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はらり、欠片は舞い落ちる *5
hi「…………なー」
「んー?」
「…………なんでもねェ」
中途半端にこちらを見ながら言い淀んだアカギは、落ち着かない様子で頭を掻いていた。短い付き合いではないから、言いたいことの想像はつく。しかし今はそんなことよりも、もっと優先させなければいけないことがあるのだ。
平日の昼間にも関わらず、この町の繁華街は人で溢れていた。広々とした道の両脇には様々な店が並び、どの店も客を引き込もうと切磋琢磨している様子が伺える。ファッション関係の店が多いこともあってか、周囲は若者で賑わっていた。
耳には意識せずとも人々のざわめきが届く。随分と騒がしい場所だ。その中に混ざっている歓声と視線にたじろいでいるアカギは、とても居心地が悪そうに長躯を縮めていた。まるで、臆病な大型犬でも見ているかのようだ。
隣を歩く男の頭に、犬の耳と垂れ下がった尾が生えている姿を想像し、ナガトはぷっと吹き出した。
「――どうした?」
「あ、や、ごっめんごめん。つい、ぷっ、あはは!」
訝るアカギが僅かに首を傾げたので、その姿がまた犬と重なってさらなる笑いを生む。一通り笑い続け、ようやっと落ち着いた頃には、アカギの機嫌は下降の一途を辿っていた。そんなことにはお構いなしで、ナガトは彼の胸で揺れるシルバーネックレスを軽く引っ張ってみる。
「オイ、なんだよ」低く唸るようなその声は、さしずめ威嚇状態の大型犬か。まるで手綱を握って散歩しているような感覚だ。――普段つけている認識票は、ここでは「ドッグタグ」と呼ぶらしいから、余計にしっくりくる。
「いーい加減にしやがれナガト! さっきから人の顔見てくっすくす笑いやがって! なんだなんだ、この服が似合ってねェって言いたいのか!? 生憎俺は、お前と違って支給品の服しか普段着ねェんだよ!」
「はーいストップ。そういうこと誰も言ってないだろー? それ、ただのTシャツだから。ただのTシャツが似合わないとかないから。つか、……ふうん? お前でも服装気にするんだ?」
「ぐっ……! それは、お前が!」
「だから服で笑ってたんじゃないっての。第一、これは俺らに一番しっくりくる服って検索かけて出てきたんだから、似合わないはずないだろ。文句があるなら艦のシステムに言え」
今ナガトが来ている襟付きのシャツも、すべて空渡艦の検索装置を使って本部から取り寄せたものだ。このプレート全体の服装を調査し、派遣された地域の平均的な服装を割り出す。そして、そこから最も自分達にふさわしい服装が転送されてくる。どのようにしてその服を本部が調達しているのかは謎だが、自分達の知らぬところでバイヤーが飛び交っているらしい。
その空渡艦は、山中に幾重にもシールドを施して隠してきた。もし艦に危険が迫ったときには、手元の警報装置が鳴る仕組みになっている。
――まあ、そんなことにはならないだろうけどね。この世界でいう携帯電話に似た機器を片手に、ナガトは胸中で舌を出した。
レーダーに反応はない。こちらにやって来るというハインケル博士の信号は、しばらくこの辺りをうろついているが未だに受信されていなかった。相手に着地点探査ができるだけの能力があれば楽だったのだが、そんなことは最初から望んでいない。そもそも、仮にそれができたとしても、あのハインケルが自ら望んで自分達の元にやってくるとは思えなかった。
人混みに紛れやすい繁華街を中心に捜索してみたが、かれこれ一時間が経ってもハインケルのコードは引っかからなかった。
適当にベンチに座って休憩しながら、転送されてきた地図を眺める。アカギが買ってきたコーヒーは、テールベルトで飲んだものよりも格段に香りがよかった。
「反応なし、か。困るよねー。そろそろ着いててもおかしくない時間なんだけど」
「墜落して死んだ、とかいうオチじゃねェよな」
「そうだったらいいけどね。あ、やっぱよくないか。あの人死んだらなにかと面倒だ」
テールベルトにとって、ハインケルはなくてはならない人間だ。その鬼才は三国すべてが認めている。能力は確かに素晴らしい。
