3 [ 132/193 ]

 男女問わず多くの人間と節操なしに遊んでいると聞いていたが、それがどうして「こう」なるのか。湧き上がる疑問に対する答えを持っているのはタイヨウしかおらず、それを問うことはすなわち彼を認容することと同意の気がして口を噤む。
 基地内の駐車場に向かう道すがら、ムサシはふと空を見上げた。日はとうに落ち、夜の色に塗り替えられた空はたとえ裸眼で見上げたところで痛みをもたらさない。瞬く星が瞳に飛び込んできても、それは陽光のように網膜を焼くことはなかった。月明かりが道を照らす。伸ばした手の先が、月光の下で青白く浮かんで見えた。

「あ、ムサシ司令の匂いがする」
「はーい、黙って運転しましょうねー」

 車に乗り込むなり真顔で鼻をひくつかせたタイヨウに笑いかけ、後部座席から指示を飛ばす。時折ミラー越しに向けられる瞳に籠もる熱には、どこか見覚えがあった。遠い記憶がよみがえる。あの頃は思い至らなかった、向けられた熱の意味。――彼は、それを思い出させる。
 首を飾る戒めの象徴。あの感覚がどんなものだったか、今はもう思い出せない。今は首輪の代わりにネクタイと認識票がぶら下がり、それがムサシをあるべき場所に繋ぎ止めている。己の首に手をやってぼんやりとしていたせいで、指示が僅かに遅れた。直前に左折を指示したというのに、タイヨウは焦ることなくウインカーを出して鮮やかにハンドルを切る。
 十分も走らせれば、車は閑静な住宅街に辿り着く。そこの高層マンションの一室がムサシの家だ。地下駐車場に車を入れ、部屋まで向かうエレベーターに乗り込むなり、タイヨウが階数表示パネルを見上げて小さく笑った。

「さすがですね。三階ですか」
「景観は高層階の方がいいんですけどね」

 「さすがですね」という言葉がつくということは、説明せずとも理由は分かっているのだろう。いざというときに迅速な行動がとれない高層階では不便がある。階段で十分移動ができる三階くらいがちょうどいいのだ。
 あっという間に二人を目的階へと連れていったエレベーターが、ご丁寧なアナウンスとともに扉を開けた。三階の角部屋、そこがムサシの部屋だ。ロックキーと指紋認証を終えて開錠すれば、広々とした玄関が二人を迎えた。
 長い廊下を抜けてリビングへと進めば、今朝目を通して放置していた新聞がソファの上に居座っていた。持たせていた荷物はソファの下にでも置くよう適当に指示を投げ、ムサシはネクタイを緩めた。
 ヴェルデ基地内の寮にも自分の寝室はあるが、どちらで寝泊まりするかはムサシの自由だ。最近ではこちらに戻ることの方が多いが、時期によっては数ヶ月戻らないこともある。
 どことなく落ち着かない様子のタイヨウが、所在なさげに壁の時計を見つめていた。

「シャワー浴びてきます。お茶が飲みたければご自由にどうぞ。適当に座って待っていてください」
「お背中流しましょうか」
「タイヨウくん、お座り。――はい、いい子ですね。ちなみに右手二番目の扉が寝室です。そちらで待っていても構いませんよ」
「早すぎる展開に心臓がついていかないんですが、俺、もうすぐ死ぬんでしょうか」
「別に止めませんが、ここで死なれると面倒なんでお外に行ってからにしてくださいねー」

 足元に正座して見上げてくるタイヨウの顎を撫で、ムサシは踵を返して浴室へと向かった。脱ぎ落とした軍服の上着の上に、引き抜いたネクタイが蛇のようにとぐろを巻く。一つ、また一つとボタンを外していくうちに、よく分からない衝動が込み上げてきて笑声が唇を割って出た。
 肌を滑るお湯の感覚が神経を研ぎ澄ませていく。白い靄の向こうに見えた瞳は、いったい誰のものだろう。真夏だろうと晒したことのない腕が、クリーム色の泡に包まれていく。甘い香りを放つそれは、それでいて口に含めばひどく苦い。
 髪を洗って、肌を磨いて。鏡の自分と目が合って、ムサシはにこりと微笑んだ。

「可哀想に」

 それは健気に待っているだろう青年に向けたものか、それとも遠い記憶のあの人にか、自分でもよく分からない。首筋に濡れた髪が張りつく。白い肌を飾る緑に触れ、ムサシは一度目を閉じ、熱い湯を頭から被った。
 こびりついた記憶そのものも押し流すように、強い勢いで。



「……おや。ここで待っていたんですか」

 しっかりと髪を乾かしてから出てきてみれば、タイヨウは先ほどと寸分変わらぬ場所に「お座り」していた。バスローブ姿のムサシを見つめ、ごくりと喉を鳴らす素直さに思わず手が伸びる。頭を撫でてやれば、その目元がほんのりと赤らむから面白い。
 冷蔵庫から水を取り出して飲んでいる間も、彼はその場から微動だにしなかった。どうやら、先ほどのムサシの命令を律儀に守っているらしい。

「タイヨウくん、お手」
「はい」

 差し出した手にすかさず右手が乗る。「おかわり、」同様に左手も乗せられ、あまりの従順さに褒美の一つでもやりたい気分になった。その太い首には、何色の首輪が似合うだろう。赤か、青か、それとも黒か。深緑も似合うかもしれない。だって彼は、その色の翼を持つ人だから。
 喉仏を指先でくすぐり、そのまま唇を経由して辿った指で鼻をつまんでやった。ふひ、と情けない音となって吐息が抜けていく。


[*prev] [next#]
しおりを挟む

back
top

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -