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 時折、頭が割れそうに痛むことがある。それは大抵が寝不足だったり疲労が溜まっていたりするときで、仕方ないと諦めることがほとんどだ。薬を飲めば治るし、放っておいても治る。ならば特に気にする必要もないだろう――それがハインケルの見解だ。
 だが、ここのところ、その頭痛が酷い。頻度は日頃の倍だろうか。回数も長さも、痛みの程度も増している。スツーカが心配して頭上を飛び回るが、その羽音すら痛みを増幅させるのだ。
 空気が合わないのだろう。このプレートの空気は汚れている。向こうでは循環システムの整った環境で過ごしていたのだから、それも当然といえば当然だった。
 痛む頭を抱えてうずくまるハインケルの姿は、ビリジアンの人間にとって庇護欲をそそるものだったらしい。特に女性職員は積極的に手を貸し膝を貸し、ハインケルの状態がよくなるまで付き添ってくれることがたびたびあった。

 ――だが、今回は。

「くっ、う、あ……っ、あぐ、っ」

 まるで頭や胸を内側からなにかに突き破られるような感覚に、眦を涙が滑り落ちていく。乗り合わせていた医官が必死に状態を看てくるが、為す術もないようだった。
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
 涙が止まらない。のたうち回りそうになる身体を医官によって押さえつけられる。内懐に入れた薬を噛み砕くが、効果は一向に現れない。三十分だ。かれこれこの激痛と三十分、休みなしで戦っている。
 
 まさか感染したのだろうか。
 先日の高レベル感染者の襲来を思い出してぞっとする。おぞましい光景だった。寄生者を出した以上、感染した可能性は捨てきれない。
 そこまで考えて、ハインケルは首を振った。苦しみで振ったものか、考えを否定するために振ったものか、自分ですらよく分からなくなってきていた。
 ――感染はしていない。症状が違う。
 今の自分はきちんと自我がある。幻覚も見ていなければ、幻聴も聞こえない。捨てきれない現実の感覚のせいで、ここまで苦しんでいる。理性がある。この痛みは幻ではない。
 本当にそうだろうか。本当にこれは現実なのだろうか。理性はあるのだろうか。この痛みさえ、この考えさえ、妄想ではないのか。この身体には、あの忌々しい植物が手を伸ばして――、

「ハインケル博士っ!」

 凛とした声に呼ばれた。涙で歪んだ視界に、真っ黒の影が落ちる。すぐに黒髪だと気がついた。美しい女性の顔が近づいてきたかと思うと、次の瞬間には唇を塞がれていた。同時に流れ込んでくる苦い液体に噎せそうになるが、それすら許さないというように身体を押さえ込まれる。
 おまけのように舌を相手のそれで撫でられ、思わず甲高い声が唇を割った。頭が痛い。酸欠で大きく上下する胸に、スツーカが舞い降りる。

「――ご無事ですかしら、ハインケル博士」

 にこりと笑いかけてきた美女に戦慄した。汗ばんだ前髪を掻き分けられ、肉厚な唇が額に落とされる。それだけで大きく心臓が跳ね上がった。

「頭痛は?」
「え、あ……、もう、平気……」
「そう。それはなによりですわ」

 いつの間にか引いていた痛みに、ほっと息をついた。恐ろしい。あんな痛みは初めてだ。どこか病気なのかと考えて、さらに泣きたくなる。
 そんなハインケルの手を、ミーティアは慰めるように握った。

「博士、きっと博士には、このプレートの空気が合わないのでしょう。どうです? 我が国の艦を迎えに来させますので、それでお戻りになられては」

 とろりとした甘やかな声が流れ込む。

「さぞおつらいでしょう。ビリジアンでしたら、優秀な医師もおりますわ。ゆっくり療養なされてはいかがです? 博士の具合がよくないと、例のお話も伺えませんもの」
「っ、それ、は……!」
「野蛮な軍人が近くにいては話しにくいでしょう。我が国は、博士を全力でお守りしますわ。もちろん、情報そのものも」

 つまりはそれが目的だ。泣きたくなった。新しく得たあのデータを彼女は欲している。確証のないデータを発表する気になどなれないし、なにより、他国の人間には一切口を割るなとテールベルト政府に念押しされていた。喋るな。もしも喋ったら――、ぞっとしない脅しを思い出し、ハインケルは身を縮こまらせた。
 あちこちで計器が静かな音を立てている部屋の中で、小さな身体を抱えて震える姿は、どれだけ無様なことだろう。まだよく分からないから。そう言って以前誤魔化した情報と、この場にいる苦痛と。天秤に掛けてどちらに傾くのか、ハインケルは想像した。

「女王陛下は博士の研究にとても興味がおありですもの。もちろん、博士自身にも。――博士の御身は、必ずや我がビリジアンが国を挙げてお守りすることを約束いたしましょう」

 国を、挙げて。
 テールベルトとビリジアンの国力に大きな差はない。
 テールベルトは白植物の研究と武器の開発に特化した結果、最新鋭の技術をふんだんに使用する空軍の地位が高まった。
 対してビリジアンは、昔から陸軍の強さが突出していた。白の植物の詳細が解明されていなかった時代から緑地警備隊を置いていた歴史があるように、各国の陸軍に置かれている緑地警備隊、緑地防衛部なるものは、ビリジアンが基盤となっている。


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