だが、彼は間違いなく軍部のお荷物だった。
「つーか、よ。おっまえ、こっちでもモテんだな。さっきから女共の視線、集まりまくってんじゃねェか」
「ああ、俺カッコイイから」
「自分で言うなようぜぇ」
悪態をつくアカギだって悪くはない顔立ちをしているとは思うのだが、どうにもその口調と雰囲気から近寄りがたい印象を与えてしまっている。飲み会を開いても、むすっと黙って座っているだけなのだから、それでモテろと言う方が無茶だ。
不器用だよね、ほんっと。空き缶でアカギの額を小突き、ナガトはそれをゴミ箱へ放り投げた。僅かな飲み残しが飛び散ったが、それには気がつかないふりをしてやりすごす。
「コードはしっかり登録してるし、逃げられる心配はないと思うけど……。こりゃ、場所変えて探した方が賢明かな?」
「ちっ……、めんどくせェ」
舌打ちしながらも、先に歩きだしたのはアカギの方だ。口は悪いし態度も悪いが、実のところ、より真面目なのは彼の方だったりする。
計器に頼らない手動の座標特定などの細かい作業も、嫌いだと言いながらアカギはこつこつやっていく。対してナガトは、もとより机に向かう作業は得意だったため、なんの苦もなくさらりとこなす。ただし、できていると思っている分、細かいミスが見られるのも特徴だった。時間はアカギに比べて遥かに早いが、正確性ならナガトよりもアカギの方が優れている。
正直いい気分ではないが、互いの欠点を補い合う関係であることは客観的に見ても明らかだ。上に言わせれば「お前達二人とも問題児だ!」らしいのだが、こういうこともあってか任務では大概同じ班で組まされる。
まとめて面倒見ていた方が安全――ということもあるのだろうが。
「……それにしても、ここでは緑が当たり前なんだな」
ぽつりと呟いたアカギの視線の先には、一件の花屋があった。店員がせっせと不要な葉を取り除いている。ぷちぷちとちぎられていくのもまた、眩しいばかりの緑だった。
花には赤、青、黄、紫やオレンジなど、様々な色がある。もちろん、白い花だってあった。けれど、いくら白い花を咲かせていたって、それは「緑」に繋がっている。緑があるからこそ、白が映えている。
バケツの中で水を吸い上げ、風に揺らされながら彼らは必死に生きている。こんなにも鮮やかなのに、人々は特に目を向けようともしない。もしくは、様々な色に目がいって、茎や葉の「緑」にまで意識を向けない。
電気屋の前を通ったとき、数多く並んだテレビが一斉に喋っていた。
失われていく自然。ストップ地球温暖化。砂漠化防止。エコキャンペーン。緑のある生活を。
どんなに少ないと言っても、緑は「緑」だ。植物は緑色をしていて、それがそうであることが当然の世界だ。
その認識を危機感がないだとか、甘いとはこれっぽっちも思わない。このプレートからすれば、特別なのは自分達の世界の方だ。
今でこそ状況はよくなってきているが、あの世界で植物が緑であることは、大変貴重だった。向こうで植物といえば、悲しいことに白が普通なのだ。
人々を狂わせる、白の侵略だ。ナガトやアカギが生まれてくる遥か昔から、あの世界は白に犯されていた。
もう一度「緑」を。そして、あの悲劇をもう二度と繰り返さないために。
場所を変えるべく歩道橋を渡っていたところで、二人のポケットから電子音が鳴り響いた。このプレートの雑踏では珍しくもないのか、すれ違う人がちらとこちらを見る程度で、目立つ様子はない。
はっとして、二人は計器をすぐさま確認した。モニターに映し出された信号は、登録して真新しいコードを表示している。地図上に点滅している輪に、ナガトは笑って指を打った。
「きた! ゆっくりだけど移動中って感じか。このスピードだと歩いてるね。どこに着陸したんだか」
「おいっ、ナガト! これ!」
ハインケルの存在を示す緑色の輪のすぐ近くに、白と赤に交互に点滅する輪が出現した。電子音がより大きく、甲高いものに変わる。
「ちょ、こんなときに!? やめてくれよ、めんどくさい! 座標は――……って、うそ」
「くっそ、急ぐぞ!」
二つの輪が点滅する場所――そこは、二人にとっても、見覚えのある場所だった。