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 ぽつぽつと雫を落とすようだった奏の言葉も、次第に流れるようなものへと変わり始めた。記憶にあるのと変わらない、ほんの少し早口な口調で仕事の楽しさと愚痴が語られる。それに笑顔で相槌を打ちながら、少し大人びた奏の顔を眼球に焼きつけるような思いで見つめていた。

「……ナガトは? 元気にしてたん?」
「俺? うん、そこそこね。半年も謹慎食らったからさすがに飛行技術ガタ落ちしててさぁ、冗談じゃなくマジで血吐きながら再訓練したよね。他のみんなも元気だよ」
「そっか。ならええねんけど」

 ポケットの中に入れてきた記憶操作用の簡易装置が、急に重みを増した気がした。ナガトが黙り込めば、また沈黙が訪れる。
 ――どうせ最後なんだし、いいよね。

「奏、彼氏できた?」

 テールベルト空軍の王子様。広報部が面白がってそう紹介した笑顔を浮かべて問うた。それが自分の首を絞めるだけだと分かっていたのに、聞かずにはいられなかった。どうせなら決定的に砕かれて、希望の欠片すら残らないようにしてしまいたい。
 奏が軽く瞠目し、視線が廊下の方へと泳いだ。その反応だけでもう十分伝わってくる。針を突き立てられる痛みを感じたが、まだ顔を歪めることは許されない。笑え。できるだけ明るく、なんでもないように。

「……うん」
「へえ、よかったじゃん! どんな人?」
「マーケティング部の先輩。明るくていい人。社内の評判も上々やし、受付の子いわく優良物件やって」

 その先輩とやらが、この手に触れたのだろうか。その頬に、唇に、――身体に。
 腹の底に渦巻いたのは、見たこともない相手への嫉妬だった。

「うっそ、ほんとに? そんないい男落とすとか奏も隅に置けないね。いつの間にそんなスキル、」
「茶髪で童顔でお調子者で女好き、甘えてくる猫みたいってみんな言ってる」
「ああ、奏ってお姉さんタイプだから甘えられ、」
「虫も殺せませんって顔してるくせに、結構強引やねん」

 ことごとくナガトの言葉を遮って重ねてくる奏に、さすがに平常心が揺らぐ。自分から聞いたことなのに、これ以上聞きたくなくて今にも声を荒げてしまいそうだった。舌が渇く。もういいよ。そう言いたいのに、糊でぴたりと貼り合わされたかのように唇が動かない。

「三ヶ月前に告られた。付き合ってほしい、って。デートしたときに」

 聞きたくない。
 この子が他の誰かのものになった話なんて、もうこれ以上聞きたくなかった。

「奏、」
「そんで二ヶ月前に別れた。一ヶ月もたへんかった。一緒におって不満はなかった、楽しかったんよ。話もめっちゃおもろいし、優しいし。……けど、無理やった」
「……えっと、あの、……そういうこともあるよ。奏にはもっといい縁が、」
「あんたに似てるってだけじゃあかんかったって言ってんねん!!」

 鼓膜を突き破るような怒声と共に、顔面に強い衝撃が走った。痛みはないが一瞬息が詰まる。ぼとりと落ちてきたクッションを見て、怒りに任せて奏がこれを投げつけてきたのだと知る。
 仁王立ちで肩を大きく上下させる彼女の瞳は、穂香と同じくらい真っ赤に充血していた。堪えきれない涙が、眦から伝い落ちていく。その様を、ナガトはただ呆然と見上げていた。

「なにしててもあんたが浮かぶし、比べてまうんよ。会われへんって、もうおらんって分かってんのに! 今日のあの人やってそうや、似てるな、って……。――似てるだけじゃ、あかんのに」
「かなで……」

 馬鹿みたいにもつれた舌が、少し間抜けに彼女を呼んだ。顔を覆って崩れ落ちてきたその身体を、思い切って受け止める。大きくしゃくりあげ、奏は勢いよく胸板を突き飛ばしてきた。

「なんなんよ、今更! なんで今になって現れて、そんで忘れろなんて言うん!? そんなこと言うなら、なんであのとき思い出させたんよ! なんで、もっと早く……、ッ、ふざけんな!」

 振り上げられた拳が、胸の上に振ってくる。けして強い力ではなかったけれど、ナイフで刺されるよりもずっと痛かった。泣きじゃくる声が耳に痛い。胸に刺さる。かける言葉が見つからず、ただ目の前の身体に縋るように腕を回した。激しく抵抗されたけれど、それすら押さえ込むように強く。
 言葉がないまま、小さな頭を掻き抱く。吐き出す息が震えていた。なにを言えばいいのか分からない。頭の中が真っ白になるとは、このことを言うのだろうか。

「……ほのが羨ましかった」

 暴れるだけ暴れて疲れ切ったのか、ナガトの肩口で奏は静かにそう零した。

「あたしは、最後やと思ってた。もう二度と会われへんって。やからなんも聞きたくなかった。いつまでも引きずってたらあかんって思ってたから。……でも、ほのが言うんよ。『アカギさんはいつか絶対に会いに来てくれる』って。約束したから、って。……あたしには、そうは思われへんかった」

 あのときが最後だと思っていたのは、ナガトも同じだった。会えるはずがないと、そう思い込んでいた。――会おうという努力すら、諦めていた。足掻けば足掻くだけつらいことは分かっていたし、「愛さえあれば」なんて思えるほど子どもでもなかった。
 けれどアカギは、そうではなかったのだ。


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