5 [ 134/193 ]

 手が震える。タイヨウとて軍人だ。身体に傷の一つや二つは持っているが、それとこれとはまったくの別物だった。

「どうしました?」

 明るい声が、空気を撫でる。

「しれ、い、……これ、」
「ああ。びっくりしちゃいました? 確かこれが鋏で切られたときのもので、こちらは焼けた鎖で縛られたときのもので、それから――……」

 どうしたんですかと最後まで言い切ることはできず、それでも意味を汲んだムサシがそう続けてくれた。一つ一つ傷跡をなぞりながら、そんな風に説明していく。
 生きたまま鳥に啄まれた脇腹、焼けた鉄を押し当てられた臀部、何度も鞭打たれて抉れた背中。裂傷が走る手足。いつもと変わらぬ声がそれらを示すことに、頭が悲鳴を上げている。
 これはなんだ。今、目の前にいるのは誰だ。
 ――誰よりも綺麗だと思った。今まで見た、どんな人や美術品よりも。
 けれど今目の前にある身体は、お世辞にも美しいとは言い表せない醜い傷跡に塗れている。
 呆然とするタイヨウの視線を誘うように、ゆっくりとムサシが膝を立てて足を広げた。何度も夢に見た光景だ。そうしてくれたらどれほど興奮するのかと、何度も夢想した。指先が爛れて色を変えた内腿をゆっくりとなぞり上げていく。抗うこともできずにそれを視線で追うと、足の付け根に辿り着いた。
 男でも女でもないという意味を、タイヨウはこのとき初めて理解する。言葉では表現しがたい形状のそこは、確かにどちらでもなかった。そしてやや戻った指先が、ある一点を示す。
 最も柔らかな内腿の付け根。そこにあった痛々しい火傷の痕に、今度こそタイヨウは完全に思考が停止したのを自覚した。

「そしてこれが、“ムサシ(私)”の始まりです」

 爛れた肌に残された焼印は、「634」という三つの数字を示していた。――聞いたことがある。闇市で売買される奴隷には、その身体に奴隷ナンバーを刻むのだと。どんな方法でかは知らない。ろくでもないことだとは想像がついたが、そんなものはまったくの別世界のもので、自分には縁のないものだと思っていたからさして興味などなかった。
 「男女どちらでもない」「白を宿す」「年を取らない」ムサシを形作るそれらの意味を、自分は一度でも深く考えたことがあっただろうか。笑顔の奥で強い光を宿す瞳に惹かれ、それを綺麗だと感じて追いかけてきた。どうしてその綺麗さを手に入れたのか、考えたことがあっただろうか。

「賢い君のことですから、これがいったいどういうものかは分かるでしょう? でも安心してください、変な病気は持ってませんから。お望み通り一晩くらいならお相手して差し上げますよ。――これを見てもその気になるのなら、ですけれど」

 大抵の者が触れるのを躊躇うだろう肌は、美しさからはほど遠い。言葉なく茫洋とした瞳を泳がせていると、ムサシの細腰に比較的新しい小さな火傷痕を見つけた。震える指先で触れると、「気になりますか?」と笑われる。

「先日、面白がって煙草を押しつけられまして。いまどき根性焼きなんて流行らないって言ったんですけれどねぇ」
「……だれ、に」
「君に教える必要はありません」

 無邪気な笑顔が拒絶する。踏み込むなと、綺麗な笑みを浮かべてはっきりとした線を引く。
 いつもなら、それが心地よくもあるはずなのに。

「さてさて、どうします? その気ならこの身体、どうぞ好きに使っていただいて構いませんが、できないならさっさと帰りなさいな。いつまでも裸でいるとさすがに風邪を、――わっ!」

 寝そべったまま笑うムサシの腕を掴み、相手の肩にかかる負担などなにも考えずに衝動的に引き寄せた。そのまま乱暴に、小さな子どもがぬいぐるみでも抱くかのように掻き抱く。先ほどと同じように、首筋に顔を埋めた。剥き出しの背には、抉れた肉の痕が見えた。
 手のひらに、引き攣れた肌の感触が触れる。頬はあんなにも滑らかだったのに。夢見た身体は、しっとりと吸い付くようだったのに。

「ちょっと、タイヨウくーん? 苦しいんですけど、そういうプレイがお好きですか? そりゃ慣れてますけど、」
「――司令」

 苦しいと言うのなら、いっそ窒息してしまえ。この腕の中で。このまま、ずっと。

「ムサシしれい、」

 昔から、綺麗なものが好きだった。
 遊びと恋愛は、まったくの別物だった。
 綺麗だと思った。他の誰よりも、ずっと。
 ――苦しいのは、こちらの方だ。

「……すきです」

 忌むべき白を身に宿し、言葉にせず目指す未来を語るその姿が。誰をも和ませる笑顔で、けれど決して必要以上に自分に踏み込ませないその厳しさが。空を飛ぶ翼を見つめる、柔らかな眼差しが。
 テールベルト空軍を導く孔雀に寄り添う、その小さな背中が。

「あんたが、好きだ」
「……おやまあ。君は綺麗なものが好きだって聞いたんですけどねぇ」

 くすりと笑うその声が憎たらしい。あやすように頭を撫でてくる手を、いっそへし折ってしまおうか。
 駄々を捏ねて引き際を弁えなかった自分が悪いのだとは分かっていても、これはあんまりだ。こんなやり方はずるい。噛み締めた奥歯の隙間から、唸り声のような音が漏れた。眼球の奥がずくりと疼く。
 さらにきつく目の前の身体を抱き締めて、骨の軋む音を聞いた。苦しげに吐き出されるムサシの呼吸に、より脳が侵される。


[*prev] [next#]
しおりを挟む

back
top

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -