なシャンデリアの下を涼しい顔で歩いてチェックインの手続きを済ませてしまった。
 案内された部屋は高層階で、今までテレビや雑誌でしか見たことがないような広さで奏を迎え入れたのだ。

「奏ってば。聞いてる?」
「きっ、聞いてる!」
「……なに、緊張してるの?」
「うるさい! はよ寝たら!?」
「奏が隣にいるのに? やだよ、もったいない」

 ――だから、なんでそんな声。
 甘い声がすぐ耳元に落ちてきて、分かりやすく身体が反応する。背中から前に回された腕にあっさりと捕まり、すぐにナガトの胸に引き寄せられた。
 背中に感じる人肌に、心臓があり得ない早さで動き出す。

「お前、ほんっとかわいいね」

 笑い声と同時に耳の後ろに唇が降ってきて、ますます身体が縮こまった。
 二人きりになるとすぐに甘えだすこの男を、誰かなんとかしてほしい。大きな猫がすり寄ってくるようで、振り払うに振り払えない。
 必死で声を飲んでいると、抱き締める腕の強さがより力を増した。

「この部屋、気に入らない?」
「……なんで?」
「あんまり嬉しそうじゃなかったから。スイートの方がよかった?」
「はあ!? スイートなんか泊まったら居たたまれなさで死んでまうわ! この部屋でも落ち着かんのに!」
「あ、そっち?」
「そっち!」

 部屋の高級感に加えて別の要因もあるのだが、それを言うと負けの気がするので口には出さなかった。
 くすくすと笑うテールベルト空軍の「王子様」は、人の耳元でわざわざ声を掠れさせて囁く。

「――じゃあ、部屋なんかより俺に集中してよ」

 所在なく投げ出していた手が捕まって、ゆっくりと指が絡められる。もう片方の手で、優しく頭を撫でられた。
 ナガトはときどき、壊れ物でも扱うかのような触れ方をしてくることがある。そういうときのナガトは、大抵が任務で感染者を処理して間もないらしい。らしいというのは、直接本人から聞いたことがないからだ。
 ガラス細工のように扱われるのは、正直むず痒くて仕方がない。それでも以前、酔ったナガトが零した「お前まであっけなく壊れたら嫌なんだ」という台詞を思い出すと、文句も言えずにされるがままになるしかなかった。

「明日も朝早いんちゃうの? はよ寝るで!」
「そんなに警戒しなくても襲わないって。ひっついて寝るだけ。いいでしょ?」
「よくない、暑苦しい!!」
「そうまで言われると傷つくんだけど」

 むっとした声。やや乱暴に身体が仰向かされ、真上にナガトが多い被さってきた。相変わらずアイドルのような甘い顔立ちだが、今は少し怒っている。
 睫の際が見えるほど近くにそれが迫り、ナガトは鼻先に噛みつくようにして言った。


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