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尊き欠片に滲む影 *11




「ねぇチトセぇ〜、聞いてよぉ〜!」
「おわっ!! はっ!? え、マミヤ!?」

 勢いよく部屋に飛び込んで、雑誌を捲っていたルームメイトに思い切り飛びついた。折り畳み式の小さなテーブルの上に広げられていたスナック菓子が袋ごと床に散っていったが、そんなものはどうでもいい。今はとにかく、友人のぬくもりが恋しかった。
 飛び込んだ胸の膨らみはささやかなもので、同じ女として心から同情を禁じ得ない。同時に湧き起こる優越感に蓋をしてすりすりと頬を擦りつけてやれば、頭上から罵声と共に溜息が降ってきた。器用なものだ。細いだけではなく、きちんと鍛えられた身体に腕を回す。
 呆れかえった様子で頭を撫でてくるこの手が、とても心地いい。

「……なに、どうしたの。今度は誰にフラれたの。え? どこの既婚者に手ぇ出したの」
「違うわよぉ、まだ独身〜」
「えっ、めずらし! 誰、どこの誰。あっ、もしかして開発部の――」
「ソウヤ教官」
「ああそう、ソウヤ教官。確かに未婚……って、ええええええ!?」

 べりっと音を立てそうなほど勢いよく身体を引き剥がされて、振動でマミヤの頭がくらりと揺らいだ。そのまま何度も前後に揺さぶられ、細い首が悲鳴を上げる。戦闘職種に就いているチトセの力は、マミヤとは比べ物にならない。なんとか静止をかけると、彼女は慌てて手を離した。
 ああもう、気分が悪い。目が回る。
 ぐったりと胸にしなだれかかるマミヤの肩を抱いて、チトセは困惑しきりの表情で見下ろしてくる。それもそうだろう。マミヤが言いたい「フラれた」の意味と、彼女が聞きたい「フラれた」の意味は似ているようで大いに違う。まずはそこの誤解を解く必要があるのだろうが、今はそんな説明すら面倒くさい。

「待ってマミヤ、落ち着きなって。ソウヤ教官? あんた今、ソウヤ教官っつった?」
「そーよぉ」
「ええええええええええ!? いや、え、ちょっと待ってよ、だってあんた、ソウヤ教官ってまだ32かそこらでしょ!?」
「若いわよねぇ」
「そう、そう! そんな若いのに、あんたが惚れたの!? しかもフラれた!? え、なにそれ、どういうこと?」
「ひとまずあんたが落ち着きなさぁい」

 ぎゅっと強く抱き着いて、呼吸ごと言葉を奪ってやる。案の定チトセは一瞬だけ息を詰まらせ、しおしおと勢いをなくしていった。ちょうどいいので、そのまま頭をずらし、胡坐を掻いている彼女の膝に預けた。引き締まった腹に腕を回せば、すぐさま頭を撫でられる。犬猫にでもなったような気がするが、髪を梳いていく指先の感触は昔から好きだった。
 甘えるように喉を鳴らし、マミヤはどこから説明したものかと考えた。なにをおいても、まずはあらぬ誤解を解く方が先だろう。
 頭の作りがさほど上質ではないチトセにでも分かるよう、一つずつゆっくりと説明していってやると、彼女はやがて肺が空っぽになるまで息を吐いて全身の力を緩めた。どうやら相当緊張していたらしい。

「なるほど、ねぇ……。ナガト三尉達のために、あんた、そんなこと考えてたの」
「だって、どう考えてもおかしいじゃない。まとめて処分しちゃおう〜なんて不穏なウワサは立ってるのに、なぁんでこんな大事件が、一切外に漏れてないの? こんなの前代未聞だわよう」

 首を傾げたチトセに、これ以上この話をしても意味はなさそうだ。そう判断して、マミヤは話題をソウヤに切り替えた。

「ソウヤ教官ってば、なぁんでわたしの魅力に落ちないのよぉ」
「そりゃあんたは、確かに美人だけどさあ……。それとこれとは別っていうか」
「だってあの人、わたしが色気たっぷりに迫ったのに、『お断りだ』の一言で切って捨てたのよ!? マミヤほんとショック」
「うーわー、目に浮かぶ……」

