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「えー? レディファーストって常識じゃないの?」
「あんたのはなんか違う気がする」
「あ、バレた? いやー、だってさ、軍の中ってむさっくるしい男ばっかりなんだもん。女の子と出会えたら触っとかなきゃ損でしょ」
「うっわ、サイテー!!」
「はいはい、騒がない騒がなーい。せっかくのデートなんだしさ」
「は、はぁ!?」

 ぎゅっと指を絡められ、思わず声が上擦った。しまった。はっとして口を覆うが、きょとんとしていたナガトの目がすぐさま新しいオモチャを見つけたとばかりに爛々と輝く。
 見せつけるように繋いだ手を持ち上げられ、彼は一歩距離を詰めてきた。
 赤に閉じ込められた世界の中、太い鳥居の柱を背で感じる。

「ちょっ、近い!」
「なぁに、奏。もしかして照れてんの? 手ぇ繋いだくらいで? それとも“デート”?」
「るっさいな! どいてって!」
「ふーん……。意外と男慣れしてないんだ? あ、分かった。あれでしょ。いいお友達止まりで終わっちゃうタイプ。……まさかと思うけど、キスもまだだったりする?」
「アホか! ちゅーくらいはあるし!!」
「へぇ、“くらいは”ね」

 指先に軽くキスを落とされ、今度こそ耳まで赤くなったのを自覚する。
 ああそうだ、そうとも。友達止まりでなにが悪い。好きになったところで、いつもいつも「いいお友達」で終わる人の気持ちが、いかにもモテそうな男に分かるはずがない。告白したら「ごめん、男友達にしか見えない」とか言われた女の気持ちを、一度でも考えたことがあるのか。
 怒鳴り散らしてやろうと思ったが、恥ずかしさと怒りで言葉が渋滞を起こして飛び出してこない。

「案外かわいいとこあるんじゃん。ね、理想の告白ってどんなの?」
「誰が言うか!」
「えー、いいじゃん教えてよ。――やっぱさぁ、こーゆーの?」

 とんっと顔の横に手をつかれて、耳元に吐息が触れた。久しぶりに間近で感じた他者の体温に、肌が粟立つ。

「――『好きだよ』」

 低く、わざと掠れさせた声。
 直接鼓膜を震わせようと意図したのが丸分かりのくせに、それでもぞくりとしてしまった自分に腹が立った。通り過ぎていくカップルが、こちらを見てくすくすと笑っているのが見えた。いちゃついているバカップルとでも思われたのだろうか。
 その瞬間、奏の中でなにかがぷつりと音を立てて切れていった。

「んっの、ドアホ!!」
「痛ッ! ちょ、どこにそんな馬鹿力……」

 突き飛ばし、渾身の力を込めて頬をビンタする。避けられたせいで綺麗に決まらなかったが、掠った爪の先が端正な顔立ちに赤い線を残しているので少しばかりすっとする。もう一、二発殴ってやりたいところだが、こんな馬鹿げたやり取りの間にも日は落ちている。
 苛立ちを露わに石段を降りてくと、微塵も悪いと思っていなさそうな謝罪が追いかけてきた。絶対に許してやるもんか。そう心に決めて頑なに振り返らない。

「ねえ、奏ってば。ごめんってー。ちょっとふざけすぎた、ごめんごめん」

 へらへらと笑うこの男、テールベルトとかいう彼の国ではどれだけ女を泣かせてきたのだろう。二股くらい平気でしでかしそうで怖い。どすどすと音がしそうなほど大股で歩いていた奏の耳に、突如として甲高い電子音が突き刺さった。
 反射的に振り返る。一瞬で顔色を変えたナガトが携帯端末を操作し、先ほどまでとはまったく異なる表情で奏の腕を引いた。

「感染者だ。計二体。いい、よく聞いて。相手は東側からやってくる。すぐに片付けて追いかけるから、奏は逃げろ。大丈夫、下に気配はない」
「その感染者のレベルは?」
「そんなのいいから、早く行けって!」
「教えてや!」

