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けれど、聞きたい。掻き抱く腕に力が込められた瞬間、心臓がポンプの役割を一瞬放棄したのかと思った。だから、慌てて不足分を吐き出そうと必死になっているのかと。
小さな声で、穂香だけに聞こえるように「俺を」と囁かれ、幸せで殺されるのかと思った。忘れたくても忘れられない相手だというのに、彼はなにを言うのだろう。そんなことを考えていることがばれたら、言わせたのは穂香だと怒られそうだ。
唸ってばかりの大型犬に頬を摺り寄せ、柔らかいシャツの布地に涙を染み込ませることのできる喜びを噛み締める。
なにを見せよう。なにを話そう。春はお花見をしよう。たくさんの植物園を見に行きたい。初夏は甘い香りを放つ薔薇園も魅力的だし、紫陽花だって綺麗だ。真夏は青々とした緑と、それからひまわり畑に行くのもいい。運動は苦手だけれど、海や山へ行くのも楽しいかもしれない。秋は奏達と同じように、京都に行って紅葉狩りを楽しみたい。冬は温室で植物を楽しむのもいいし、――ああ、そうだ。またあの山から、夜景を見よう。
きっと楽しい。一緒なら、どんなことだって。
「……好き」
伝えても伝えてもなくならない思いを、厚い胸にそっと流し込む。直接彼の胸に届けばいい。せめて穂香の半分でもいいから、アカギが穂香を思ってくれるように願いを込めた。この言葉が、未来の欠片を繋ぐ要となるように祈った。
こめかみをなぞる指先に促され、視線を上げる。指の背でゆっくりと輪郭を辿るアカギは、なにかを言いたそうに唇を引き結んでいた。
「いつ死ぬか、分かんねェぞ」
「簡単にはそうならないって、約束してください」
あなたが誓ってくれるなら、それだけで信じられる。
「そうそう会えねェし、連絡だって頻繁にゃ取れねェ」
「一年半、それで過ごしました」
「……この先どうなるか知れたもんじゃねェ」
「それはきっと、みんな一緒です」
初めてアカギと出会ったその数分前まで、穂香は自分があんなことに巻き込まれるなんて想像もしていなかった。「この先」の話なんて、きっとそういうものだ。誰も分かりっこないのだから、少しくらい無茶をしたって一緒だとも思う。
一度苦しそうに寄せられた眉は、なにを意味しているのだろうか。彼は言葉の足りない人だから、汲み取る努力をしなければならない。腕の強さが迷惑に思っているのではないことを伝えてくれて、それがとても嬉しかった。
「……穂香」
「はい」
「次はババロア用意してろ」
「……はい」
吐息が混ざり合おうとしたまさにその瞬間、やや乱暴な手つきでドアが叩かれた。すっかり忘れていた外部からの干渉に、二人して思い切り肩を跳ねさせる。一瞬にして跳ね上がった心拍数は、モニターに映せばきっと鋭角な山を描いていたことだろう。
「ちょっとアカギ! ほのに変なことしてるんとちゃうやろうな!? アカギ!!」
息を切らせて怒鳴る奏の声に、穂香の頭に顎を乗せたアカギが今までで一番大きな溜息を吐いた。ひっきりなしに叩かれる扉に向かって、唸ってばかりだった大型犬がついに吠える。
「るっせェ、今からすんだよ邪魔すんな!」
「えっ」
「はぁあああああ!? ちょっとここ開けろ、殴る! ナガト、今すぐ蹴破って!」
「あ、そんじゃあ俺らも遠慮な、いったぁ! お前ね、そうやってすぐ殴るのやめなってほんとに!」
言葉とは裏腹にあっさりと穂香を解放したアカギは、ポケットに手紙を仕舞いながら脱力したようにドアの鍵を開けにいった。あそこを開ければ、ナガトと奏がぎゃんぎゃんと口論の真っ最中なんだろう。
熱い頬を両手で隠すように押さえながら、うんざりしていると口にせずとも語る背中に声をかける。
「アカギさん、あの……、いつか、その……。私のこと、その、どう……――、や、やっぱりなんでもないです」
私のことどう思っているか、聞かせてくださいね。
頭の中ではあっさりと吐き出せる言葉は、ここぞというときに出てこない。どうしようもなく気恥ずかしくなって、穂香は慌てて目を逸らした。
ドアノブを捻る。その瞬間、ナガトと奏の声が一気に部屋に流れ込んできた。
そんな騒ぎの中で、確かに聞こえた。
「……次は言う。約束する」
今ではない辺りを不満に思えばいいのか、それとも次の約束に胸を躍らせればいいのか。
単純な心は後者を選んだ。
「はいっ!」
翼にスズラン。それが彼らテールベルト空軍の象徴だ。
幸福はもう一度、訪れる。
――再び来たる、白の幸福を。
(2014.0530)