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*「Lost message.」→欠片本編読了後推奨


暁天の祈り


 いつか見た夢の続きを。
 使い古されたそんな言葉は、それだけ使う人間が多いということだ。手垢のついた言い回ししか浮かばないのは、語彙力がないせいか、それとも頭を働かせるだけの余裕がないせいか。
 目の前にいる女はあの頃となにも変わらず、つんと澄ましたような表情で窓辺にもたれていた。薄茶の髪は頭の後ろで団子状に纏められていて、あれをほどくと長い髪が大きく波打つことを知っている。本来癖のないまっすぐな髪は、仕事が終わって風呂に入る前のほんの少しの間だけ、豪華な巻き毛に変わるのだ。
 その柔らかさを思い出して、思わず自分の手のひらを見つめていた。そんなハルナをおかしく思ったのか、彼女は――コルセアは、小さく笑って首を傾げた。

「どうしたのよ、ハルナ」
「……いや。まさかお前がここにいるとは思わなくてな」
「そ? 久しぶりだしね、会いに来てあげたのよ。感謝してよね」

 顎を上げて笑うと嫌味っぽく見えるからやめろとあれだけ注意していたのに、あの癖はまだ治っていないようだ。きつめの顔立ちはそれだけで周囲に威圧感を与えるから、尊大な態度を取ると敵を作りやすい。そう言っていたのは彼女自身だというのに。
 ハルナは己のベッドに腰を下ろし、月明かりを受けるコルセアの顔をまじまじと見上げた。その声が思い出せなくなってから、もうどれくらいの月日が流れたのだろう。今こうしてはっきりと耳にしていることが不思議でしょうがない。
 上から下へと視線を移し、二本の足がきちんと生えていることを確認して安堵する。彼女は確かにそこにいる。そのことは奇妙な感情をもたらした。喜びでも安堵でもなく、はたまた不安の類でもない。強いて言うならば、憐憫が最も近いような気がした。

「最近どう?」
「それなりに上手くやっている。お前の方は?」
「あたしにそれ聞くの? あんたってほんとデリカシーないよね。そういうトコ、ムカつくわ」

 いつかのように笑ったコルセアは、ふいに目を細めてハルナを見た。

「あの子、見込みないわよ」

 青紫の瞳は、夜明けの空にも似ている。その瞳が近くなったと思ったら、コルセアがハルナの隣に座った。言葉の意味が分からず、「あの子?」とオウム返しに訊くと、彼女はにんまりと唇を持ち上げる。その笑みを見て、無意識に手が伸びていた。
 あの頃と変わらない距離。指先が髪留めを引き抜き、波打つ髪を解放する。閉じ込められていた香りが放たれ、甘い香りが鼻先をくすぐる。癖のついた毛先を掬うと、くすぐったそうにコルセアは身を捩った。

「あの子。あんたのだーいすきなお姫様」
「……ああ。マミヤ士長か」

 凛とした気高さと儚さを併せ持つ彼女は、コルセアとは似ているようで似ていない。どちらも美人であることは誰の目からも明らかだろうけれど。

「あんたじゃ無理よ。あの子は手に負えない」
「知っている」

 苦笑交じりに応えれば、コルセアの目が大きく見開かれた。自分から言い出したことだろうに、どうしてそこまで驚くのだろう。
 しっとりと滑らかな髪の感触を楽しんでいると、昔を思い出した。こうして触れるたびに彼女は少し煩わしそうに眉を寄せて、「疲れてるんだけど」と唇を尖らせていた。

「諦めてんの?」
「いや。そういうわけではないが……。まあ別にいいだろう、そんな話は! それより、お前はなぜ急に、」
「会いたかったから」

 言い終わる前に紡がれた言葉は、とても力強い響きを持っていた。髪を撫でる手が止まる。まっすぐに見つめた夜明け色の瞳は、僅かに哀愁を漂わせていた。

「あたしね、一つだけ後悔してることがあるの」
「なんだ?」
「星。いつだったか、コールくれたときがあったでしょう。星が綺麗だ、って。似合いもしないのに珍しくそんなこと言ってきて。あのとき、忙しくてそんなの見てる暇ないって言って切っちゃってさぁ」
「星?」
「そう、星」

 ああ、そんな日もあった。
 あの日は見事な流星群が観測された日だった。夜間飛行時には視界の邪魔になる流星群だが、地上から見上げる分にはとても美しく幻想的だった。

「……見ておけばよかった。あんたが見惚れるくらいの空、見ておけばよかった」

 そんな声を出すな、似合わない。そう言ってやればコルセアはきっと怒るだろうから、ハルナは黙って窓辺へ歩み寄り、カーテンを開けた。幸い、空を覆う雲はなく、ちらちらと星が瞬いている。
 流れる星はない。根気よく粘り続ければ一つや二つは見えるのかもしれないが、とてもあの日のような流星群は都合よく降ってきそうになかった。
 いつもいつも研究一筋で、ハルナのことなど二の次三の次で。出会いは決していいものでもなかった。気の強い女に、反感すら覚えたほどだ。それがいつの間にか、この腕の中に収めたくなっていた。引き寄せて、抱き締めて、そこまでしてやっと、きつい双眸が穏やかになる。

「コルセア、」
「え?」
「ほら、見ろ。――星が綺麗だ」

 窓を開けて、夜風を取り込んで。あの日と同じ言葉を紡ぐ。
 煽られたカーテンの向こうに、かつての恋人がいる。もう今は届かない、触れることのできない人がいる。波打つ髪がまっすぐに戻るところを見ることは、もうできない。それでも今、あの髪に触れることができた、それだけで十分だ。懐かしさが胸を満たす。痛みはさほどなかった。自分の中で、彼女のことはもう整理がついている。
 それでも心に触れる柔らかな熱に、なにかが動きそうになる。やや吊り目がちの瞳から涙が零れるのを見てしまうと、それは勢いを増した。


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