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「こちらアカギ三尉。ナガト、そっちは終わったか」
「――なんだ、アカギか。終わったよ。要救助者も無事。そっちは?」
「二体とも回収した」

 淡々と交わされる会話の中で拾った名前に、それまで与えられる情報をただ甘受するだけだったワカバの頭が急速に働き始めた。ナガト三尉にアカギ三尉。名前も顔もすでに知っている。それは一方的ではあったけれど、広報誌で何度も見たことがあった。特にナガトは「テールベルト空軍の王子様」などと呼ばれていて、空軍学校内でも女子に人気の存在だ。
 彼らがワカバを知る由もない。制服を着ているわけでもないから、気づくはずもない。言わなければ分からないというのに、右腕は勝手に敬礼の形を取っていた。二人の目が驚きの色に染まる。

「助けていただき、ありがとうございました。――テールベルト空軍学校第一学年所属、ワカバ二士です」
「え、きみが空学生? てことは、通報してくれたのきみだったの?」
「はい。あの、他の人達はご無事でしょうか」
「迅速な対応のおかげで、一人も怪我人は出てないよ。もしかして、避難指示出してくれたのもきみだったりする?」
「あ、えと、はい。そうすべきかと思いましたので……」

 ナガトの人懐っこい瞳に覗き込まれ、先ほどとは違った意味で心臓が跳ねた。至近距離で見る整った顔立ちと甘い声音に、青褪めていた顔に朱が昇る。
 優しく頭を撫でられた拍子に力が抜け、左手に持ち替えていた枝切りばさみがぽとりと落ちた。血の汚れが付着したそれを見て、ナガトとアカギが目を瞠る。

「え、どうしたの、これ」
「向こうに感染獣の死骸があったが、あれお前がやったのか」
「あっ、それはっ、そのっ」
「ちょっとアカギ、責めてるみたいに聞こえる言い方やめなよ。ごめんね、ワカバちゃん。ちょっと驚いたけど、さすが空学生だね。……うわー、でもそっか、返り血浴びずに感染獣の駆除できるのか……。最近の空学生ってすごいな」

 半ば独り言のように呟かれたその台詞に、なんとも言えない気恥ずかしさを覚えてワカバは俯くはめになった。感心しきりのナガトの視線に耐えられず一歩下がれば、その場に呆然と立ち尽くしているニノカタにぶつかった。見上げれば、何度か宙を彷徨った目がこちらを向く。
 穏やかな顔立ちは、今や硬く強張ってしまっている。ずれた黒縁眼鏡の位置を直すこともせず、彼は茫洋とした眼差しでワカバを見下ろしてきた。

「……大丈夫?」

 返事はない。それもそうだろう。こんな状況に突然追い込まれて、すぐさま頭が働くはずもない。
 洗浄のための移動施設に向かう途中、ワカバはナガトとアカギの二人に状況を報告しつつ、頭の片隅で抱き締められたときの腕の強さを思い出していた。
 ――ワカバよりずっと弱いくせに。ワカバよりずっと頼りないくせに。
 なにもできずに恐怖で立ち尽くすくせに、あのときニノカタは確かにワカバを庇ったのだ。頬が熱い。ドキドキと音を立て始めた心臓が信じられず、また、信じるわけにはいかなかった。
 ニノカタは敵だ。最低最悪の、男の風上にも置けない人間だ。だから、徹底的に痛めつけなければならないのに。
 ぐるぐると渦巻く思考に囚われている間に、検査も洗浄もつつがなく終えた。先に避難していたフローリスト達はもちろん、ワカバもニノカタも感染の可能性は皆無でほっと一息つくことができた。ヴァハトに判断力を褒められ、気恥ずかしさに首を振る。
 あれは空学生として当然の判断だ。褒められるほどのことじゃない。そう言っても、フローリスト達は誰もがワカバを絶賛する。控室で歓談の最中、少し大きめのノックの音で意識がコントロールされた。振り返れば、ナガトが王子様然とした笑顔を浮かべてワカバを見ている。

「話し中にごめんね、ワカバちゃん。色々詳しく聞かなきゃいけないから、ちょっと来てくれる? ――他の皆さんはこちらの車で最寄駅までお送りしますが、よろしいですか?」

 フローリスト達が乗ってきた車は、洗浄後に隊員が送り届けることになったらしい。彼らはワカバを置いていくことに少し抵抗を感じたようだが、「軍人として当然のことだから」とワカバが言えば驚きつつも納得したようだった。どうやら、ワカバが軍属の人間だということに、今更ながらに気がついたらしい。
 一足先に別れを告げ、ワカバはナガトについていって事情聴取を受けた。周囲の状況や感染者の様子、退路確保に仕様したルートなどを事細やかに報告し終え、やっと解放されると知ったそのとき――それまで真剣な表情で聴取していたナガトが、途端に楽しそうな笑みを浮かべた。

「それにしても、よく頑張ったね。きみがいたから被害が最小限で済んだ」
「い、いえ……。わたし、逃げることしかできませんでした」
「それがベストだったんだよ。一年生じゃ、実戦なんてしたことないでしょ。戦ってたら確実に感染してる。あの状況で民間人の避難を優先させたのは完璧だった。きみ、いい軍人になるよ」
「過分な評価、ありがとうございます」

 火照る頬を隠すように両手で包めば、ナガトはより一層楽しそうに笑う。

「『軍人舐めんな』か。俺もいつか言ってみたいな」
「……………………はい?」
「いやー、あのときのワカバちゃんすっごい気迫だった。あの迫力で感染者の足が一瞬止まったくらいだし」
「えっ、ちょっ、あの、えっ!? 待ってください、あのときの、聞こえて――!?」
「え、うん。そりゃ、あんな声量で叫ばれたら聞こえるよ」

 赤く染まっていた頬が、今度はさっと青くなる。

「ナガト三尉っ、あのっ、その件なんですが……!」

 悪意がないのは分かっているが、そのまま広められてはたまらない。噛みつく勢いでなんとか「なかったこと」にしてもらい、ワカバは退室したのだった。




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