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 二十分があまりにも長かった。駅のホームは騒然としていて、ヘリコプターのローター音が耳に痛い。あちこちから上がる悲鳴や泣き声、そして野次馬のはしゃぐ不謹慎な声と、報道陣の声。そしてそれを規制する警官の拡声器の声。たくさんの声が重なって、螺旋を描きながら奏の耳に捻じ込まれる。
 降りるなりミーティアに連絡をすると、彼女は待っていたと言わんばかりにすぐに応答した。冷静な声が、この場の状況にはひどく不似合だった。

『――ご想像のとおり、今回の事件は感染者が引き起こしたものよ。状況はサイアク。集団感染を引き起こしているわね。今、対応をどうするか会議中よ』
「会議!? アホか、そんなんしてる間にほのがっ!」
『気持ちは分かるけれどね、奏。こちらには、お嬢ちゃん一人とその他大勢、そのどちらも救う必要があるのよ』
「ナガトは、ナガトはもう助けに行ったん!?」
『ええ。三尉達はすでに現場に到着しているはずよ。――けれど奏、現場付近は危険だから近づかないでいただけるかしら。なにがあるか分からないから。……奏、聞いている?』

 足元の雑草が白く変色しているのを、見た。
 人波を掻き分けて辿り着いた高校の前は、まるでドラマのような光景だった。野次馬と、警察と、報道陣と。あちこちでアナウンサーが保護者にインタビューをし、涙を零す母親をアップで映している。その後ろで飛び跳ねる金髪の男達。下がってくださいと叫ぶ警官。
 遠目から見ても分かるバリケードは、懐かしい机や椅子、ロッカーで作られていた。思わず中に飛び込みかけて、瞬く間に警官に止められる。黄色いテープが、北風に揺れていた。

『奏、奏? ちょっと、聞いているの? 奏?』

 返事もせぬまま通話を切り、奏はその場に座り込みそうになるのを必死で堪えた。喉の奥から、唸り声とも嗚咽ともつかないものが零れる。
 三年生なのだから、もう少しで自由登校だったのに。そうすれば、こんな事件には巻き込まれなかったかもしれないのに。
 両手で握り込み、額に押し当てた携帯はもう誰とも繋がっていなかったが、それでも話しかけずにはいられなかった。祈るように、血を吐くように思いを吐露する。
 思い出したのは、ランドセルを背負い、怯えたようにこちらを見ていた小さな女の子の姿だ。一人にすると泣いてばかりで、それでも両親の前では必死に泣くまいと歯を食いしばって。結局耐え切れずに、ぽろぽろと涙を零していた。どうすればいいか分からなくて、それでもなんとか元気づけてやりたくて、その頭を撫でて抱き締めた。お気に入りのぬいぐるみを抱くときよりも、ずっと優しく。次第に泣き声が大きくなって、パパ、ママと叫ぶ声が胸に突き刺さり、奏まで悲しくなって、二人で一緒に泣いたのだ。
 今はもう二人とも大きくなっているけれど、それでも、奏にはあのときの穂香の悲痛な泣き声が忘れられない。
 
「ほの……。頼むから、無事でいて」

 ――どうか助けて。
 あの子を。
 大切な「妹」を、どうか。


* * *



 狭いロッカーの中に身を隠しながら、穂香は携帯を握り締めて震えていた。
 耳の奥にアカギの怒鳴りつけるような声が残っている。「なにがなんでも助けてやる」声はとても乱暴なのに、言葉は穂香が望むものそのもので、祈るように握った携帯を額に押し付けて涙を零した。
 ――助けて。お願い、早く来て。早く、早く。
 一時間ほど前から、穂香の心は不安で張り裂けそうになっている。



 二時間目は体育館でバドミントンの授業があった。運動が得意ではない穂香でもバドミントンは人並みにできるので、比較的苦痛を感じない時間だ。この時間、東校舎は日が当たるので冬の寒さもさほど感じない。適度に温まった身体にほっと一息ついて教室に戻る途中、忘れ物をしたことに気がついた。

「ほのちゃん、どしたん?」
「あ……、ごめんね、郁ちゃん。更衣室のロッカーにお財布忘れてきちゃった。先に戻っててくれる?」
「うわ、今から取りに行くなら結構ギリやなぁ。代わりに行ってきたろか?」

 足に自信のある郁が時計を見て親切に申し出てくれたが、友達を使うわけにはいかない。その代わりに遅刻したときのための伝言を頼み、穂香は疲れの残った足を懸命に動かして今し方通ったばかりの渡り廊下を全力で駆け抜けた。
 冬の冷たい空気が肺を刺す。あと三分で三時間目開始のチャイムが鳴ってしまうから急がないといけないのに、思うように足が動かない。少しスピードを落として、渡り廊下から見えるグラウンドに目を向けた。三時間目が体育の生徒達が白線を引いている。どうやらフットボールでもするらしい。
 そろそろ走り出さないと。そう思った矢先、なにかが勢いよく弾ける音が鼓膜を激しく叩いた。スタートピストルでも鳴らしたのかと思ったが、パァン!、という音に次いで悲鳴が上がる。最初の一発から続けて、さらにパパンッ!、と二発の銃声が鳴った。

「え……」

 銃声だとすぐさま思い至ったのは、ブレザーのポケットに同種のものが入っているからだ。ミーティアに持たされた薬銃は小型の拳銃で植物性だけれど、「銃器」であることには変わりがない。これも、引き金を引けばあんな音がする。もっと軽いけれど。
 足が竦んだ。体操着姿の生徒達が、統制を欠いた蟻の軍隊のようにばらばらと散らばりながらグラウンドを逃げていく。その向こうから、酔っ払いのように足元のおぼつかない男が歩いてくる。男が腕を大きく振り上げた瞬間、またしても高らかに銃声が鳴り響いた。
 穂香は慌ててその場にしゃがみ込み、グラウンドから見えないように頭を低くした。周りにいた生徒達の行動はまちまちで、穂香のように身を隠す者や、野次馬根性で手摺りから乗り出す者、校舎の中へ走って逃げ込む者などがいた。近くにいた教師が緊急事態を察知し、校舎内へ入るように声を張り上げる。


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