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「自分が出せるのは、これくらいなもんです。ハインケル博士は、ただ者じゃない。あの人は常軌を逸した科学者だ。……その博士がナガト三尉とアカギ三尉の元へ送られたって言うんなら、彼らはただの被験者にしかなりえない」

 脇の下にじんわりと汗が滲む。乾いた舌が口の中でぴたりと張り付いて動かない。
 思い出すのは、まだまだ青い二人の幹部候補生の姿だった。あの二人も、ハルナとスズヤと同じくらい、泣かせるのはなかなか至難の業だった。荒削りながらも期待ができる、若い翼達。
 ソウヤの胸で、スズランの徽章が光る。
 閉じた瞳の奥に、緑の欠片がちらりと見えた。


* * *



「『まるでゾンビ。新たな病魔か。WHOは早急に調査を進めている――』……か。アメリカやヨーロッパじゃかなり騒がれてきてるけど、これも感染者?」
「この記事見る限りではね。ほら、ここ。首のトコ、葉脈浮かんでるでしょ。こっちのは傷口から発芽してる」
「うっわ、えっぐ……」

 インターネットのニュース記事では、海外での奇妙な現象としてそれが取り上げられていた。ゾンビ化が起こっていると話題になっており、医師や専門家の見立ては新型のウイルスによる病気だ。だが、ナガトとアカギは、はっきりと白の植物が原因であると言い放った。奏もそう思う。
 テレビのニュースでも放送されているが、「怖いなあ」と感想を漏らす程度の“他人事”扱いだ。感覚的に言えば、エボラ出血熱と同様の扱いだろうか。恐怖を煽るような過剰な特集はされるけれど、それは身近ではない。遠い国の、自分達には関係のない出来事。誰もがそう思っているだろう雰囲気が、スタジオの様子からも見て取れる。

「なんでこんだけ騒がれてんのに、日本じゃあんま話題になってへんのかなぁ」
「そりゃ、向こうほど感染者のレベルが高くないからね。錯乱して人を襲ったとしても、ただの犯罪者の域だ。高レベル感染者の集団感染とか、そういうのが起こればあっという間にパニックだよ」
「なんにしたって、プレート間交渉の有無も分かんねェな。ハルナ二尉とは相変わらず連絡取れねェし」

 苛立ちながら、アカギは壁を軽く蹴った。隣の部屋には穂香が勉強に勤しんでいる頃なので、妨害の罰として遠慮なく頭を叩く。
 痛みに吠えたアカギをそのまま無視し、奏は以前から疑問に思っていたことをナガトに問うた。

「前から気になっとったんやけど、ハルナって誰? 二尉ってのは階級やんな。女の人?」
「え? ああいや、違う違う。ハルナ二尉はれっきとした男性軍人です。確かに名前はかわいいけどね」
「そうなんや? てっきり女の人かと……」
「いやいやいやいや。ハルナ二尉は我がテールベルト空軍が誇るエースパイロットだよ。陸戦空戦、どちらも得意。キャラクター性もあいまって、空軍のアイドルってやつかな。あ、でも入った頃、名前で油断して泣き見てた奴もいたよな、確か」
「ああ、いたいた!! 酔って絡んで足腰立たなくなるまで投げられた奴とか!」

 手を叩いてナガトが笑い、昔見たのであろう光景に二人して思い出話に花を咲かせている。こうなってしまってはもう、奏は口を挟めない。なんだかんだで仲のいい二人は、奏のことなどそっちのけで話を弾ませていた。
 笑ったり怒鳴ったりと忙しい会話を聞きながら、モニターと再び向き直ってみた。海外の個人サイトでは、軽くモザイクがかけられた程度のグロテスクな感染者の写真が普通に掲載されている。拙い英語力で読み解くに、それは植物との合成獣のようだと評しているサイトもあった。
 日本でこんなことになれば、ナガトが言ったように途端にパニックになるのだろう。なにしろ対処法がこの地球上にはない。ナガト達が再三呼びかけている応援が来なければ、大量の感染者と対峙できるのはたった二人しかいないことになる。
 そこで、はたと新たな疑問が生まれた。頭上でいつの間にか舌戦に変わっていた二人のやりとりに、無理矢理声を捻じ込む。

「なあ。なあって! 聞きたいことあるんやけど。そういえば、なんで空軍なん? だって白の植物も感染者も、みんな陸上のものやん。なんで陸軍じゃないん?」

 ぱちくりと目をしばたたかせたナガトが、少し考えるように唇に拳を当てた。そんな仕草が似合うのだから少し腹が立つ。
 異世界がどうこうと言われて、そちらの方に気を取られていたせいで疑問に思う余裕もなかったが、よく考えてみれば不思議だ。

「いろいろあるんだけど、どう言えば一番分かりやすいかな……。とりあえず、俺ら特殊飛行部ってのはプレートを渡る――つまり、飛ぶわけ。それが一番の理由かな。陸軍もあるけど、そっちは国内専用。緑地警備隊が他プレートに渡るときは、うちの空渡艦で派遣されるし」
「へー……。でも、それは分かるけど、そんじゃ国内は? だって空渡艦って、潜水艦とかそんな感じやん。でもあんたらはパイロットなんやろ? 戦闘機がどうのって言ってるし。それとも、こっちで言う戦闘機とそっちのは違うん?」
「いんや。自動的に俺達の言葉や概念はこのプレートに近づけられてっから、"戦闘機"が理解できんならこっちにある戦闘機とそう変わんねェよ」
「…………へ?」

 アカギがなんでもない風に言ったが、奏にはすぐに意味が飲み下せない。戦闘機が理解できるなら、こっちにある戦闘機と変わらない、とはどういうことだ。
 頭上にクエスチョンマークを浮かべる奏に二人は顔を見合わせ、アカギが耳につけた小さなインカムのようなものをいじくった。

「あのね、奏。今、俺の言葉は理解できるよね?」
「うん。それが?」
「それじゃ、ええと……、これ、なんて言う?」
「は? ホッチキス?」

 卓上にあったホッチキスを手に、ナガトが満足そうに頷く。「そう、ホッチキス」まるで幼稚園児に言葉を教えるようなそれに、ますます意味が分からなくなる。
 眉間にしわを寄せた奏をさらに追い詰めたのは、今まで聞いたこともない音の響きだった。

「え、ちょ、なんて?」
「――」
「は? なに、え、もう一回!」
「――」

 聞こえてくるのはアカギの声だ。だが、何度聞いてもそれはただの音の羅列でしかなく、しかも自分の知っている音では表現できない。
 唖然とする奏を見たアカギがまたしても耳の機械をいじると、その言葉はなんの引っかかりもなく「ホッチキス」と聞こえた。



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