 東側。山頂の方角だ。石段を降りてくるというよりは、斜面を下ってきそうな雰囲気だった。
 鳴り響くアラートの音が大きくなる。あっという間に日は落ちた。外灯が灯され、ぼんやりとした白い光によって、薄闇の中、朱塗りの鳥居が浮かび上がる。自分達以外に人はいない。
 焦れた様子のナガトが、斜面を警戒しながら薬銃を構えた。

「そう高くない! レベルAかB! だけど危険なことには変わりないだろ、遭遇したらどうするつもりなんだよ!」
「逃げたって、そいつらはあたしを追いかけてくるんやろ!? やったら、“先生”がおる間に練習せんでどうすんのよ!」
「は!?」

 ガサッ! ――暗がりに呑まれた山の斜面。落ち葉を蹴散らす音が耳に届いた。
 呻き声が聞こえる。ナガトの舌打ちがそれを追い、「下がれ!」という怒声が重なった。
 仄白い光の中、転びそうになりながらこちらを目指して走ってくる人影に、心臓があり得ないほど早鐘を打っている。「ウ、ァア、グ、アアアアア!」人であって人でない、まるで映画の中に出てくるゾンビでも見ているような気分だ。
 ――怖い。はっきりと恐怖を感じ、足が震えた。
 瞳に光はない。虚ろな瞳が奏を捉えた。濁った歓声を上げて、感染者は駆ける足の速度を増した。ナガトが苛立ったように薬銃を撃つ。百メートル以上の差があるように見えたが、見事手前の一人に命中し、感染者は斜面を転がり落ちていった。
 もう一人にも同じように発砲したが、直前で転ばれたせいで弾は外れた。甘い顔立ちに似合わない、口汚い罵声が神聖な場所に放たれる。

「奏、下がってろって! バカ、前に出るな!」
「言うたやろ、練習するって!」

 あれは、本当に人か。
 焦点の結ばれない瞳が、ぎょろぎょろと忙しなく動いて奏を追う。滑稽なほどに大きく動かされる両の手足。獣の唸りにしか聞こえない声を上げる口からは、粘ついた唾液が零れているのが見える。
 ――それが見える距離まで、近づかれた。

「なにするつも、」

 鞄の中に入れていた薬銃は、すでに取り出してあった。
 構え、照準を合わせ、震える手足に無視を決め込み引き金を引く。
 ――ナガトの薬銃よりも軽い発射音のあと、斜面を転がり落ちる音が薄闇に轟いた。

「…………お見事」

 呆然とした声と、乾いた拍手が三回。
 全身の力が一気に抜け、その場に膝から崩れ落ちた。呼吸が整わない。全力疾走したわけでもないのに、吸って吐いての簡単な所作が上手くいかない。肩で息をする奏を尻目に、ナガトは「ちょっと見てくる」と参拝道から出ていこうとした。
 小刻みに震える手が彼の足を掴んでいたのは、無意識だった。驚いたのは奏の方だ。目を丸くさせたナガトに見下ろされ、慌てて手を離して首を振る。

「ち、ちがっ」
「……すぐ戻るから。いい子で待ってて」

 幼い子供にするように頭を撫でられて、息が詰まる。
 暗がりの中に消えていった背を見送って、一気に恐怖が込み上げてきた。手の中の薬銃が、カタカタと鳴いている。それは自分の手が震えているからだと気づいて、笑いそうになって失敗した。歯の根がかみ合わず、ガチガチと不快な音を立てている。
 虫の声。淡く浮かぶ朱塗りの鳥居。深い闇に包まれた山の中には、人ならざるものが棲んでいそうで。
 ――それに自身が向かうということは、とても、恐ろしい。
 得体の知れない誰かに狙われて、名前も知らない誰かを撃つ。死ぬわけじゃない。殺すわけじゃない。だけれど、自らが放つこの一発で、相手は苦しげな悲鳴を上げ、倒れ込む。

「おっそろし……」

 軽く言ってみたが、身の内に溜まった恐怖はそう簡単に消えていきそうになかった。
 人が人であって、人でなくなる。それが白の植物がもたらす作用だ。
 囮になるということは、今のような体験を何度もするということだ。
 ――大丈夫。奏は震えの収まらない手をぎゅっと握り込んで、肺が空になるまで息を吐ききった。


 大丈夫。
 セイギノミカタは、これくらい簡単にやってのけるでしょう。


【11話*end】


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