3 [ 76/184 ]

「――そこにいろ」
『あかぎさ、』
「いいからそこにいろ! 言ったろうが! なにがなんでも助けてやるって! 分かったらそこで大人しく待ってろ!」

 怒鳴りつけて通話を切ると、呆れたようにこちらを見つめるナガトと目が合った。もうすでに地図は取り込めたらしい。
 データの共有をしながら、現在地と東校舎を確認した。ここは本校舎――中央棟らしいので、穂香のいる場所までは少し距離がある。そこに向かうルート上にいくつもの点が光っているのを見て、ずしりと頭が重くなる。

「あのさぁ……」

 銃のスコープを覗いて角に見えた感染者を打ち抜いたナガトが、こちらを見もせずに言った。

「お前、あんなこと言ってたっけ?」

 ――なにがなんでも助けてやる、だなんて。

「……るっせェよ。行くぞ!」

 言ったか言わないか、そんなことはどうでもいい。
 肝心なのは、やるかやらないかだ。


* * *
 


 流れる景色はすっかり日常と化していて、別のことを考えていても足は勝手に目的地へと向かう。前から三両目の扉の脇。ここに立っていれば階段のすぐ前で降りることができる。そうして乗り換えて、今度は後ろから二両目の車両に乗り込んで大学へと向かうのだ。
 大学の最寄駅へ向かう電車に乗り込み、ちょうど扉が閉まったタイミングで鞄の中の携帯が震えだした。表示されていたのは高校時代の友人の名前で、「おっ」と思い首を傾げた。電車の中で出るわけにはいかないので、申し訳ないがやりすごす。あとでかけ直せばいい話だ。しばらく震え続けた携帯はぴたりと鳴り止んだが、三十秒もしないうちに再び震え始めて目を瞠る。
 留守電でもメールでもなく、重ねての着信。よほど緊急の用なのだろうか。幸い、講義の時間までは余裕がある。とりあえず用件だけ聞いて、詳しくはあとでかけ直そう。
 そう思って、最寄駅から一つ手前の駅で下車し、未だに震え続ける携帯を耳にあてた。

「もっしもーし、久しぶり、明里! どうしたん?」
『奏!? ねえ、テレビ見た?』
「――へ?」

 挨拶もなしに、開口一番それだった。こんな風に、明里が一方的に勢いよく捲くし立ててくることはあまりない。どちらかと言えばそれが多いのは奏の方で、明里は「うん、うん」と微笑みながら話を聞いてくれるタイプだった。
 どうしたのだろう。不思議に思いながら「見てへんけど……」と答えると、明里が息を呑んだ。耳に押し当てた携帯から、その呼吸音がつぶさに聞こえてくる。ああ、と、悲哀を含んだ吐息が零れるその音まではっきりと。
 嫌な予感がする。胸のざわつきは、呼吸をするたびに大きくなっていく。

『妹ちゃんの行ってる高校って、白緑高校?』
「え、うん、そうやけど、……なに? どうしたん?」
『白緑高校に、銃を持った男が立てこもったって、今、ニュースで』
「うそ……、え、なにそれ、銃って、え?」

 明里の言っていることが理解できない。混乱する奏に、明里はニュースで見た情報を伝えてくれた。今分かっていることを一から十まで説明してくれたが、その半分も頭に入ってこず、奏の脳内にはぐるぐると「銃」「男」「立てこもり」の言葉が嘲笑うように渦巻いている。
 いつ電話を切ったのか覚えてもいなかった。気がつけばホームのベンチに座り込んでいて、かじかむ手指を色が変わるまで強く握り締めていた。
 手の中で再び携帯が震えだす。今度は母親だ。予想通り、今にも泣きそうな声が鼓膜を叩いた。

「母さん落ち着いて、大丈夫やから! 学校のことやんな。――ううん、テレビは見てないけど、友達が教えてくれた。とりあえず、母さんは家から動かんとって。学校行ったらあかんよ。――なんででも! 警察から連絡あるかもしれんやろ!」

 今にもひっくり返ってしまいそうな声をなんとか落ち着けて、母をぴしゃりと叱りつけると、それで少しは落ち着きを取り戻したようだった。大きく吐き出された溜息は震えていたが、それでもキンキンとした泣き声ではなくなった。

『そ、そうやね。ごめん。家におる。アンタは?』
「とりあえず、高校の近くまで行ってみる。もしかしたら、ほのは外に逃げてるかもしれんし」
『でも、そしたらアンタまで危ないんじゃ……』
「どうせ警察と報道陣でごった返してんねん、そこまで近くにはいかれへんよ。様子見に行くだけ。危ないと思ったらすぐ離れる」

 でも、と、何度も止めようとしてくる母親をなんとか言いくるめ、奏は白緑高校へ向かうべくホームを移動した。白緑高校は駅からすぐ近い。途中で路線を変える必要があるが、急げば四十分ほどで辿り着くだろう。
 話しているうちに、母親が悲鳴を上げた。どうやらテレビの生中継で銃声が聞こえたらしい。それにより再びパニック状態に陥った母が、うわごとのように「ごめんなさい」と呟いた。すっと胸の奥が冷えていく。その謝罪が誰に向けたものなのか、すぐに理解できてしまったからだ。

『ごめ、ごめんなさい、姉さん……。もし、もしあの子になんかあったら、なんて謝れば……』
「――不吉なコト言うな!! っ、とにかく! またなんかあったら連絡するから! 変なこと考えんでや!」

 電話を切るなりナガトにかけてみたが、コール音が虚しく鳴り響くだけで応答はなかった。アカギにかけても同じで、頼みの綱が途切れた気がしてどうしようもない不安が去来する。深い山奥に身一つで放り出されたような気分だった。ばくばくとうるさい鼓動は、奏になにを訴えているのだろう。
 電車に乗り込むと、上空を飛ぶヘリコプターが旋回しているのが見えた。車内の誰もが携帯の画面に夢中になっている。いつもの光景だと思っていたのに、その会話の内容は「高校に立てこもり事件やって!」というものがほとんどだった。
 どこが日常だ。こんな日常は、望んでいない。
 何度かけてもナガトは応答しない。なにが守るだ。肝心なときに役に立たない。そこまで考えてはっとする。もしかして、もうすでに高校に向かっているのではないだろうか。これが「単なる異常」な男が起こした事件にせよ、「特殊な異常」をきたした男が起こした事件にせよ、彼らならばいち早く察知して穂香を救出しに向かったのではないだろうか。

 ――きっとそうだ。そうであってほしい。


[*prev] [next#]
しおりを挟む

back
top

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -