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 ひどい、こんなのひどい。
 絶対会いに来るって言ったのに。約束してくれたのに。それなのに、忘れろだなんて。
 なにかを破る音が聞こえたが、耳鳴りに混じってよく聞こえない。もうなにも聞きたくなかった。それなのに、淡々としたアカギの声が滑り込んでくる。

「いつ死ぬかもしれねェ仕事してんだ、俺達は。同じプレートでも敬遠される。好き好んで軍人選ぶ奴はいねェよ。それも、他プレートでなんて」
「軍人だから会いに来れるんでしょう? 軍人だから、出会えたんです」

 俯いたまま駄々を捏ねる。これではまるで聞き分けのない子どもだ。答えを求めたのは穂香で、アカギは提示された選択肢から答えを選んだ。それだけのことだ。
 それなのに、自分の望むものではないからといって拒むのは大人のすることではない。

「アカギさんは、私のこと忘れちゃいますか」
「……会わなけりゃ、いつかは」

 なら、そんな苦しそうな声を出さないで。もっと呆気なく、なんでもないように吐き捨てて。我儘を言うのは怖い。嫌われるのが怖いからだ。それでも、恥も外聞もなく求めそうになる。
 だって、初めてだった。だって、唯一だった。

「だったら、今すぐ端末登録してください。忘れないように。……私のことが嫌いになったなら、それでいいです。好きな人が他にできたなら、それでいいんです。でも、……でも、ほんの少しでも希望があるなら、まだ、好きでいさせてください」
「……」
「アカギさんは、約束を守ってくれました。……ちゃんと会いに来てくれた。だから、……信じたいんです」

 約束してくれたから、どんな未来も怖くはなかった。他の誰かの保証なんてなくてもいい。確実じゃなくていい。彼自身が信じられるだけのものを与えてくれれば、言葉一つ、ただそれだけで前を向ける。
 紙を丸めるような音が聞こえた気がして、穂香は涙で濡れた顔を上げた。暗がりの中、苦い顔をしたアカギが手の中になにかを握り締めている。

「あ、それっ」

 引き出しに仕舞い忘れた手紙が、開封された状態でそこにあった。あれを読んだのか。届かないと分かっているからこそ、ありのままを書き記した手紙を。
 羞恥心に襲われて、取り上げようと手を伸ばしたそのときだった。伸ばした腕を捕まえられて、凄まじい速さで引き寄せられる。気がつけば彼の腕の中に囚われ、急に振り回されたせいで目が回っていた。そのまま強引に押し進められ、背中が壁にぶつかる。覆い被さってくるアカギは、圧力の塊のように感じた。
 重なった身体から体温を感じる。間近に感じる呼吸音に、なにをどうしたらいいのか分からない。迷子にでもなったかのように心細くなって、訳も分からぬうちに無理やりに仰向かされて唇を塞がれていた。性急すぎるキスはあの日のものとはまったく異なっていた。そのせいで、一瞬にして膝が笑う。
 考える暇など与えず、アカギは穂香の吐息すら奪う。壁に押しつけられ、力の抜けた身体は足の間に割り進んできた膝に腰かけるようにして支えられていた。不足した酸素を取り込もうと大きく口を開ければ、その隙に再び舌を捻じ込まれる。零れた涙をかさついた指先に拭われて、もう上下すら分からない。
 このまま食い殺されるのかと途方もないことを考えたタイミングで、ようやっと彼は穂香を解放した。

「……ちったァ加減してくれ、頼むから」

 それはこっちの台詞だ。そう思うのに、アカギは心底疲れたという風に穂香の首筋に顔を埋めて溜息を吐いている。荒い呼吸の合間に「好きです」と呟くと、彼はぐっと呻いて「だから、」と怒ったように言った。
 ――ああなんだ、そういうことか。
 鋭い目元が僅かに色を変えているように見えて、穂香は恐る恐る背に腕を回した。重なり合った胸から、少し早い鼓動が伝わってくる。

「……私が忘れたら、アカギさん、幸せですか」

 もし「そうだ」と言われたら、きっと耐えられないだろうから今すぐ記憶を消してもらおう。そんなずるいことを考えながら訊ねた。アカギはたっぷりと間を開けてから呻き、壁に押しつけていた穂香の身体を引き寄せてくる。
 壊れ物でも扱うかのように優しく抱き締められると、彼の香りが鼻先をくすぐった。その匂いに泣きそうになる。

「だから、お前、……加減しろって言ってんだろ」
「嫌です」
「……穂香、お前、性格悪くなったな」
「はい」

 泣きながら笑った瞬間、観念したようにアカギの唇が耳元に滑ってきた。耳朶に触れる熱く柔らかな感触に、痺れるような感覚が全身を駆け抜ける。
 部屋の窓から、あの日と同じように星空が見えた。

「――忘れんな」

 絞り出すような囁きに、すべてが報われたような気がして舞い上がりそうになった。意地悪い気分になって、「なにを?」と訊ねた。途端にアカギは低く唸る。唸ってばかりで、まるで犬かなにかだ。喋るよりも唸る方がずっと多いような気がする。


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