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 晴れ渡った空の下、右手がやけにほこほこと温かかった。柔らかい感触に思わず頬がゆるむ。こんな子供と手を繋いで歩くのは、随分と久しぶりの気がする。穂香がもっと小さい頃にはよくこうして出歩いたものだが、彼女が中学校に上がる頃からそうはしなくなった。
 十歳かそこらだろうか。奏の手を不安げに握っているのは、人形のように愛らしい顔立ちの子供だった。

「大丈夫。怖くないからね」

 声をかけたところで子供がなにも言わないことはすでに分かっているので、特に気にならなかった。
 奏がこの子供と出会ったのは、近所の大きな公園だった。あの妙な男達が話していた「白の植物」の存在を完全に信じるわけではないが、もし、本当に植物が白く変えられているのだとすれば、公園へ行って確かめてみるのが手っとり早いと思ったのだ。
 隅々まで探したが、特に変わった様子はなかった。デマだったのか、それともこの場所がまだ変化がないだけか。
 むう、と唸っていたところ、茂みの中に白いものが見えた。もしやと思い慌てて駆け寄れば、そこには白の植物ではなく、小さな子供がぐったりと倒れていた。
 くたくたの白衣と陶器のような白い肌は、火事場から逃げ出てきたかのように煤けている。同じように汚れた金髪といい、どうやら日本人でないことは確かなようだ。

「ちょおっ、大丈夫!? ええっと……、あ、Are you okay?」
「……Wasser」

 うっすらと目を開けて、子供は言った。

「ヴァッサー……? えと、ドイツ語? 水、やっけ。ちょっと待っとき! 買ってくるから!」

 そして水を与え、どうするか迷った末に警察へと案内すべく二人で公園を出たのだった。
 迷子の子供を拾うとは、思いもよらない収穫だ。言語から見て、ドイツ人だろうか。あいにくとドイツ語は挨拶程度しか分からないので、会話を弾ませることはできなかった。見たところ、男の子だろう。名前を聞いても答えてくれなかったので、「ボク」と呼びかけることにしている。
 それにしてもいい天気だ。見上げた空の端には、木々の緑が揺れている。どうしたら、この緑が白く変わるというのだろう。やはりあの男達が言っていたことは、嘘だったのではないか。どちらにせよ、もう一度あの二人に会いたかった。
 そろそろ最寄りの交番に辿り着くかというところで、少年は奏の手を強く引いた。「うん? どうしたん?」問いかけても少年は首を振るばかりで、なにも言わない。
 どこか案内したい場所があるらしい。引かれるがままについていくのだが、どうにも少年には明確な目的地はないように思われた。

「んー……ボク、警察は行きたくないんかな?」

 Ja(ヤァ)、と聞こえたような気がして、奏はため息をついた。警察のお世話になりたくないだなんて、どういう理由を持った子供なのだろう。
 大きめの白衣を着ているところを見て、学校か病院でいたずらでもしでかして逃げてきたのだろうか。ここはひとまず家に戻って、地図でいろいろ調べた方が効率がよさそうだ。
 今度は軽く手を引き返して、少年を誘導する。笑顔を向ければ、天使のような風貌の少年はほんの僅かに不安そうな顔を見せたが、おとなしく隣をついてきた。

「すぐお母さんら見つけたるからなー。ちょっと待っててな」

 歩き慣れた通りを進んで、家へ向かう。小さなたばこ屋の角を曲がると、蓮池さんの家の庭にある立派な金木犀の木が見えてきた。もう少し寒くなってくるとオレンジ色の小さな花をつけ、ふわりと甘く優しい香りを漂わせてくれるのだ。その隣の吉川さんのお宅には、プランターにゼラニウムやペチュニアといった花が咲き誇っている。
 少年は、それらを興味深そうにじっと眺めていた。花が好きなのだろうか。外国の男の子はませているから、このくらいの年から好きな子に花を贈ったりするのかもしれない。
 このまままっすぐ行った先が家だ。下手をすれば誘拐に間違われやしないかと少しドキドキしながら、奏は少年の手をきゅっと握り締めた。

「よっし、ええっと……そしたら、お姉ちゃん、家寄ってくるけど、ちょっと待っててくれる?」

 玄関の前で、なんとか身振り手振りでここに待っているように伝える。最初は首を傾げていた少年だったが、根気よく続けるうちになんとなく意図を察してくれたようだった。
 ぎこちなく頷いた少年のふわふわの頭を撫でて鞄から鍵を取り出したまさにそのとき、玄関の向こう側からなにか大きなものが倒れる音が響いてきた。

「なっ――!?」

 ついで、女性の悲鳴と野太い男性の唸り声が聞こえてくる。ガラスの割れる音が響き、休むことなく騒音が続く。

「母さん!? どうしたん、母さんっ! あっ、ボク待って!」

 異様な空気を恐れたのか、少年はくたくたの白衣を翻して逃げるように走り去っていった。引き留めている余裕はない。焦りによって鍵がうまく回らない。やっとの思いで扉を開け放つのと同時に、鍵は乱暴にその場に放り投げていた。

「母さんっ!! ひっ……母さん!? どうしたん、なあ! 起きて、なにがあったん!?」
「う……」

 玄関に入ってすぐ目に飛び込んできた光景は、玄関マットの上に倒れ込む母親の姿だった。急激に血の気が引いていくのを奏は自覚した。
 額が切れているのか、顔の半分を赤い血が覆っている。割れた花瓶が散らばっているのを見る限り、殴られたかぶつけたかしたのだろう。
 頭をぶつけた可能性があるときに身体を揺さぶることなどもってのほかだったが、パニック状態に陥っている頭でそんな考えができるはずもなかった。激しく肩を揺さぶり、母の苦しげな表情が少しでも和らぐことを祈って呼び続ける。
 ここのところの騒動で少しやつれた母は、薄い唇をほんの僅かに震わせた。




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