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「あのね、タイヨウくん。言っときますけど、私、君よりびっくりするくらい年上ですよ」

 今声を出せばひどくみっともないことになりそうで、返事の代わりに肩口に歯を立てた。ここには傷がない。

「私もね、昔は憧れたことがあるんですよ。皆さんが楽しそうになさっている恋愛に。童話みたいな、かわいらしい恋に。ですけれど、ふと気がついたんですよ。――そんなものがなくても、今の私はとっても楽しいんです」

 顎の力を徐々に強めていく。
 そんなタイヨウを、ムサシは窘めることはしなかった。
 じわりと舌先に鉄臭い味を感じて口を離せば、かすかに血の滲んだ歯形が白い肌を飾っていた。唾液で光る肌は美しく、どこか淫靡だ。そこに白い髪が落ちる。白を染め変える、緑の毛先が。

「……なんで、俺じゃ駄目なんですか」
「君に興味がないからです。残念ながら、私の好みじゃありません」

 軽い調子で言われた言葉は、今までも何度か聞いた台詞だった。あのときそこで引いていれば、ここまで決定的な拒絶はされなかったのだろうか。

「ムサシ司令の好みって……?」
「けっして私のものにはならない人です。追いかけても追いかけても届かない人。だから、どんな私をも本気で愛せる君には、微塵の興味も湧かないんですよ」

 僅かに腕の力を緩めた隙に、ムサシの方から腕が伸びてきて後頭部を掴まれ、口づけられた。宥めるような軽いキスに、雫が頬を滑る。
 なんだ、伝わっていたのか。漏れる嗚咽を封じるように、再び唇が重ねられる。目の前の傷だらけの身体に縋れば、細い指先が涙を拭ってくれた。

「……あんたが好きだ。すきなんだ、あのときから、ずっと。理由なんてない。なんで好きかなんて分からない。でも、好きなんだ。――あんたがいい。あんたが欲しい」
「ですから、一度くらいなら貸してあげますよ」

 そんなこと、できるはずがない。それを分かっていてムサシは言っている。遊びなら、身体だけでいい。それこそ一晩だけで十分だ。
 けれどこの身体を抱いて、一晩だけで満足できるはずがない。
 貸してもらうのでは駄目だ。丸ごと、入れ物から中身に至るまで、余すことなくくれないのでは意味がない。
 大の男がみっともなく泣きじゃくる様は、ムサシの目にはどう映るのだろう。あやす手はどこまでも優しいけれど、それがタイヨウが欲する優しさではないことくらい理解できる。

「君が本気でなければ、私ももう少し遊んで差し上げたんですけど。悪いことは言いません。――諦めなさい」

 一変して本気の声音に、突き刺さるような痛みを胸に覚えた。背中を撫でても、指先には盛り上がった皮膚のいびつな感触が伝わるばかりでちっとも気持ちよくない。
 どんな痛みを抱えてきたのだろう。どんな苦しみを味わってきたのだろう。タイヨウには知る権利すら与えられない過去に、この人はどんな思いを残しているのだろう。
 頬を伝う涙が止まらない。ムサシの身体を抱き締めたまま、タイヨウはベッドに身体を投げ出した。

「えっ、するんですか?」

 さすがに予想外だったのか、腕の中で驚いた声が上がる。いい気味だ。顎を掴んで上向かせ、強引に口づけた。わざと苦しくなるように、気道を塞ぐような角度で。叱るように背を叩く手が、次第に力を失くして縋るようにシャツを掴んでくる。
 そこでようやっと解放してやれば、激しく胸を上下させたムサシがくったりとして薄目で睨み上げてきた。

「……殺す気ですか」
「それであんたが俺のものになるなら」
「悪趣味ですねぇ。タイヨウくんに殺されたら、私、ナガトくんの背後霊になります」
「じゃあナガトごと食います」
「あっ、それは美味しいんでありです、あり!」

 無邪気に笑う額に口づけて、抱き締めたまま身体を横にずらす。旋毛に鼻先を寄せれば、肩越しに振り返ったムサシと目が合った。

「タイヨウくん、これはいったいどういう状況ですか?」
「このまま寝ようかと」
「はい? なに馬鹿なこと言ってるんですか。しないならさっさと帰りなさい」
「嫌です」
「……君、私が今日言ったことの意味、理解していますか?」

 心底呆れた視線を向けられ、腹の奥がざわついた。傷のない耳の後ろを舐め上げ、跳ねた身体を抱いて笑う。

「分かってます。――けど、諦めない」

 「ちっとも分かってないじゃないですか」舌打ちと同時に放たれた台詞に、思わず噴き出しそうになった。どうやらムサシでも想定外のことは起こるらしい。
 ――ああ、それもそうか。
 だってこの人は、知らないのだ。

「司令、知ってますか?」
「なんですか」

 不機嫌さを隠そうともしない声に、心底嬉しくなる。

「恋する人間ってのは、すごいんですよ」
「頭の悪そうな発言ですねぇ。吐き気がします」
「俺の胸に吐いてもいいですよ」
「吐いたら嫌いになります?」
「むしろ惚れ直します」
「じゃあやめておきます」

 普段聞き慣れないやさぐれた声が嬉しくて、鼻先で髪を掻き分けて旋毛に口づける。傷だらけの身体をただ静かに抱き締めて、タイヨウは小さな耳に囁いた。


「――あんたが好きだ」


 綺麗だろうと、そうでなかろうと。
 たとえ一生、手に入らなくても。


(2014.0626)


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