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*「前途多難」その後


*波及効果



「マジ信じらんねー、あの女」

 空っぽの胃に、キンキンに冷えたビールが流れ込む。いつぞやまったく同じ台詞を似たようなシチュエーションで吐いた覚えがあるが、あのときはここまで荒んでいなかった。友人は相変わらず涼しい顔でからあげに箸を伸ばしているが、それでもカサギの話には一応耳を傾けているらしい。
 相槌交じりに零れる笑い声に、苛立ちの募ったカサギは八つ当たりの好機とばかりに食いついた。

「なに笑ってやがる!」
「いやー、笑うだろ。笑うしかねぇだろ。半年前にやっとこ告ったかと思えば? 結局返事を保留にされ? んで? うやむやにされた挙句、改めて返事を聞こうとしたら告ったことすら忘れられてたって? 笑うだろ。これ笑わねぇでどうするよ」

 改めて言葉にされるとあまりにも痛い。刺さるものが多すぎて、今ごろカサギの全身はハリネズミのようになっているに違いなかった。
 少し長めの髪を掻き毟り、汚れたテーブルに突っ伏す。零れたレモン果汁の爽やかな香りが鼻先をくすぐったが、気持ちはちっとも晴れやしない。これなら、ギットギトのからあげの方がよほどマシだ。
 ――そもそもあの女が悪い。
 カサギは脳裏に描いた女の顔面にパイを投げながら、フライドポテトを貪った。実際にパイでもなんでもぶつけてやったら、どれほどすっきりすることだろう。そんなことをすれば大目玉を食らって地獄を見るのは目に見えている。なにせ、あの女――ヒヨウは、カサギよりも三つも上の階級だった。
 どれほどアピールしたところで一向に気づく気配のないヒヨウに痺れを切らし、直球勝負で告白したのがおよそ半年前だ。「好きです」と告げたカサギに、ヒヨウは笑顔で「え? ああ、あたしも好きだぞ!」と返してきた。一瞬浮かれそうになったが、ここで浮かれては馬鹿を見るということくらい、ずっとヒヨウを追っていたカサギには理解できていた。
 人として、軍人としてではなく、女としてのあんたが好きだ。そう告げた瞬間、ヒヨウはしばらくきょとんとし、そして絶叫した。今の今までまったく意識していなかったのだろう。ヴェルデ基地中に響き渡るような大声で叫んだあと、彼女は「時間をくれ!」と言い出した。
 今まで男として見たことがなかったから、考える時間が欲しいという。すぐに断られないだけマシだと思ったのだ。――このときは。
 そして三日、一週間、二週間、一ヶ月と時間だけが過ぎていき――気がつけば、半年余りが過ぎていた。

「まあでも、お前が悪いな。うん」
「なんでだよ!」
「その場で返事聞かねぇから。時間くれてやるにしても、せめて期限つけるだろ。三日とか一週間とか。返事せずにうやむやにするってことはフラれたってことだ。諦めろ」
「告られたことすら失念しててもか」
「そりゃなおのこと見込みがない。諦めろ」

 友人の言うことはもっともだ。その通り過ぎてぐうの音も出ない。
 店員が追加の焼き鳥を持ってきたタイミングで、ビールのお代わりを注文する。飲みすぎだと言われた気もしたが、飲まなければやってられない。

「……もっかい告って、そんでケジメつける」
「そりゃお前の自由だが、なんでまたそんな女を好きになったんだ? お前の好みって、清楚系だった気がすんだけど」
「確かにそうだよ今でもそうだよそのはずなんだよ! でも仕方ねぇだろ、惚れちまったんだから。なんで、なんて……分かったら苦労しねぇよ」 

 ハルナ、スズヤの同期で、必然的に目立つ存在のヒヨウ。男勝りな性格――と言えばまだ聞こえはいいが、中身はただのオッサンだ。昇任試験の前、彼女には乙女思考のギャップがあると思っていたあの頃の自分を殴り飛ばしてやりたい。
 夜中のチョコレート禁止がニキビ対策ではなく、健康診断前の気遣いだった。蜂蜜リップが保湿のためではなく、空腹を紛らわせるためのものだった。美容院のキラキラした雰囲気が怖いと駄々を捏ね、髪を自分で切った挙句にハゲを作って「帽子を被れば大丈夫!」と言い張る女のどこが好きなのか、自分で自分を三日三晩問い詰めたい。
 お湯を入れて三分待つだけの代物を料理と言い張り、包丁を持たせればみじん切りか乱切りの選択肢しか出てこない女。これだけ欠点を見ているのだからそろそろ気持ちの変化も現れてもいいと思うのだが、どういうわけか庇護欲ばかりがそそられて一向に嫌いになる気配がない。
 これはあれか。馬鹿な子ほどかわいいという、あれか。きっと自分は洗脳されているのだろう。一度きっぱりすっきり完膚なきまでにフラれないことには、この洗脳は解けそうにもない。今後まともな人生を送るためにも、ここできちんとけじめをつける必要がある。
 呆れたような眼差しを向けられつつも、カサギは決行を固く心に決めてビールを飲み干した。


* * *



 施設内の隅に追いやられた喫煙所は屋外で、屋根はあるが雨風を凌ぐには頼りない。一曹への昇任が決まったその日、髪をぼさぼさにして走っていったのもここだった。ひと気のないこの喫煙所で、ヒヨウはいつも煙草を吸っている。
 思った通り、今日もヒヨウはこの場所にいた。そこには珍しくスズヤもいて、彼の口にも煙草が一本収まっている。喫煙者だったとは意外だ。扉を開けたカサギに気づき、ヒヨウが屈託のない笑みで手を振ってきた。これが告白をうやむやにしている女の態度なのだから泣けてくる。


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