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* * *



「ほら、帰るぞ」
「あ、あの、なんで急に……っ」
「いいから帰る。今日はうちに泊まれ」

 ぐいっと穂香の手を引いてそう告げると、それまで自分達を注目していた群衆がわっと声を上げた。なんなんだ。苛立ちによってアカギの声がさらに大きくなる。

「赤坂! 帰るぞ」

 小さなざわめきが増したような気がしたが、その理由も、穂香が動きを固くした理由も、思いつかなかった。
 だから半ば強引に彼女を連れ帰ろうと手を引いたのだ。怒りに満ちたその声が、アカギの耳朶を叩くまでは。



「だからっ! そんな大きい声で赤坂赤坂言わんとって!」

 ぎゃんっと噛みついてきたのは穂香ではなく、見知らぬ少女だった。どうやら友達らしいが、勝ち気なこの少女はアカギに怯むことなく立ち向かってくる。
 面倒な。奏を彷彿とさせる気の強い女の登場に、アカギは小さく舌を打った。
 事は急いている。ミーティアに借りた改造バイクをかっ飛ばして高校までやってきたはいいが、連絡を入れたはずの穂香は校門にいなかった。仕方がないので電話で呼び出したのだが、彼女は出ない。しつこく携帯を鳴らし続けると、蚊の鳴くような声が返ってきた。
 勢いで居場所を聞き出して校舎に乗り込んだのはいいが、不審者に間違えられて通報されそうになったりなんなりで、アカギの機嫌は最悪だった。ただでさえ胸くそ悪い思いをしているというのに、ここの連中ときたらそれを増長させるような真似しかしない。不機嫌なときの自分の顔がどれほど凶悪か、自覚していないわけでもなかったが、取り繕ってやる必要性も見いだせないので存分に眉間にしわを刻んでいた。
 警備員や教職員に穂香の知り合いだと告げて待つこと数分、顔を真っ赤にさせた彼女がやってきて、ようやっとアカギは解放された。首から陳腐なプレートをぶら下げることと引き替えに。
 やっと本題に入れると思ったところで、余計な小娘の乱入だ。昇降口のすぐ近くでは、風が吹き込むたびに砂埃が舞う。時折苦しそうに穂香が咳を零していたが、小娘は構う様子もなく声を荒げていた。

「赤坂を赤坂だっつってなにが悪い。こちとら急いでんだ、お前になんざ構ってる暇ねェんだよ」
「やから、いま、ほのちゃんを目立たせるようなことせんとって!」

 声を抑えながらも怒鳴るという器用な真似をした小娘のスリッパには、山下とマジックで書かれていた。穂香が「郁ちゃん」と呼んでいたから、彼女は山下郁というらしい。
 郁の言わんとしていることを理解したのは、耳まで赤く染めた穂香が、なにかから隠れるように俯く姿を見たときだった。郁に引っ張られて人気(ひとけ)のない昇降口の隅に来たが、それでも時たま人の視線を感じることがある。それは生徒のものだけではない。事務室から向けられるものや、職員用トイレを使用する教師のものもあった。
 この学校で「赤坂」は、どうやら知れ渡りすぎているらしい。

「あんたがほのちゃんの知り合いなんは分かったけど、迎えにくるんやったらもうちょっと融通利かせたってや。あんたみたいなオッサンが学校に乗り込んできて、いきなり『赤坂呼べ』なんてちょっと怖すぎやろ!」
「オッサン!? ちょっと待て、俺はまだ二十三だ!」
「うっそ、なにそれ、見えん! 老け顔!」

 遠慮の欠片もない女子高生の素直な感想にばっさりと胸を切られ、一瞬くらりと視界が揺れた。確かに実年齢以上の顔立ちをしているが、こうまではっきりと言われたのは初めてだ。
 ナガトの方が一つ年上にも関わらず、いつだって自分の方が年上に見られる。ナガトが童顔なせいだ。彼は実年齢以下に見られる場合がほとんどだったので、それもこれもすべて彼のせいだと思っていたのだが――どうやら、原因は自分にもあったらしい。
 思いがけない精神攻撃に呆気に取られていると、チャイムが鳴り響いた。穂香は目に見えてそわそわし始めたが、郁には動揺する様子が見られない。授業は遅刻するつもりでいるらしい。

「とにかく! こないだのガイジン騒ぎもそうやし、いま変にほのちゃん目立たせんといて! せっかくあのことも忘れられて――」

 途中で言葉が途切れたのは穂香への配慮だったのだろう。「あのこと」――穂香の父が、感染した少年の自殺現場に居合わせてしまったことに違いなかった。
 そういった諸々の事情が穂香の座りを悪くさせていることに気がついてしまうと、さすがにこちらも居心地が悪い。立場はぐっと弱くなり、感情だけで物を言う目の前の少女の方が、幾分か大人びた正論を吐いているように思えてくる。

 ――ちくしょう。だからガキの相手は嫌だったんだ。

 確かにやり方が乱暴だっただけに、こちらからはぐうの音も出ない。これがナガトだったら口八丁手八丁で丸め込んだに違いない。そもそもナガトならば、こんな騒ぎにすらしないのだろうが。

「うちら大事な時期やねんから! 特にほのちゃんは繊細なんやし、余計なことからは守ってあげなあかんの!」
「あーもう、わァった、俺が悪かった! 次からは気をつける! 赤坂も悪かったな」
「名前っ!」
「穂香! ――くっそ、やってられっか! 行くぞ!」

 腕を掴んで踵を返すと、すぐさま郁の怒号が飛ぶ。中高生の「守ってあげなきゃ」理論はむず痒く、耐えきれなくなってアカギは叫んだ。

「るっせェ、こいつは俺が守る! それで文句ねェだろっ!!」 

 勢い余って口に出した台詞がどれだけの威力をもって己を辱めるか、このときのアカギはまだ気がついていなかった。火が出そうなほどに顔を赤くさせた穂香と、きょとんと目を丸くさせる郁を見ても、これっぽっちも。
 靴を履き変えさせた穂香をバイクに跨らせ、しっかりとしがみつかせてエンジンをかける。たちまち上がりそうな悲鳴は、ヘルメットを被せることで押し込んだ。



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