 慰めるように軽く頭を叩かれたが、そんなものはなんの気休めにもなりやしない。
 あのとき、ソウヤは確かに揺らいだはずだった。「わたしのために、飛んで?」甘く、誘うように告げた。青い瞳が揺れ、一瞬の影が見えた。
 だのに、彼はマミヤの手を払ったのだ。そっと。けれど、はっきりと。

『お断りだ、お姫さん』
『……なぜだか聞いても?』
『“その権力”を使いたいなら、こっから出ていくこった。そしたら考えてやらんこともない。けどな、よーく覚えとけ。ここにいる限り、お前はただの軍人だ。俺に命令なんざ百年早いんだよ。――引け、マミヤ士長』

 翼を持つソウヤと、持たないマミヤ。
 確かにここにいる限り、その差は歴然だった。「お姫さん」の頼みを断り、「士長」に命じる彼の姿に、ぞくりとしたものを感じたことも事実だ。昏く、けれど鮮やかにきらめく青の双眸は、今まで見たどんな瞳よりも綺麗だと思った。
 ソウヤを懐柔することはできなかった。年齢と階級“だけ”は重ねた老骨達に取り入るのは簡単だろうが、さしものマミヤもそこまでの覚悟はない。なんの魅力もない老人相手に、身体を開くことはできそうになかった。
 どうしたものかと唇を尖らせるマミヤの頬を、チトセが弱い力で抓ってくる。「なぁに?」そのまま寝返りを打って仰向けば、チトセは曖昧な笑みを浮かべて頬を掻いた。

「んー、いや、恋愛の意味で迫ってたなら、ソウヤ教官、どうしたのかなーって思って」
「そりゃ落ちてるに決まって……、って言いきれないのが悔しい〜! なんでよぉ、チトセと違って目はぱっちりしてるし鼻は高いし、胸だって大きいのに! こんなにも美人なのに、なんで誰も靡かないのよぉ」
「オイコラちょっと待てぃ! 確かにあんたは美人だけど! なんっであたしがこき下ろされてんだふざけんな!」
「いったぁ! なにすんのよ、暴力女〜!」

 べちっと音を立てて額を叩かれ、マミヤは思い切りチトセの脇腹をくすぐった。弱点くらい知っている。水揚げされたばかりの魚のように跳ね上がったチトセがもんどりうち、下品な笑い声を上げながら降参を訴えてきたが、容赦なくくすぐり続けてやった。笑い転げるチトセの腹に跨り、脇腹や骨盤の辺りを重点的に責め立てる。「あは、はひゃひゃっ! ちょ、もっ、ひゃはっ、むりぃっ!!」涙目で訴えてくる様を見下ろして、少し胸がすっとする。
 ――仕方ない、許してやるか。
 変わらず跨ったまま、マミヤはチトセを見下ろした。顔の両脇に手をつけば、押し倒しているような形になる。

「もっ、あんたほんっと、鬼……!」
「うっさいわよぉ。わたしの美貌に手を上げた罰よ、罰」
「あーもう、どっからくんのよ、その自信!」
「どこからって、そんなの決まってるじゃない」

 浮かべた笑みは、心からのものだったろうか。
 緑の黒髪の檻の中、きょとんと見上げてくるチトセの瞳は、優しい大地の色だ。ここから緑が芽吹く。そんな色。
 どうして自らの美しさに自信が持てるのかと、チトセは訊ねた。理由など決まっている。考えるまでもない。ただの自己愛などではない。それであればどれほどよかったろうと、自分でも思う。

「わたしが、王族だからよ」

 それ以外に、どんな理由があるのだろう。
 王族は皆一様に美しい。身体に緑を宿し、他とは一線を画す美貌を持って生まれてくる。それは、古の王族がそう望んだからだ。
 誰よりも美しく、病むことも、老いることもない人間になることを、彼らは望んだ。そうして描かれた歪んだ設計図は、今もなお続いている。長い年月の中で、不老不死は夢のまた夢となったが、それでも王族の血を引く者が目を引く容貌を持って生まれてくるのは変わっていない。
 人々はそれを喜ぶ。――だが、それはまるで戒めのようだ。鏡を見るたびに、親族を見るたびに、「忘れるな」と釘を刺される。



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