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 すっかり話の中心になっていたところ、カランと愛らしくドアベルが鳴いたのをワカバの耳が捉えた。なにか予感めいたものがあったわけでもない。だが、無意識に入口に目を向けた瞬間、ワカバは思わず叫びそうになった。
 人目を引く長躯。服装はいたってシンプルなのに、漂う雰囲気がそうは思わせない。淡い茶髪、小さな顔に乗ったサングラス。――間違いない、ヴァハトだ。
 隣には大人しそうな女性を連れているが、あれは彼女だろうか。サングラス越しでは分からないが、目が合ったような気がしてワカバは軽く会釈した。すると、ヴァハトよりも先に女性の方がワカバに気がついたのか、彼の袖を引いてこちらを指さした。
 ちょうど店員に案内されたテーブルも、なんの因果かワカバ達のテーブルのすぐ後ろだ。サングラスを外したヴァハトが、その菫色の綺麗な瞳を和ませて腰を折る。

「ご無沙汰しております、ワカバ様」

 腰に響くような低い美声に、一瞬にして同級生達がざわついた。こんなにも大人でかっこいい男性に「ワカバ様」などと呼ばれたのだから、彼らが驚くのも無理はないだろう。なにしろ、ワカバも未だに慣れない。

「お、お久しぶりです、ヴァハトさん! あ、えと、そちらは……」

 長い黒髪は、毛先だけがゆるくカールしている。大人しそうという第一印象ではあったが、彼女はヴァハトが紹介するよりも先に口を開いた。

「初めまして、オウカと言います。貴女、空学生のワカバ二士よね?」
「え? あ、はい、でもなんで……」
「広報部の妹がいるの。あの子はTVAFAにもよく行くから、貴女の写真も何度か見かけたことがあるのよ」
「ってことは、オウカさん、もしかして」

 空軍学校内にヴェルデ基地の広報部が取材に来ることはよくある。中でも若い女性カメラマンはいつも明るく元気で、空学生達の中でも好評だった。
 その姉ということは、オウカはもしや空軍の人間か。即座に立ち上がって姿勢を正し、叩き込まれた完璧な角度で敬礼する。一瞬にして雰囲気を変えたワカバに、同級生達が息を飲んだのが分かった。

「プライベートだからそんなに畏まらないで。――改めまして。第二攻撃隊所属のオウカ二曹です。よろしく」
「はいっ! テールベルト空軍学校第一学年、ワカバ二士です。よろしくお願いいたします!」

 ピンクのワンピースを着て敬礼するワカバの姿は、同級生達の目にどう映ったのだろう。ひそひそと交わされる会話は、ワカバにとって善か悪かは判断がつかない。それでも、これが今のワカバだ。その有り様を変えるつもりは微塵もなかった。
 ヴァハトとオウカが後ろのテーブルについたのに倣い、ワカバも着席する。その場の空気をそっちのけにしていたことを詫びれば、誰もが慌てて手や首を振った。

「いいって、いいって! それよりなんか、ワカバかっこよかった! ほんとに軍人なんだね」
「でも、ワカバはまだまだ半人前だけどね。あ、ねえ、それよりみんなは――」
「半人前っていうわりには有名人っぽいじゃんー。ワカバって昔っから謙遜が得意だよねー。もっとワカバの話聞かせてよ。軍隊ってさー、やっぱワカバみたいなキャラの子がモテんのー?」
「ぜんっぜん、そんなことないよ。女の子の比率が少ないから声かけてもらえるけど、普通の高校だったらきっと見向きもされないもん」

 鋭い棘には棘で返そうかとも思ったが、「かわいい女の子」はそんなことをしないと思い至って飲み込んだ。ツツジの放つ気配が、徐々に激しさを増していく。空軍学校という聞き慣れない話題に夢中の同級生達は、ツツジの放つ空気に気がついていないらしい。
 彼女にとって、ワカバが話題の中心になるのが気に食わないことは見え見えだ。にもかかわらず、自分から話をワカバに振るのだから矛盾している。適当に流していると、すぐ近くからコツンとなにかがガラスに当たる音が後ろから聞こえた。気になって振り返れば、窓の向こうで地面を転がる小石が見える。
 何気なく視線を上げて、ワカバは大きな目をより一層丸くさせた。

「――危ないッ!」

 そう叫ぶなり、ワカバは隣でなにかを言いかけていたツツジを抱き締めるように庇った。ほんの一瞬で、店内の賑やかな会話が悲鳴に変わる。
 ガシャアン!
 派手な音を立ててガラスの壁が砕け、きらきらと光を乱反射させる美しくも恐ろしいガラスのシャワーへと変貌する。咄嗟に銀のトレイを掴んで片手で頭を庇うように構えていたワカバは、降りそそぐガラス片がトレイの背面を叩く音を聞いてぞっとした。
 喧騒に包まれた店内に、外気が吹き抜ける。砕けたガラスがすべて地面に散ったそのとき、反射的に身体が動いていた。


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